549話 屍人です
ともかくダンプティ・チェルノフは外国籍の為、国内の権力争いにも無縁であり、今回の件で王宮とエーベルハルト侯爵家を結ぶ人間としては妥当な人事といえた。
さて、王太子の名代といえど未だ幼子といえるダンプティをひとりで派遣するには、いささか外聞が悪い。
とはいえ、ダンプティは利発な子供であるが偏屈なところもあり、下手な大人を付けても反発してしまうことだろう。
本来の保護者であるチェルノフ卿は「身を肥えさせなければいけません」という、よくわからない理由で外交官としていろいろなところへ顔を出しては人との交流に勤しんでいるせいで予定が空かないときていた。
周囲の人間は「身を肥えさせなければいけない」というのは、最北国のことわざか何かだと思っていて気にも止めていなかったが、急にほっそりとしてしまった体を元のように太らせたいという身体的な現実の欲求だとは考えもしていないようであった。
そういった理由で、彼の保護者としていろいろ検討された結果、王立見聞隊顧問であるギルベルト・アインホルンが選出され付いて行くこととなった。
「アインホルン殿は、此度の件、どう思案しておるのか?」
馬車の中でダンプティが古めかしい言葉をまじえながら、急遽決まった保護者へと質問する。
対してギルベルトはその口の聞き方を気にもとめず、暢気そうに答えた。
「お嬢さんのことだから、また何か神話の生物か面倒事に絡まれているのだと思うよ」
侯爵家や関係者の面々が必死で原因を究明しようとしているというのに、彼の言葉に深刻さはない。
まるでお腹がすいたから何か食事をとろうとでもいうような軽い言い方である。
彼にとっては腹がすくのと同じく、少女が面倒事に巻き込まれるのは当たり前の出来事なのだ。
「神話生物とは剣呑剣呑。いかな怪物とて聖女を前に無事ではおられまいというに」
少年の北の国特有の非常に明るい金髪の髪が日差しを受けて光っている。
大人のチェルノフ卿の方の頭には毛髪がないので、彼も子供の頃はこんな髪をしていたのかとギルベルトは失礼な事を考えた。
「それがねえ、脈も体温も低くておかしな状態だというんだ。仔山羊達の様子も妙なのらしい。なんだろうね、気力を食らう神話の生き物とかそういうものだろうか? それとも体温を掠め取る何かかな?」
言葉だけみれば心配そうなのだが、声のどこかに楽しそうな含みがある。
ダンプティは、それを感じ取ったのか胡散臭そうに学者であるギルベルトを眺めた。
「病の可能性を考えもせんのだのう。いつの時代も怪異に魅せられる人間はいるというものだが、こうも深淵に近付き溺れる寸前の者が聖女の近くにいるとは。その好奇心ちいと遠慮してはどうか」
まるで不謹慎であるかのように子供は窘めるが、当の本人には響く様子もない。
「君、なんだって僕達が呼ばれたと思ってるんだい? 病気なら到底僕らが敵わない何人もの名医が診てるんだから、そっちに任せるのが正当ってものだろう。僕達は僕達に出来ることをすべきじゃないかい?」
「む、そちは我の付き添いであって……。まあ良い」
ガラガラと音を立てて王都の石畳を馬車は走っていく。
国の情報を扱う王国見聞隊の顧問である彼は、シャルロッテ・エーベルハルトの現状について表向きではない実際の症状を把握していた。
少年の保護者としてだけではなく神話生物の研究者であるギルベルト・アインホルンにその方面から少女の診断をさせたいという王太子の思惑もあるのだろう。
「体温を奪うモノか。はてさて、そんな珍妙なものがいるのかと問いたいところだが、何でもありが神話のモノ達であるか」
「これはまた違うんだけど君、屍人粉を知っているかい?」
学者が前のめりに少年に詰め寄った。
「残念ながら耳にしたことはないのう。これまた物騒な響きじゃ。屍人を作る粉とでもいうか」
「そう、これは南国のある地方に実在する粉なんだけどね、一般的に屍人というのは墓から起き上った者を指すだろう? 起き上がった者の一部が屍食鬼と変貌するのは今はおいておいて、その地方では黒山羊と共に蛇の化身の精霊を崇める土着信仰が盛んで、犯罪者や異端者を罰する際に屍人粉を使うんだ」
これから授業を始めるとでもいうように、目を輝かせながらギルベルトは得意げに鼻息をならした。
「生きた人間を襲う有害な屍人なぞにしてどうするというのだ? 死刑に近い扱いであろうが生かしたまま労役に就かせた方が余程有意義というものではないかの」
「それだよ。なんと屍人粉は人を毒で仮死状態にして、脳にダメージを与えるものなんだ。はたからみれば起き上がりなんだけど、その実は死んでいませんでしたってね。で、粉に頭をやられた人間は判断力を持たない従順な奴隷になるって寸法さ」
「なるほどの。社会的に死を与えられ奴隷として生まれ変わるか。空恐ろしい話よの」
「一般の屍人は死んでいるけれど、この屍人粉を使ったとしたら今の彼女のような状態になると思わないかい? まるで仮死状態で動いているとでもいえるだろう?」
「不敬な! 我が主をなんとする!!」
能天気な口調で語られる内容に、ダンプティは激高した。




