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黒山羊様の導きで異世界で令嬢になりました  作者: sisi
第六章 シャルロッテ嬢と廃坑の貴婦人

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525話 成就です

 精神に入った小さなひびは、些細な衝撃で亀裂となり、全体に広がっていく。

 2人分の恐怖、痛み、困惑、絶望、それらが蜘蛛が紡ぐ美しい紋様のように、衰弱した少女の心の隅々までその糸を伸ばした。

 そうして2人の魂を繋いだ宝石と共に、それは砕けたのだ。


 悪夢から解放されたというのに、哀れな少女は自分がバラバラになった事を理解出来ないまま壊れてしまった。

 悪夢の中の食い荒らされた身体のように、心が砕けて散ったのだ。


 その後の事は覚えていない。



 気付いたら少女はここにいた。

 暗く光もない空間。

 そこで横たわっていた。

 靄がかかったような思考で、何が起きているかも分からないまま泣き叫び、混乱していた。

 ひとしきり騒ぐと、それもやめてぼんやりと休む。

 思考をする事もなく、泣きたい時は泣き、喚きたい時は喚いた。

 しかしそれすら少女の奥底では、他人事のように心は何も感じていなかった。

 心がいくつもに砕けて、あちらこちらに散らばって、欠片として横たわっていた。


 暗闇の中、ひとりの老婦人がやってきた。

 微かな火の灯りの中、犬の顔を持つ人がやってきた。


 連れ立って、己の足で踏み出し、外の空気、水の冷たさ、葉の青い匂い、空の果てなさ、少女の中にいろいろなものが飛び込んできた。

 鮮烈な色、匂い、温度、湿度、触感、音。

 何もかもが新鮮で、手を広げたすべてが自分のもののように感じられた。


 体の底から喜びが湧いて出て、どうしていいかわからない。

 それでも手を伸ばして、そうして伸ばした手は、そばにいる2人がとってくれる。

 それがうれしくてたまらなかった。


 人の温もりが少しずつ心に染みて、それは割れた陶器を金継ぎするかのように、壊れた欠片を繋いでいった。

 バランスのとれない心と体は、ほんの少しずつ繋がって、少しずつ育っていく。




「うちの子に、なにやってんのよ!!」



 その声が何度も何度も心に響いた。


 うちの子

 うちの子

 うちの子


 その言葉がこだまする。

 いらないと言われた自分へ向けられた言葉。

 誰でもない居場所の無かった少女へ向けられた言葉。

 それは衝撃といえる強さで心を打った。



 おかあさまでは ないけれど

 わたしを うちの子だと いってくれるの?



 絶望にまみれて、蓋をした心があふれ出す。

 その緑の瞳から、堰を切ったように涙が溢れ出す。

 そうして声を上げて泣いた。


「大丈夫よ、もう怖くないわ」


 老婦人は、震えながら少女を抱きしめた。

 震えている。

 老婦人だって怖かったのだ。

 当たり前だ。

 誰だって自分より強いものへ向かおうとすれば怖いのだ。


 あの少女にさえ自分は立ち向かえなかった。


 温かい。

 とても温かいものが少女の心を満たしていった。


 怖かったけれど、だけど違う。

 怖くて泣いているんじゃない。



 うれしくて しあわせで ないているの



 それは言葉にはならなかったけれど、この気持ちが伝わってくれるといいなと少女は思った。


 少女は気付いていなかったけれど、彼女の望みはかなえられたのだ。

 皮肉な事に、神は叶えてくれていた。

 それは邪神の企みの一端でしかなかったけれど、この穏やかな日々は少女の短くない人生の中で輝き色褪せぬ尊いものであったのだ。




「おう! また泣き猪が獲れたってよ」

 ロルフが、ご機嫌で艶やかな獣の内臓を持って食堂へ帰ってきた。

「へっ……」

 思わず間抜けな声が出る。

 頭の中に蘇るのは、初日に食べた獣臭い煮物の強烈な味。

 今、思い出してもクラクラするわ。

「あっ、ああ、ジーモンさんは本当に……、本当に、良い狩人ですね……」

 咄嗟に何と言っていいかわからなくて、どもりながら言葉を捻り出す。

 それほどまでに、あの味は強烈だったのだ。


「本当にな。朝早くから仕事をするし、勤勉で良い奴だよ」

 私はどうにかあのモツ煮を回避出来ないか、記憶にある料理のレシピを反芻する。

 わかっている、好き嫌いする自分が悪いのだ。

 その証拠に男達は美味しそうに食べていたではないか。

 食べられない自分が未熟なのだ。


 でもアニーだって食べるのを拒否したし、そう、癖が強いのよ。

 万人向けの料理ではないというだけだわ。

 癖が強いのは個性的でいい事だけど、食堂の料理としては微妙よね。

 だって大勢の口に入るものなのだから、偏った味ではあまり歓迎されないのではない?

 私は誰に対してでもなく、言い訳をつらつらと心に浮かべた。


 内臓は癖が強すぎるのよ、かと言って捨てるにはもったいない実情は充分にわかっている。

 贅沢を言える立場じゃないし、食事が出来るだけ恵まれているのだ。

「あの、ちょっと私に料理をさせてはいただけませんこと? いえ、あなたの腕は良く知っていますわ。不満と言う訳ではありませんの。ほら、いつも私はデザートとかしか作ったことがないので、メインの肉料理にも挑戦したいと思っていたところですの」

 いつになく口数が増えてしまうのは、やはり後ろ暗いからだろうか。

 夕食のメインを作らせろなんて、料理人の縄張りを荒らしているようなものだもの。

 でも、どうせなら工夫してちょっとでも口に合うものにしたいじゃない。

 私のわがままからであることは承知している。

 ドキドキしながらロルフの返事を待った。






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