514話 アニカです
幼いアニカは賢者としての名を上げるための一環として、廃鉱山を甦らせるという奇跡を起こしてみせた。
事実として枯れた鉱脈が甦った訳では無いし、山師に言わせたら彼らの仕事と同じで新しい鉱脈を見つけたという形であり奇跡でも何でも無い事であった。
だけれど山を知らない子供が廃坑を迷うこと無く進み鉱脈を、しかも新種の鉱石を見つけたのだからそれは賢者の逸話として相応しいものである。
アニカにとってオイゲンゾルガー伯爵夫人は、その一連の流れに付随したただのモノであった。
虚飾を愛する少女にとって、自分を賞賛する取り巻きは何人いても困るものではなく歓迎すべきものであったが、最初は何の興味も引く事もなく無邪気な少女の演技に騙される聴衆のひとりでしかなかった。
ただ夫人は、彼女へ感謝と尊敬、そして我が子を見つめるような慈愛の眼差しを向けていた。
慈しむ優しい瞳。
それがアニカの目に止まったのだ。
平凡で善良であるだけの女。
同じく善良な夫と身を寄せ合い慎ましくも幸せな家庭を守る女。
つまらないどこにでもいる雑踏に紛れてしまいそうなその他大勢のひとり。
それはどこか、前世で自分が殺した女を思わせた。
アニカの前世の生き方は、今と大差の無いものだった。
いつでもどんな場所でも自分が1番でいたかった。
自分よりも優れた者がいれば、言い掛かりを付けては被害者を装い、時には癇癪を起こし威圧して人の弱点を見つけてはそこに付け込んだ。
そんな生き方は周りの人間が幼いうちは上手くいったけれど、大人になるにつれてなかなか通用しなくなる。
それでも口先だけで努力をしないで味わった美味しい立場を忘れる事は出来ない。
腫れ物のような扱いをされ周りから人がいなくなると、コミニュティを変えそこでまた同じ事を繰り返した。
それまでの生き方を変えることなく生きていくのに、彼女が水商売を選んだのは必然であった。
自分を飾って笑いかければ男達は皆、金を落とした。
昔取った杵柄で、不幸な身の上や店の他の女からいじめられていると嘘を涙目で訴えれば、簡単に男の気は引けたのだ。
他の女は敵であり男は金ヅルであり、また自分の味方でなければならなかったのだ。
その歪んだ価値観は正しくはなかったけれど、夜の女の世界でのし上がる手助けとして大いに役に立ったものだ。
そうして金稼ぎと男達の歓心を買う術を得たが、同時に同じ業種の男に振り回される人生であった。
当時、同棲をしていたが興味本位で訪れたホストクラブが彼女を虜にした。
煌びやかな空間に、耳障りの良い言葉、お姫様のような扱い。
これこそ彼女が求めていたものであったが、そこに居座るには限度があった。
男を騙し得た金を別の男に貢ぐ生活。
それは永遠に満たされる事のない乾きのようであったが、彼女にとっては確かな幸せであったのだ。
夫人のような人間は、アニカにとって対極にいるようなもので、そんな平凡な人生は真っ平御免とせせら笑っていたものだ。
そしてそんな彼女の人生は、平凡で凡庸なひとりの女性を車で轢いてしまった事で崩落していった。
ぼんやりと道に佇む女を轢いたせいで、自分の幸せは失われてしまった。
世間は弱者に味方をする。
被害者の家族や裁判時に、弱弱しくも泣いて反省して憔悴した姿を見せて執行猶予付き判決を勝ち取った。
だけれど賠償の為、借金を抱えたせいで男には逃げられ、ホストクラブに通う金もなくなった。
幸せが手からすり抜けていくのがわかった。
荒れ狂う彼女に付き合いきれないと、家族も友人も離れていった。
そんな憐れで可哀想な自分を慰めて欲しくて、自分は悪くないそもそも被害者の行動がおかしかったと同情を釣る為に脚色してSNSへ書き込んだ。
意外な事に反応が良く、事実を歪曲しながらも状況を小出しにしながらそれを楽しんだ。
そこでは自分は悲劇のヒロインであった。
頭のおかしい女性が喚きながら車に飛び込んできたのだと主張し、顔も知らぬ人々から同情を寄せられる事で溜飲を下げる事だけが慰めだった。
それが運の尽きだった。
どこからか事実を突き止める人間が現れて、被害者の家族へと話が伝わる。
家族はSNSで反論をして、それは炎上した。
人を轢き殺しておいて自分が被害者だと主張していたのだから叩いて当然とバッシングが始まった。
彼女を待っていたのは、これまでの虚言で周りを振り回してきた行動のツケともいえるものだった。
自分自身、忘れてしまっていた過去の行いが掘り起こされ、赤裸々に語られる。
やってもいない事まで脚色されて独り歩きをしていく。
それはある意味、自分が他人にしてきた事がそのまま返ってきただけだったが、彼女にとっては初の事であった。
身も知らぬ人間に揶揄される。
顔も知らぬ人々が正義を掲げて自分を糾弾するのだ。
それは彼女にとって耐え難い屈辱であった。
何もかもあの女のせいだ
なんだってあの時間にあの場所にいたんだ
私が何したって言うの
あの女があそこにいたのが悪いんだ
私は悪くない
悪くない
悪くない
その祈りにも似た憤怒と怨嗟は匂い立つほどに濃厚で、そんな彼女の前に美貌の黒い肌の男が現れる。
「君が輝ける世界へ招待しよう」
魂が震えるほど美しい声でそう誘われた。
「誰もが君を讃える世界へ」
「君がお姫様になれる世界へ」
その話に乗らない訳がなかった。
ここではないどこかへ行けるのなら
ここはもう失敗
いいや、私がこの世界を捨てるのだ
こんな世界は捨ててやる
こんなのもういらない
ここは私の場所じゃない
そう叫びながら彼女は男の手を取った。
せめて虚構の中だけでもとネットの中で揺蕩っていた彼女の真実を暴いたのが、その男であるとも知らずに。
すべては神の導きのままに。
神はそれを望まれる。




