560話 地盤です
ハイデマリーは相手にしていないようであったけれど、西部では幼い頃から賢者の存在に脅かされていたのではないだろうか。
西部筆頭の侯爵令嬢が、男爵家の娘の影に隠れてしまう状態はあまり良い事ではないもの。
想像でしかないけれど、それもあって彼女は王太子の婚約者という立場に執着したのもあるかもしれない。
それに幼少の頃は他家とあまり交流がないとはいってもアニカの事だもの、ことある毎に目上のハイデマリーに虐められていると周りに吹聴していてもおかしくない。
幼少期にそんなことがあればストレスも相当だろう。
それでもハイデマリーは高潔姫と呼ばれているのだから、何事にも真摯に振る舞い彼女に付け入る隙はなかったのだろう。
そう思うと私は短気なのかもしれないわ。
どうしてもやり返してしまっている気がしないでもない。
とにかくこの土地での賢者の人気は高いようだ。
それに情報操作というには大袈裟かもしれないけれど、事実を捻じ曲げて賢者に有利な地盤を固めがされている。
あのシュヴァルツ男爵夫婦はそこまで狡猾な真似は出来なさそうだし、ハインミュラー商会か軍部のハンプトマン中将あたりの仕業かしら。
あの男ならこういう嫌な遣り口もなれていそうだ。
それにしてもハイデマリーは西部を治めるレーヴライン侯爵家の娘で、王太子殿下の婚約者候補であったのに、誰も彼女の話をしない。
それほどに西部において、賢者という存在は大きなものなのだ。
ここに来て改めてアニカ・シュヴァルツの影響力を知る事になった。
馭者は、すっかり打ち解けて機嫌よくあれこれ話を聞かせてくれる。
流行りの商品や、街角での出来事、ちょっとした笑い話など話題も豊富でこちらを飽きさせない。
鉱山から逃げ出すのに一番の難関である足の問題は、これで解決といえるかしら。
この気のいい馭者の同情を上手く引くことが出来れば、馬車に私とアニーを隠して街まで運んでくれそうだ。
最悪、鉱夫に殺されそうになったとでも言って勢いで馬車に乗り込めばなんとかならないかしら?
問題は私の演技力よね。
「そうそう、さっき仔山羊の話が出たけど、不思議な話があるんだよ。なんでも仔山羊と小鳥を連れた黒い修道服の女がいろんなところで目撃されてるっていうんだ。ロッテ婆さんの話が確かなら、もしかしたらそれが聖女なのかもしれねえな」
私はその話に飛び上がるくらい驚いた。
アリッサだ。
クロちゃんとビーちゃんを連れて私を探しに来たのだ。
こんな遠くまで。
「お忍びの旅なんかね? なんでも四つ辻で止まっては山羊が鼻をフンフンさせて行き先を決めてるっていう変な話なんだ。それでな、その女、絡んでくる暴漢も相手にならないくらい強いって言うんだよ。お付きなんかはいなくて、東から流れて来たらしいけど、どこに向かってるんだろなあ」
やっぱりアリッサよね。
どうしよう、もし見かけたら、ここにいることを伝えてもらおうか。
でも不安がある。
彼女達を避けている訳ではないけれど、今ではこの外見なのだ。
信じてもらえなかったら?
いや、それよりクロちゃんとビーちゃんにわかってもらえなかったらと思うと、胸がきゅーっと痛む。
でも彼らの本来の姿と今の姿と私はどちらも受け入れているし、あの子達も私が子供でも老女でも気にしないでいてくれるかもしれない。
外見だけの付き合いじゃないのだもの。
それに彼らがいてくれたら、心強い。
ここから出る手助けもしてくれるだろうし、もしこのままの姿で戻れなかったらエーベルハルトへ帰れなくても、どこかで腰を据えて一緒に暮らせばいいではないか。
アニー達ともきっと仲良くしてくれるだろう。
なんて楽しそうな生活だろう。
侯爵令嬢の義務を放棄するのは後ろめたくもあるけれど、そんな夢を描くのをやめられなかった。
「あの、もし、その人達に会う事があれば『ロッテが鉱山にいる』と、伝えてもらえませんか」
「はあ? 噂のなにがしはロッテ婆さんの知り合いっていうのかい?」
さすがに驚いたようで、目を見開いている。
「ええ、多分知ってる人達だと思うの」
「人達って何かい? 他にも何人かいるのか?」
「あ、いえ、そういうわけでは」
クロちゃんとビーちゃんも勘定にいれていたけれど、はたからみたらアリッサひとりと動物2匹であることに気付いた。
「ふうん、それでその女はやっぱり聖女なのかい?」
「いいえ、聖女に近しい人ではあるけれど本人ではないわ。あ、このことは内緒ね」
そう頼むと、どうして私がここにいるかという理由を思い出したのか、それ以上は追及されなかった。
貴族のお家事情に首を突っ込んでもいいことにならないと判断したのだろう。
「まあ、覚えといてやるさ。なあ、母ちゃんに土産のひとつでもあれば忘れる事もないと思わないか?」
馭者はニヤリと笑った。
図々しいと思う人もいるかもしれないけれど、こういう強かさは好ましい。
「ちゃっかりしていますこと! そうね、女性は甘いものが好きだもの。今日のデザートを包んであげるわ」
私は喜んで土産の包みを用意させてもらった。




