52話 落とし仔です
「ナハディガル様、一体何をおっしゃってるのですか。周りが誤解しますのでやめて下さい」
騎士宣言など、本当にやめて下さい。
「すでにあの茶会の日に、騎士の任命式は成されました。誓いのハンカチがある限り、誰にも覆すことは出来ないのです。それにしてもクロ様は素晴らしい毛並みですね。艶がありしっとりとして、フカフカなのに滑らかで」
どうやらクロちゃんの話で矛先をそらするもりらしいが、その意図に気付きつつもつい乗ってしまう。
屋敷のみんなはもうクロちゃんに慣れてしまって、一緒に賞賛してくれないのだ。
「そうでしょう? 他に探してもこんなに素晴らしい山羊はどこにもいませんわ。すごく賢くて愛らしいのです」
「まさに黒山羊様の恵みですね」
「恵み?」
「偉大なる女神、黒山羊様のあふるる御力が世界に零れ落ちることがあるそうですよ。その零れ落ちた恵みの力を宿したものを教会は黒山羊様の落とし仔と呼ぶのです。これは神聖教国がほおってはおかないかもしれませんね」
調子にのってクロちゃんを王宮に連れてきたばかりに、その正体の核心に触れたようだ。
だけれど、またもや取り上げられるかもという不安要素が浮上してしまった。
神聖教国とは、地母神教の総本山だ。
この国の王子や大聖堂の祭司長が守ってくれたとしても、もしかしたら連れて行かれてしまうかもしれない。
「どうしたらよいのでしょう。私、この子と離れるなんて考えたくありませんわ」
「教国からの要請があれば、断るのは難しいかもしれません。ただ聖女様の庇護にある落とし仔ならば、その意に反したことは要求されないでしょう。聖女とは黒山羊様の加護を受けた女性に贈られる称号であり、教皇に並ぶとも言われる存在ですから」
これはハイデマリーの為だけでなく、クロちゃんといる為にも聖女にならなければいけないのでは?
でもそんな肩書が付いたら、ただでさえ桜姫とかいう噂が独り歩きしているのに、手がつけられなくなりそう。
会う人ごとに想像と違ったとか幻滅されたら、いくら図太い私とはいえ立ち直れないかもしれない。
「私の婚約者になればいいよ。王太子の婚約者を教国が国外に召喚することは、政治的にも認められないしね。私の婚約者ならば、王族と同じ保護と権利を受けることになるよ。そうなれば誰も君からクロを取り上げられなくなる」
にっこりと王子が提案をする。
ほら、もうひとつ婚約するメリットが増えたでしょうと、王子の瞳が物語っているのは間違いない。
「王太子殿下よ。婚約を断られた身でそんなことを言うのは、ずるというものです。嗚呼、嘆かわしい」
「まだ断られていないよ? シャルロッテは考え中なのだし」
「本当でございますか? 桜姫よ。王太子殿下に遠慮して自分の意思を曲げるなどいけません。いや、かといって意思を通してノルデン大公に嫁ぐのもあちらは老齢ですし、年齢的にも真ん中をとって丁度いい私などはいかがでしょうか?」
この人、顔も良くて有能なのに中身が残念なのだなと少し気の毒な気がしてきた。
年齢は大事だけど、真ん中をとってとかそういう話ではないのではないか。
「ええ、まだお断りはしておりません。殿下が考える時間を下さったので」
「まだ!!??」
王子と詩人が、同時に叫んだ。
「なんだかんだいって、断るつもりなのか」
「今はまだ保留ということは、今後受けるつもりなのか」
ふたりとも、そのままブツブツと独り言を言っている。
「言葉のアヤというものですわ。お気になさらずに」
せっかくクロちゃんが来たのに、ぐったりと疲れてしまった。
ふと柱の陰を見ると、祭司長がひれ伏していた。
衛兵や召使たちが彼をとりかこんで、オロオロとしている。
「ゲオルグ様!」
一体どうしたことなのか。
私の驚きの声に王子と詩人もそちらに目を向ける。
クロちゃんはナハディガルの腕を抜け出すと祭司長の方へ軽やかな足取りで進んだ。
めえめえめえめえ
愛らしい鳴き声に祭司長がやっと頭を上げる。
「ああ、聖女様がおっしゃっていたことは、本当だったのですね。人よりも尊い落とし仔様を目に出来るなど、私はなんという果報者でしょうか。すべては黒山羊様の導きのままに」
そう感動に震える声をもらすと、クロちゃんに向かってもう一度ひれ伏してしまった。
「ゲオルグ様、顔をおあげになって。クロちゃんはそんなこと望んでいませんわ」
私の声に、おそるおそる顔をあげる。
「あなたは間違いなく聖女です。奇跡を呼び黒い仔山羊を従える。紛れもなく黒山羊様に祝福されておりますとも。いあ、……ぁ、しゅ……らす」
最後の方は例の祭祀音とやらで聖句を結んだのか聞き取れなかった。
祭司長は興奮が過ぎたのか、その場に崩れ落ちてしまったので慌てて王子が救護室へと運ばせた。
おじいちゃんに、無理させてはいけないもの。
彼が黒山羊様に心酔というか狂信というか、とにかく敬虔な信者であるのは間違いない。
黒山羊様、あなたはこの世界で愛されて信じられていますよ、と心の中でつぶやいた。
それこそが、かの神の力になるのだから。
そうこうしていると救護室へ運んだ衛兵が、偽儀式についての報せの手紙を持って帰ってきた。
そもそも祭司長は、その話をしにここまで足を運んだのかもしれない。
いや、御使いを覗き見ようとしたのもあるだろうけれど。
急いで書いたのだろう、インクの滲みが見える。
出だしに書面で失礼しますと書かれていた。
老体には過ぎた興奮も毒になるのか、まだ休んでいるらしい。
「大聖堂の礼拝堂を使っていいって……」
小部屋を借りるつもりが、何故礼拝堂に。
しかも、一般参加者も入れるようにするそうだ。
「これは教会側は、シャルロッテ様を聖女としてお披露目したい意図もありそうですね」
「王宮での事件を隠すか公にするかで、もめていたようだからな。事件だけ知らせても民衆の呪いへの恐怖をいたずらに煽るだけだが、聖女が現れてそれを治めたとすれば一転してめでたい事になる」
なるほど、聖女は教会の広告塔のようなものか。
呪いへの警戒も出来て、悪い話ではない。
その聖女が、私でさえなければだが。
きっと教会は、私が聖女であってもなくても構わないのだ。
象徴としての聖女が必要なだけなのだろう。
偽儀式を言い出してしまったのは私なので、そこは諦めなければならない。
とりあえず、ちゃんとハイデマリーの心のケアをするのが先決だ。
偽の儀式に必要なのは、舞台と役者とセリフだけだ。
大雑把に進行を説明をする。
大事なのは、彼女自身が神の力で赦されたと信じることだけなのだから。
「ハイデマリー様の事を考えると、なるだけ早い方がいいのです。日時についてはソフィア、教会側と話し合って決めてもらっていいわ。私は特に用事もない身なのだし」
悲しい事に本来の私は、王宮茶会の後は王都で買い物くらいしか予定はなかったのだ。
壁のそばに控えていたソフィアに声をかけて、書類と共に大聖堂へお使いに行かせた。
「必要なものは特にないけれど、通常の儀式に必要な香や花くらいはあった方がいいと思うのだけれど、私はあまり詳しくないのでナハディガルにお願いしてもよろしいかしら?」
私にもなにか御用をという感じで、詩人がこちらを見ていたのでつい頼んでしまった。
「わが姫の望みとあらば、如何様にも用意いたしましょうぞ」
そういうと、また膝を折って舞台役者じみた礼をとる。
「そういえばシャルロッテは、地母神教の聖句をどこで覚えたのだい?」
王子が思い出したという風に尋ねてきた。
「聖句?」
「茶会で君が唱えていた詞だよ。さきほどゲオルグも、なにやら唱えていただろう? あれは教会の者でなければ知らないものだったらしくて、皆が驚いていたな」
「はて? あれを追い出すのに気をとられていて、全く気づきませんでしたわ。聖句は祭祀音のせいで聞き取れないので『黒山羊様の導きのままに』しかわかりませんもの。偽儀式の時はゲオルグ様がいらっしゃるので、そこはあちらにお任せしましょう」
正直あの時の事は、夢中でよく覚えていないのだ。
餅は餅屋である。
やれる人がやればいいのだ。
変に聖句を覚えて間違えるより、それが一番である。
「後はクロちゃんを抱いた私が聖女に扮して、『あなたは無垢である』とか何とか言って、クロちゃんが彼女にキスなり頬ずりなりしてくれたら、ハイデマリーも周りも納得するのではないかと思うのです」
ここにきてクロちゃんが黒山羊様の落ち仔と祭司長にお墨付きをもらったのは大きい。
「一応茶会の件は王宮側の仕組んだ事だと流してあるのだけれど、儀式をするとそれが嘘だとばれないかな?」
「茶会は演技、呪いは本物で通しましょう。そうでなくても真実を知るのは私達だけですわ。信心深い方は儀式を信じるでしょうし、なによりハイデマリーに必要なことです」
大掛かりになってしまったけれど、その分彼女の心へ与える影響は大きいだろう。
この勢いで、呪いなんて吹き飛ばしてしまおう。




