552話 お遣いです
挑発的なギルベルトに対して、ダンプティは腕を組み顎を上げて笑ってみせた。
「チェルノフの智慧を侮ってはいかんぞ。時を重ね新しきも旧きも蓄えたのが我が一族である。これは夜が闇深く今よりも恐れられていた頃、影が濃密であった時代の隣人の技。もしかしたら山深い田舎なら未だ見ることもあるかもしれぬがの」
もったいぶるその口ぶりにギルベルトが耐え切れずに詰め寄ろうとした時に、子供は手を叩いて使用人を呼びつけた。
「誰ぞ! 今からいう香料を持ってまいれ」
見舞いに来たのは昼過ぎだというのに、すでに外の日は暮れて窓は閉められて部屋には灯りがともされた。
客の2人は誘われるままに夕食のテーブルについたけれど、家人の表情は暗く沈んで会話も弾まない。
「そう、悲観する出ない。頼んだものが届けば、事の一端は解けることになろうよ」
ダンプティの言葉に一筋の希望がともる。
「先に種明かししてはどうかな? ほら、お嬢さんの家族の曇った顔をみてごらん? もったいぶっても何の得にもなりゃしないじゃないか」
ギルベルトが何とか原因をはかせようと絡んでくるが、ダンプティはそれには答えなかった。
「今ここで言うて何になる。そちの好奇心を満たすだけであろ? こういう事は終わってから伝えるくらいがいいというもの。のう、エーベルハルトの皆の衆」
そういわれては何も言えず、家族は期待をしつつも戸惑った顔をしていた。
博識とはいえ相手は子供の言う事なので、それに縋りついていいのかとその場にいた者の心は葛藤していた。
そうして、天候や近頃の王都の流行りという当たり障りのない話題へと、食事の席にふさわしい会話へと移ってしまうと、ギルベルトは退屈そうに皿の上をフォークでつついた。
食事の締めであるデザートまで食べ終えた頃、遣いに出た使用人が息を切らして帰って来た。
「遅くなりました。いや、もういろんな香水店や香料屋を回って……」
額には汗が浮いてその大変さを伝えていた。
「大儀であった。あれは南の方で採れるものであるし、中々希少であっただろうよ。そうはいっても、大陸の一番北にある我の国では、それこそ手に入らぬものよ。見つけられて重畳じゃ」
そう言ってダンプティは品の入った袋を受け取ると、香炉と火を準備するようにいいつけた。
「そうじゃの、聖女の一族の皆には少々刺激が強いかもしれぬ故、控えてもらってよいかの? 我とアインホルン殿の2人でやろうと思う」
「そんな……!」
ガタンと音を立てて夫人は椅子から腰を浮かせた。
家族は愛娘の回復の為に何でもしようと考えていたが、何らかの処置をするのに立ち会えないのは想定外だったようで動揺が走る。
こんな状態で子供と学者の2人だけに任せるのは、現実的でない気がしたからだ。
そんな中、兄のルドルフが意を決したように声をあげた。
「父様、母様、ダンプティは私達の事を考えて言ってくれているんだ。その通りにしよう」
妙に落ち着いた声の息子が、食卓に響いた。
父母は戸惑いを隠せずにお互い視線を交わしたが、我が子の強い意志を感じて異を唱えることも出来ず頷いた。
ルドルフは、神話生物と対する事の危うさを知っていた。
あの仔山羊の異形や頭の無い巨漢に白い子供達、少なくない回数、神話的事象というものを経験しているからだ。
百聞は一見にしかずというが、その一見で人生が終わる事もあるのを身を持って知っていた。
それらは日常とは真逆の出来事である。
自分自身も偶にその恐怖がぶり返したり、安寧を素直に享受出来なくなってしまっている事を自覚していた。
暗闇に何かが潜む気がして、足が止まる事がある。
窓に何者かが張り付いているのではないかと、そちらを向けない事もある。
これぐらいで済んでいるのはきっと運が良かっただけだ。
そう思わずにはいられなかった。
脳天気な妹のお陰で深刻な状態には陥ることはなかったけれど、確かに自分の魂に何かが刻まれたのだ。
あんな事は知らなければ、その方が幸せというものだ。
こんな思いを両親にさせたくはない。
心が弱ければ、全てが壊れてしまってもおかしくはないのだ。
世の中には知らない方がいい事があるというが、それは本当のことなのだから。
その危険から遠ざけようとしてくれる2人の配慮に、感謝しなければならないくらいだ。
ただ、それを任せるのがこの自分よりも小さな子供という事に一抹の不安を覚えたけれど、このダンプティという子供は只者ではないのはその言動から理解していた。
「ああ、聖女の外聞を考えたら娘御がひとりでもついた方が良いか。あの女騎士はどうであろ?」
シャルロッテの家族の不安そうな様子を見て、ダンプティが提案した。
実際には、心痛に押しつぶされそうな気持を隠そうとしていただけで、そんなことまで気が回らず、心配はしていなかったのだけれどその申し出はもっともなものだった。
「ああ、ラーラがいれば対外的にも安心だね、お願いしようか」
その気の回し様に、やはり見た目通りの子供ではないなと感心しながらルドルフはダンプティの意見に賛同した。




