517話 夢の居場所です
ああ、もうすぐ夜が明けるわ
今日の夢はこれで おしまい
また いいひに おはなしを しましょう
声が小さくなっていき、光が満ちた空間に帳が降りる様に全体的に暗くなっていく。
私は咄嗟に声を上げた。
「またいい日とは、どういう日のこと?」
前回も同じことを言われた。
いい日でないと話が出来ないというのだろうか。
この夢を見るというか、彼女の出現になにかしらの条件があるのか疑問だったからだ。
そんな私をよそに夫人は歌うように、鷹揚と答えた
はれわたるそら そのちへいせんのかなた
かのちがうかぶ そのときにわたしはみちる
それは謎かけのような漠然とした返事だった。
「どういうこと? もう少し詳しく」
そう続けると同時に私は夢から覚める。
手を虚空へと伸ばして、夫人を掴もうとしていたかのようにベッドの上で私は目を開けた。
夢だけれど夢じゃない。
私は確かに夫人と話していた。
横ですうすうと寝息を立てるアニーを眺めながら、今見たものを反芻する。
オイゲンゾルガー伯爵夫人はアニカ・シュヴァルツによって不貞を冒した結果、ああ成ってしまったようだ。
夢で語り掛けてどこかへと誘う存在?
そうなったのは夫である伯爵に、何か恐ろしくて光るなにかのところへ追われたせい?
そんな生き物は聞いた事がない。
全然情報が足りなかった。
ここで暮らす様になってから夢を見る様になったのだから、この鉱山のどこかに夫人はいるのかしら?
助けを求めているというよりは、人を呼んでいるのは確かだ。
だって一言も自身を救ってくれとは言わなかった。
それどころか現状に満足さえしているのだ。
そういえば朧水晶が歌うとかいう噂があったけれど、あれはこの夢の事を指しているのではないだろうか。
王都の商人のところで夢見が悪いと悪夢除けの水晶の取り扱いが増えたのは、この夢に不吉なものを感じた結果なのかもしれない。
光が満ちて幸せそうな空間なのに、何故か違和感を感じる夢だもの。
知らない女性に何度も呼ばれたら、気味が悪くて気分も塞ぎがちになってもおかしくない。
この鉱山から離れた王都で噂になっていたのだから、そうすると出荷された朧水晶がそのきっかけになっているということよね。
それならば辻褄があうような気がする。
朧水晶がなんらかの媒体となって、夫人を人々の夢に呼びこんでいるのではないのか?
そんな馬鹿みたいな考えと思いつつも、すべてを朧水晶に繋げるのをやめられない。
彼女の最後の言葉を思い返してみると、あれはアニーがおかしくなった夜に言っていた事と同じ文言のようだった。
晴れ渡る空 その地平線の彼方 彼の地が浮かぶ
彼の地がなにを指しているかはわからないけれど、考えて見ると夫人の夢をみたのは晴れた日の夜だった気がする。
最初にあの夢を見てからしばらく雨であったり曇っていて天気が悪かったのを覚えている。
だから夢にはでなかった?
彼女の出現には天候が関係すると考えていいのではないかしら。
「雨の日に支配人が運び出してるらしいよ」
ふいに、脳裏に娼館で聞いた女達の一言がよみがえる。
あれは朧水晶を運び出すという話だった。
そう、雨の日は鉱夫達の仕事は無くなって鉱山支配人のグンターが水晶を運び出しているというようなおかしな内容であった。
光るなにかになった夫人は晴れた日にしか出て来れなくて、雨の日に鉱山から水晶は運び出されるというのはなんといっていいか妙な符号だ。
よく考えるのよ。
ここでは何がおかしな事が起きている。
いなくなった人達は、本当に脱走したの?
小金を掴んで町へ降りたのではなかったら?
「たいけて ようこえ」
アニーが私の思考に答えるかのように、眠ったままぼそりと呟いた。
その寝言にぎょっとする。
この子はなんというかこういうところがあるのよね。
不思議な子。
共感性が高いというか、しゃべってもいないのにこちらの考えに追従するというか。
それは廃墟の壁に刻まれていた言葉だ。
「助けて 呼ぶ声」
あそこにいた人も夢を見たのだ。
そして抗えずに誘われて行ってしまったのではないか。
呼ばれて、どこかへと行ってしまった?
夫人のいる場所は分からないけれど、この先あの夢を見続けたら私もそこへ行ってしまうのかしら。
そうしたら夫人と同じようなものとなってしまうのだろうか。
ゾクリッと怖気が走る。
光の眩く煌めくどこかに、夢に誘われた人々がみっしりと詰まって口々にこちらへ来いと声を上げている想像をしてしまった。
そう、私の想像通りならば、あそこにいるのが夫人ひとりだけである訳がないのだ。
日本の船幽霊ではないけれど、人ならざるものとなってしまったもの達が、幾つもの腕を伸ばし人間を仲間にしようと引き込もうとしていてもおかしくない。
アニカ・シュヴァルツが見つけたのは、本当に水晶の鉱脈だったの?
人の命を求める忌まわしい何かを見い出したのではないだろうか。
だからこそ黒い雄牛は、私をここに連れてきたのではないだろうか。
雄牛からの手紙を読むに、あのファザコンの神様は私にちょっと嫌がらせをしたかったようなのよね。
苦労しただろとか怖かっただろとか書いてたもの。
実際は困惑はしたけれどグーちゃんのお陰で不安も少なかったし、出口への道に迷う事もなかったけれど。
もしかしてあの神様にとって、この鉱山は遊園地のお化け屋敷のようなアトラクションみたいなものなのかもしれない。
アニカとの繋がりは分からないけど、この不可思議な場所に私を放り込んでどこかから見て楽しんでいるのではないだろうか。
私はギュッと唇を噛んだ。




