557話 黒い雄牛です
アリッサを落ち着かせることにやっとのことで成功し、彼らは事の真相を知る事が出来た。
「黒い雄牛とかいう男がやってきて、シャルロッテ様を連れていったのよ」
歯噛みしながら、悔しそうに手を握りしめるその目は怒りに満ちている。
連れて行ったといっても、無理やりではなくシャルロッテも同意の上であったようだとアリッサは説明した。
それならば怒る必要もなさそうなのだけれど、その相手の男の行動がいけなかった。
突然現れた男とシャルロッテが何やら話し込んでいたかと思うと、神様の用事で留守にするから心配するなとアリッサ達に言付けて出ていったのだ。
その後ろ姿に、ひとりで行かせてなるものかとついて行こうとした途端、主人の隣にいるはずの男の声が耳元でした。
「まあだ、だよ」
それは耳朶を打つ呪わしい言霊であった。
その瞬間、アリッサ達は壁に吸い寄せられたかと思うと、起立した状態で動けなくなったというのだ。
人外の力を手に入れたアリッサにとって、その無力感はとてつもない屈辱であったのだ。
「では、シャルロッテ様はその黒い雄牛とやらと同行して、神様の為になにやらをしていると?」
神様の2文字のお陰で、ラーラは少し警戒を緩めた様子だ。
「うん、そうだと思う。神様に誘われたからちょっと行ってくるみたいな感じだった。でも、でも! ついて行きたかった。この子達だってそうよ! 一緒に行く気だったのよ。なのにあの男だけ連れて行っちゃったの」
自分の言葉に自分で傷ついたかのように、アリッサはしょぼんとした。
それを慰めるように、仔山羊と小鳥がすり寄っている。
黒山羊の聖女である主人が何者かに連れて行かれたとはいえ、本人が神の使命なのだと判断したのだ。
ラーラにとって神と言えば地母神黒山羊で、黒い雄牛とやらもその名前からして神の遣いなのだと判断して気を緩めたのは致し方ないことなのかもしれない。
まさか黒い雄牛なるものが、神のひとりであるなど彼女は思ってもみなかったのだ。
「神の使命というなら、心配は……、いりませんよね? 崇高な役目を果たしにいったのなら……」
自分を納得させるかのように呟く。
「何が心配はいらないよ! あんな男胡散臭いったらありゃしない! 顔ばっか良くったって、いやらしい目付きに胡散臭い笑い方してたのよ? 大体、私達を置いて行ってどうするっていうの?! 置物みたいに固められて、ずっとほおって置くなんて、信じられない! あの男、一体何なのよ!」
手元に布切れがあったら、ビリビリに破いてしまいそうな剣幕である。
「聖なる使命ならば、おひとりで向かう事もあるのではないか? 置いてけぼりを食らったからといってそう怒る事はないだろう」
ラーラは宥めようとするけれど、アリッサの怒りは静まりそうになかった。
一方、ギルベルトは仔山羊と小鳥に色々と問いかけているけれど、言葉が通じるはずもなく単に動物を愛でているような事になってしまっている。
「こうしちゃいられないわ。あんた達! 行くわよ!!」
アリッサの声を聞くと、仔山羊と小鳥はぴょんっと彼女に飛びついた。
「迎えに行ってくる」
黒衣の貞女はそう言うと、仔山羊を胸に抱き、肩に小鳥をのせると窓を開けてひょいっと身を躍らせた。
「アリッサ!!」
呼び止めようとするラーラの手も虚しく、彼女達の姿は闇に溶けて見えなくなった。
「どうやってシャルロッテ様を、見つけるというのか……」
その行動の早さに呆気にとられながらも、ラーラはアリッサのその単純さが羨ましかった。
自分も猪突猛進な気質だとは思っていたけれど、彼女よりしがらみに囚われている。
夜を切り取る四角い窓を、ラーラは所在なさげに見つめた。
「うーん、ほらエーベルハルト侯爵領で、クロさんがクロイヌさまとか言われて騒がれていた話があったろう? あの子はいきなりお嬢さんの前に現れたんじゃないんだよね。確か領地で噂になるくらいの期間、1匹でウロウロしてた訳だ。その時もお嬢さんの居場所を探して何処かから来たんだとしたら、ある程度の居場所を特定出来る何かがあるのかもね」
床に放ったままではあんまりだと考えたのかギルベルトは少女人形を持ち上げながら、ラーラの疑問に答えた。
少々重かったのか、よろめいている。
それを見たダンプティが、手を貸して寝台へと人形を横たえる。
「何か、とは?」
「ほら、神気とか黒山羊様の気配とか、僕達には分からない何かがあるんだよ、きっと」
学者の発言は能天気な都合のよいものだったけれど、言われてみればそのような気もしてくる。
ラーラとギルベルトの会話をよそに、ダンプティが難しい顔をしていた。
「黒い雄牛というと……」
「うん? 思い当たることが?」
黙り込むダンプティにギルベルトは続けた。
「雄牛というと農耕の助けであり、肉は食用に、その糞尿は大地を肥沃にして豊穣をもたらす繁殖力も強い家畜だね。宗教的にも神聖な動物とされている。牛を崇める土着信仰もあるし、神の遣いの名前としてふさわしい気がするけど?」
自分の頭の中の知識を確認しながら言葉を綴る。
家畜として長い時間を人と寄り添う動物だ。
ギルベルトの意見に、どこもおかしなものはなかった。
だけれど、それを聞いて少年は首を振った。
「そうであればよいのだがの。ただの神の遣いなら。ただ、雄牛の前に『黒い』と付くと、いささか具合が悪いのだ。文献には載ってはおらぬかもしれんが、遥か昔のある土着の神に同じ名のモノがおった気がしての。ソレは『破滅の先触れ』とか呼ばれて、権力をエサに人の欲を煽るのが上手いとかなんとか……。単に黒い色の牛という意味であれば、取り越し苦労というものだが」
ダンプティの不吉な言葉に、じわりと汗がにじみ出た。




