504話 確認です
小鳥の声がする。
目を開けると既に朝であった。
小さくなった焚火は、それでも小屋の中を照らしながら暖かさを保ってくれている。
古布のシーツが気に入ったのか、グーちゃんは端をギュっと握りこんで丸くなって眠っていた。
私が物音を立てても起きないのは、小屋の生活に慣れた証拠なのかもしれない。
意外にも今朝は、あの女性の夢を見なかった事に気がついた。
毎晩変な夢を見るのかと覚悟をしていたけれど、そういう訳ではないようだ。
それどころか、ぐっすりと眠れてしまっていた。
新人鉱夫が事故死した報せは、少なからず衝撃をもたらしたので、あの変な女性の夢でなくとも悪夢を見てもおかしくはなかったのに。
自分自身が繊細でない事を、こういう形で知るのはなんとも言えない気分だった。
あの夢の女も、なにか鉱山の呪いのひとつだと思っていたけれど、どうなのかしら?
夢であの女性に会えたら、そのところも聞いてみないといけないわね。
そんな事を思いつつ小屋を出る。
夜中の間、雨が降っていたのだろう。
地面はぬかるんで、湿っていた。
今は止んでいるけれど雲が厚く立ち込めていて陰鬱なその空模様は、すぐにもまた雨を降らせるのを再開しそうだ。
空気が乾燥しがちなので多少の雨は歓迎なのだけれど、食堂やおつかいの時に濡れるのは厄介よね。
私は溜息をつきながら、小屋の周りをぐるりと見渡した。
嫌がらせの跡もないし、今日は小屋の周囲に異常はなかった。
まあ、雨が降っていては地面に血を撒いても目立たないし、嫌がらせにならないものね。
それとも人死にがあったので、それどころではなかったとか?
単に、婆さんを驚かすのが馬鹿らしくなって飽きたのならいいけれど。
とりあえずは、ほっと胸を撫で下ろした。
人から悪意を向けられるのは気持ちいいものではないもの。
ふいに、昨日の朝に見た何かを引き摺ったような跡が頭をよぎった。
雨ですっかり跡は消えているけれど、あれは重い何か、そう死体の様なものを引き摺った跡なのではないだろうか。
実際に人が死んだという訃報は、私の思考を物騒な方向へと引っ張り込んでいく。
血の事も、初日のあれはまさに怖がらせるような血溜まりであったけれど、2回目は夜であったことも手伝ってきちんと確認していない。
血の匂いがしたからそう判断しただけで、もしかして怪我をした人がここで倒れていて、それを誰がが引っ張って奥の道へ持っていったとか?
いや、グーちゃんが片付けてくれたのだし、人が倒れていたらそれはそれで教えてくれるはずだ。
それともあの時には、既にどこかへ引き摺られた後とか……。
私は首をブンブンと振って、変な妄想を消そうとした。
死んだ鉱夫は、もう使われていない坑道で見つかったとグンターは言っていたはずだ。
こことは方角も真逆である。
なのに、何故こんな考えが頭から離れないのか。
不慣れな新人鉱夫が好奇心を抑えられずに廃坑に入り、事故で亡くなる。
皆が納得出来るもっともな死因であるはずだ。
だけれど、それなら何故あの細工師が死体を見つける事が出来たのだろう。
そう、それが変に気になるのだ。
あの陰気な男が、住み家から離れた廃坑にどんな用事があって入ったというのだ。
食事を届けさせるくらい人を避けてる人が、雨の夜の散歩に廃坑を選んだなんて鵜呑みに出来る?
引き摺った跡と細工師の行動。
どちらか一方だけであれば、何も思わなかったかもしれない。
だけれどそれが揃ってしまうと、途端に嫌な想像がわいてくる。
鍛治小屋と細工小屋に続くあの奥の道で死体が見つかったならば、細工師が見つけても不自然ではないし、すんなりと納得がいくのだ。
「おい、なんか疲れてるのか?」
ロルフが、伺うようにこちらを見ている。
いけない、不穏な気持ちが顔に出ていただろうか。
「いえ、湿気で少し気だるいだけですわ」
野菜の皮を剥きながら、返事をするとそのまま追及はされなかった。
怪訝そうな視線でこちらを見ているけれど、それは私を心配しての事だとわかる。
昨夜、カトリンの見舞いに私が行った事は知っているのだし、その事で気落ちしていると受け取ってくれているようだ。
何も追求してこないのはそういう事だろう。
気を遣わせているようで、少し落ち着かない。
今は仕事の時間なのだから、料理に集中しなくてわね。
無心で手を動かそうとしても、意識はまた鉱夫の死体へと向かって行く。
浮かんでは消える疑惑を持て余しながら、そんな風に上の空で朝の仕事を終えた。
「さて」
私は腰に手を当てて、自分に喝をいれるかのように呟いた。
目の前には、小道がある。
結局、自分の考えを確認する為に、私は朝の仕事を終えるとその足で細工小屋への道へと向かったのだ。
引き摺った跡は、もうハッキリとは残っていなかったけれど、意識して見れば道の脇の草や枝の先が折れていたりと、所々にそれらしき跡がついていた。
この道を使う人間は限られているし、ただ歩いただけではつかないそれらは、私の不審を煽っていく。
血の跡でもあれば確信を持てるのだけれど、如何せん雨のせいで地面は洗われ、判別はつきそうになかった。




