553話 講義です
ラーラがいれば安心とはいうものの、彼女は1度乱心した事がある。
それはシャルロッテの身内であるルドルフも聞き及んでいた。
ウェルナー男爵領で妹を守ろうと神話の生き物と対峙した際、錯乱した彼女は手負いの獣もかくやという暴れっぷりを助けに来た騎士団に対してみせたそうだ。
武を修めても、心まで鍛えきれない。
今回、彼女を同席させることに賛同したものの、一抹の不安はぬぐえなかった。
妹のように気負わずある程度鈍感でいる方が心が強いのではないかと、当のシャルロッテには失礼な話だがそう思わずにはいられなかった。
そんな心配をよそに、ギルベルトは好奇心でいっぱいの表情をしている。
それを見ながら兄はやはりこういうある意味、無神経な人間が強いのだと呆れながら納得をした。
少女の部屋の人払いが済むと、ベッドのそばにサイドテーブルを移動させた。
その上に、香炉と木片、それと乳白色の樹脂が置かれる。
「アインホルン殿、一体何が……」
護衛騎士であるラーラは、何の説明もされずにここにいる事に戸惑いを感じていた。
これから行われることに立ち会うようにと言われたけれど、何が起こるというのか。
学者に尋ねてみるものの、その本人も何が行われるかわかってはいなかった。
「この坊ちゃんに策があるそうだよ。まあ、一緒に見てみようじゃないか」
椅子にどっかりとギルベルトは腰かけてラーラに返事をする。
「相変わらずあなたは気が抜けるような態度だな。はあ、私は自分の無力を実感しているよ……。今回もまた、シャルロッテ様の為に何も出来ないというのに」
ラーラが自責の念を吐露しながら、ぐっと拳を握った。
「このお嬢さんは稀有な人生を歩んでいるからね。周りはついていくのにやっとなんだから、無力を嘆く事はないよ。君の役目は彼女の剣だ。そういう場では僕ではてんで役に立たないからね。君に頼り切りだよ? その代わり、頭を使うのは僕らに任せるがいい。とは言っても今回はダンプティの独壇場のようだがね」
少しおどけるように慰めるギルベルトに、ラーラの表情が緩んだ。
ウェルナー男爵領での件の時も、学者は共にいた。
今ではすっかり髪も整えられて、髭も剃られている。
最初ギルベルトを見た時は、もっさりとした白髪と白髭で、隠者という言葉がぴったりの老人のような外見だった。
胡散臭い修道者のような彼をラーラは最初警戒したものだ。
それが今では、どこからどうみても落ち着いた好青年に仕上がっていて、世の中何が起こるかわからないものだ。
彼が功績を上げ王国見聞隊の顧問に就いてからは、それなりの威厳も出てきた気がする。
それが、興味をひくことに出会うと途端に少年のように目を輝かせるのが見ていて飽きない。
おしろさんの時も主人が死んでしまうかと気が気でなかった時、彼は冷静に手配してくれた。
錯乱して大暴れをした事もあって、記憶が曖昧な部分もあるけれど、あの時も皆、生還したのだ。
噛みつき男の時もそうだ。
頼りにならなそうで、皆が頼りにしている。
ギルベルト・アインホルンはそんな不思議な男だった。
この男がいるのだ。
今回も同様に、主人が無事に日常へ戻れるはずだとラーラは強く願った。
「アインホルン殿は、此度の件を神話の生物なるものの仕業と言っておったな。それは当たっておる」
ダンプティは、そう言うとナイトテーブルの横に立つ。
「ただ、そちの考えておるのとは、別のモノの仕業であるがな」
「ようやく、答えを教えてもらえるのかな?」
早く答えを!と急かすように学者は聞いた。
そんなギルベルトを後目に、ダンプティはラーラに話しかける。
「さて、そこな女騎士よ。そなたは取り換え子というのはご存知か?」
「確か妖精の取り替え子でしたか? 各地に伝承が残っておりますね。私の地元にも取り替え子の悪童の話や、乳母が目を離した隙に瑞々しい嬰児が皺くちゃの異形と取り替えられたとかいう昔話があります」
ふむふむと、大仰にダンプティは頷いてみせる。
「さよう。それが一般的に言われる取り替え子であるな。さて、アインホルン殿は学者の立場から、もう少し詳しい見識があるかの?」
まるで講義をするかのように子供がその場を仕切っている。
「そうだね。『取り替え子』とは、人間の赤子と交換された異形の子供それぞれを指す言葉だ。主に耳長人、有翼小人、土墳人の仕業としての伝承が多数残っている」
「ああ、トロールが我が子と人の姫を取り替えたという御伽噺がありましたね」
ラーラが思い出した、というように呟いた。
「うむ、人ならざるモノと人の子を交換するという話が、昔から世界各地に散らばっておる」
「そういえば、一般的ではないけど取り換え子を肯定している宗教があるね」
ギルベルトは饒舌に語り出した。




