538話 やりとりです
ロルフはジーモンが食堂への出入りを嫌がっているのを察すると、細工師への夕飯の配達のついでだと鍛治小屋で食事出来るように、はからってくれた。
他者から悪意を向けられる事には慣れていたけれど、厚意に対してどうすればいいのか、どう振る舞えばいいのか、ジーモンは知らなかった。
彼には、ただただ料理の材料に困らないようにと、猟に精を出すしか出来る事はなかった。
ロルフには恩を感じていた。
だからこそ、娼婦とは別に新しい食堂の手伝いが増えるという話は嬉しいニュースであったのだ。
それなのに来るのが、子連れの老女なのだという。
ジーモンは苦悩するしかなかった。
その日、目にした老女は不器用そうに小川でシーツを洗うと水を絞ろうと苦戦していた。
その手際の悪さは、おおよそ洗濯などした事もないことを物語っている。
どうやっても、その細腕では無理というものだ。
そうこうしているうちに、相手もこちらに気付いたようだ。
「ご機嫌よう、ジーモンさん」
老女はにこやかに声をかけてきた。
まさか行儀正しく名前を呼んで挨拶されるなど、思ってもいなかった。
目を反らすなり、見ないふりをするものだと信じていたので、どう反応すればいいものか。
自分がこの老女に嫌がらせをしている事は気付かれていないはずのに、どうにも居心地が悪い。
仏心が差した訳ではないけれど、洗濯したシーツを持て余しているようだったので、つい手伝いをしてしまった。
向かい合って突っ立っているよりも、シーツを絞ったり何かしている方が気が楽なのもあった。
「これなら早めに乾きそうですわ。ありがとうございます」
丁寧に、感謝もされる。
老女と一緒にいた少女は、怯えたように彼女の後ろに隠れていた。
貴族の親に捨てられたやせ細った少女と、その世話をする老女。
おかしな組み合わせだけれど、ジーモンにはそのおかしさに気付く知識はなかった。
わかるのは吹けば飛びそうな無力な2人だということだけだ。
そんな彼女達の生活を脅かすような真似をしているのは自覚している。
ジーモンは自分の後ろめたい行為を振り返りながら、自分の小屋へと向かうと手慰みに作った犬の木彫りを手にとって少女へと渡した。
それは単にこんなところへと追いやられた少女への同情だったのかもしれない。
遊ぶものもなく気の毒に思ったということもある。
それよりも単に償いの意味もあったのかもしれない。
本人が自覚出来る明確な理由はなかったけれど、この少女に何かしてあげたくなっただけなのだ。
それだけは確かであった。
少女は犬の木像を手に取ると歓声を上げて喜び、目を輝かせた後、たどたどしい言葉で礼を言う。
自分が作ったものにこんなに喜んでくれるなんてと、心が温かくなった。
自分が子供の時も、父親が木彫りの人形を与えてくれたのを思い出した。
自分もこうやって喜んだのを思い出す。
ただ、それだけ。
交流はそれだけにしようと思っていた。
けれど、今、彼の前には老女が立ちはだかっていた。
そして、彼がしてきた事に対して問いただしている。
覚悟を決めなければならない。
この場所のこと。
自分がしたこと。
されたこと。
ジーモンは真っすぐに私を見つめ返してから、縦に首を振った。
行為を肯定したのである。
胃がきゅっと痛くなる。
自分に嫌がらせをしてきた人と立ち向かわなければいけないのは苦行だわ。
この人は素朴で優しい人のはずだ。
そんな人に避けられるならともかく、嫌がらせをされるなんて。
彼には貴族というだけで、そうまでしてしまう何かがあるのかしら。
「私達を嫌うのはよくわかりましたわ。ここはあなたの縄張りみたいなものですものね。そんなところに踏み込んでしまって申し訳ございません。でも私達には、行くところがありませんの。目途がつきましたら出ていきますから、それまでいさせてもらえませんか? なるだけあなたの目につかないようにしますから」
思いつく限りの言葉を口にする。
それを聞いてもジーモンの意志は和らぐ事はないようで、首を強く横に振った。
少しくらい譲歩してくれてもいいじゃない。
こっちは子供を連れて行く当てがないのよ。
私が憤慨すると、彼は枯れ枝をひろい地面に文字を書きだした。
『すぐに』
『出ていけ』
朝書かれていた文字と同じ筆跡だ。
頭が痛くなる。
出て行けるものなら、とっくに出て行ってるっていうのに。
抗議の声をあげようとすると、それよりも先に文字が書かれた。
『呪い』
それは好きとか嫌いとか、貴族とか関係ない話であったのだ。
何度も何度も、ここに来て耳にした言葉。
彼は書きなぐった。
地面の文字は増え続けていき、私は文字に囲まれる。
『鉱夫』
『骨』
『折れる』
『人』
『消える』
『新しい』
『鉱脈』
『呪い』
『始まり』
『出て行け』
『早く』
ガリガリと音を立ててジーモンは文字を羅列した。
その音を気に入ってか、真似してアニーも木の枝で地面をひっかいている。
カリカリ
『ほね』
カリカリ
『ほね』
カリカリ
『ほね』
カリカリ
『ほね』
カリカリ
『ほね』
音を立てて地面に刻まれていく文字が、増えていく。
私を追い詰めるかのように。




