548話 診察です
「これは……、うーん」
最初に呼ばれたのはエーベルハルト侯爵家に仕える侍医であった。
長年、侯爵家の人々の健康を預かり、シャルロッテの事も赤子の頃から見てきた医者だ。
医者は脈をとったり額に目を当てたりしながら、難しい顔をしていた。
少女を診察してみたものの、鼓動も弱く体温も低すぎる。
肌は血が通っていないかのように白く透明で、おおよそ生きた身が持っていいものではない。
こんな症状は、長年医者として患者を診てきた侍医には見当もつかなかった。
わけがわからないとしか言いようがなかったのだ。
この状態で生きているというのは、死んでいないというだけではないかという、医者にとってはおかしな考えに囚われそうになったものだ。
だけれど少女は昏睡するわけでもなく、息も荒かったり、苦しそうな様子もない。
かと言って意識がはっきりしているかというと、こちらの質問に対して頷いたり、言われた事を繰り返してぽそりと返しはするものの、一向に会話は成り立たない。
微睡んでいるようなそんな様子である。
手を上げられるかと問われれば上げられるし、起き上がれますかと質問されれば、小さく返事をしてから体を寝台から起こして立ち上がることも出来る。
歩けるかと聞かれれば、少々ふらつくものの小さな歩幅で前にすすむ。
その様はまるで拙い操り人形のような、夢遊病患者のような、なんとも頼りないものであった。
「一体なんだってこんな……」
医者にはこの症状が病気なのか、呪いのような不確かなものがもたらすものなのかどうかさえ、判断つきかねるものであった。
目の前にいるのは、その美しさも相まって、もしかしたら技巧を尽くした人形と言う名の芸術品ではないかと疑うことさえ何度もあった。
その後、内密に名医と呼ばれる何人かの国内の医者が呼ばれて診察をしたけれど、彼らは自分の無力を嘆くだけで結果は変わる事はなかった。
原因不明の症状である。
地母神教の聖女であり、王国の王太子の婚約者である少女の不調は、いろいろなところに影響が出るものだ。
エーベルハルト侯爵家では混乱を避ける為に、シャルロッテの病状は伏せたまま静養中とだけ対外的に伝えることになった。
王室には、真っ先にその報が伝えられた。
王太子フリードリヒは、すぐさまエーベルハルト侯爵家へと駆け付けようとしたが、止められることになる。
王族が相手が婚約者とはいえ、そうそう気軽にタウンハウスに訪問する事は出来ない。
早々に先触れを出し、相手に充分に準備の時間を与えるのが形式だ。
王宮に構えて貴族を迎えるのが王族なのだから、出向くとなれば王宮側も迎える方もそれなりの準備が必要なのだから。
手順を飛ばして下手に駆け付けようものなら、シャルロッテの病状が重篤であると周りに喧伝しているも同然である。
そしてなにより、シャルロッテの病状がはっきりとわからない限り、王子が会う事は叶わない。
もし、伝染する未知の病だとしたら、それこそ王族を守る為、面会させるわけにはいかないのだ。
そんな訳で、フリードリヒは苦肉の策として王宮で教育を受けているダンプティ・チェルノフを王太子代理として侯爵家へと派遣することと決まった。
そもそもダンプティは最北国ノートメアシュトラーセの外交官であるハンプティ・チェルノフの縁戚であるが、子供ながらにシャルロッテ・エーベルハルトに忠誠を誓っている身である。
保護者であるハンプティもそれを是として、異例ながら将来的には聖女の住まう宮殿、午睡宮での家令なり執事なりの極めて名誉な地位に就く事が決まっている。
子供の身であるが周囲が認める程聡明で、身元も保証されており、最北国との親交の為にも王宮からも歓迎された存在であった。
本人には明確な爵位は与えられていないが、チェルノフの一族は最北国の歴史ある名家でもあり、その身分にも申し分ないといえる。
一説にはダンプティは、ハンプティ・チェルノフがリーベスヴィッセン王国の女性との間に設けた非嫡出子ではないかという話がある。
何故かといえばチェルノフ卿が病の為、一時身を隠した時期があった。
快癒後ダンプティと連れ立って王宮に顔を出した事もあり、病床に臥せ気が弱くなった彼が日陰の身である我が子を公表して表舞台へ出られるよう取り計らったのではという、もっともらしい話が尾鰭をつけて語られたりもしたものである。
だが、それは彼の国の問題であり、彼の家のお家騒動でしかなく、王国としてはその出自が国として保証されているのなら、不問であった。
下手につついて外交問題に発展しては事だからだ。
その件でひとつ忘れてはならないのは、大柄で所謂肥満であったチェルノフ卿の身体が病後すっきりお腹が凹んだ事で、実は病気ではなくチェルノフ卿がハンプティを産んだのではないかという荒唐無稽な与太話が紳士淑女の間で冗談として語られた事があった。
娯楽誌にも仰天報道の賑やかしのひとつとして小さく掲載されたものだが、誰も真に受けることもなく一笑に付されたものだ。
そこに真実のひと匙が隠れていたのに気付く者はいなかった。
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