535話 季節の行事です
ここには大人用の靴と手袋しかないので、かなり不格好だけれど栗を拾うにはこれくらい頑丈で大きい手袋の方がいい気がする。
脱げてしまわないように、手首と肘の部分を紐で縛れば問題ないだろう。
エプロンにもともと履いていた子供靴の上に革靴を履かせて、二の腕まであるぶかぶかの皮手袋。
不格好だけれど、栗の棘は危ないもの。
それに、これはこれで可愛らしい。
アニーにとっては特別な栗拾い装備みたいなもので、それは厳重な鎧のようなものに感じられたのだろう。
興奮して、既にふんふんと鼻息を荒くしている。
私も革手袋に火鋏も装備して、さあ準備万端だ。
「じゃあ、お願いね」
アニーは落ちているイガ栗とイガから零れ落ちた実を籠に入れる係だ。
割れたイガの間からツヤツヤとした栗の実が見えているけれど、アニーにはそれを取り出す事は難しかったので、イガつきのまま籠へと入れてもらっている。
実際には、ひとつずつ丁寧にそっと持ち上げてその棘を宝石のように眺めては「ふぉおお」っと感嘆の声を上げているので、効率は良くないけれど、これも彼女の心の栄養になるだろう。
彼女の目には、宝石も栗も等しく美しいものに映っているに違いない。
枯れ葉のフカフカな地面、踏みしだく音、そして匂い。
そのどれもが日常にはない特別なものだ。
アニーの作業がゆっくりな分、私は靴でイガ栗を挟んでは火鋏で中身を取り出すという工程をテキパキとすすめた。
料理だけでなく、お菓子にも使いたいので沢山収穫しないとね。
木の靴は足に密着しないので快適とはいえないけれど、イガ栗を抑えるのに特に適していた。
木靴には栗の棘なんて、なんのそのなのである。
エーベルハルトのカントリーハウスにも栗林があって、毎年秋には兄と栗拾いをした。
兄だけでなくハンス爺やマーサ、手が空いている使用人総出で拾いに行ったものだ。
貴族が栗拾い?と思われるかも知れないけれど、エーベルハルトでは普通のことであった。
自然豊かなカントリーハウスでは、季節ごとに森の恵みを楽しめた。
ベリーを摘んだり果実をとったりするのは当たり前の事で、特別おかしな事ではなかったしそれは楽しい行事のひとつなのだった。
特に栗は栄養も豊富であるし、大事な保存食のひとつなのだもの。
元々は農民の食べる物だったので、貴族というものを拗らせた権力者などの1部では栗を食べる事を軽蔑した事もあったそうだが、今では普通に食されている。
おいしいものには、地位も名誉も関係ないし抵抗出来ないということだ。
そういえば、クロちゃんがイガごと栗を食べてしまった時は驚いたものだ。
まるでケロリとしていて、傷ひとつなくクロちゃんの丈夫さを証明して見せていた。
あの時を思い出して、くすりと笑う。
秋の高い高い空の下で、栗を拾いながら懐かしく私の家族を思う。
アニーが大きくなった時、この栗拾いを思い出して懐かしんでくれるかしら。
そうして手足を動かしているうちに、アニーと私の籠2つ分の収穫が出来た。
上々の結果といえるだろう。
栗というのは落ちているものを拾うだけで、果実のように木からもいだりはしないけれど、十分やり遂げた感があって満足だ。
さて、そろそろ帰ろうかと言う時、ジーモンさんが現れた。
相変わらず神出鬼没である。
猟師であり鍛冶師である彼は、厳つくいつも暗い目をしていた。
こんなにも秋の山は色鮮やかで、彼は多才であるというのに何が不満なのか、喜びを知らないというような表情である。
それでも彼は優しい人間であったし、その暗い影を理由に他人を害そうとはしない理性的な人であった。
「こんにちは、ジーモンさん。栗拾いに来ましたのよ。今日の夕食にも使いますので、期待していてくださいね」
私がそう言うと、彼はゆっくりと頷いてみせた。
「じー!」
その周りをアニーが声を立てて笑いながら回っている。
木彫りの犬をもらってから、ジーモンはアニーのお気に入りだ。
彼は少女を抱き上げて高い高いをしている。
鉱夫にされた時は恐怖に身をすくめていた彼女も、ジーモンに敵意がないのがわかるのか身を任せて
喜んでいる。
喋らない彼とは私が一方的に喋るしかないけれど、それほど交流は苦でなかった。
外見は厳つくてもジーモンのアニーへの対応は、丁寧で優しさに溢れていたし、私にも敬意を払ってくれているのが伝わる。
荒くれの鉱夫達と比べたら、物静かで紳士的と言ってもいいくらいの安心感がある。
彼はしばらくアニーの相手をしてから、手を上げて挨拶すると、去って行こうとした。
私はその背中に疑問を投げかけた。
「ねえ、ジーモンさん」
彼が足を止める。
私は続けた。
「何故、あなたは私達をここから追い出そうとするのですか?」
それを聞いた彼は、振り返って目を見張った。
「小屋の前に血を撒いたり地面に✕を描いたりしたのは、あなたですよね」
彼は、私を見つめながら呆然としていた。




