496話 本草家です
「ロッテ婆は本草家なの? 昨日も無患子を取ってきてたし、貴族なのに薬草に詳しいのね」
感心したようにカトリンが言う。
薬草は野に生えている物が多いので民間療法として親しまれている。
誰にでも手に取る事が可能だけれど、庶民が仕事の合間に慣れない薬草取りに行き、時間をかけて調合するのは中々難なのだ。
その為生まれた職業が、専門的に薬草を扱う薬草師や本草家と呼ばれている者達である。
教会の修道士も修行のひとつとして、本草学を修めているので修道院や教会には薬草園が作られているし、身近なものとして薬草は存在している。
軽い病や体調の不調にと活躍しているので、薬草が扱える者は一目置かれる事が多い。
虫除けや魔除け等にも使用し、その用途は多岐に渡るので腕のいい本草家は貴族の後ろ盾を得たり、修道士として尊敬される事になる。
「いいえ、そんな大層なものではないのよ。元々、修道士と交流があったので少しだけ人より詳しいくらいかしら。薬草は部屋を彩るのにもいいし、生活に役立つし覚えていて損はないわ」
そこは前世の経験と今世の環境のお陰であるけれど、今の私には説明のしようがない。
「ロッテ婆は料理も出来るし、多才なのね」
自分にはなんにもないと、しゅんとしながらカトリンが零した。
「あなたも勉強してみたらどうかしら。このお仕事をしながらでも、学べる事はあると思うの。料理だって簡単な事からやってみたら出来るようになるものよ」
「あたしが……、勉強を?」
カトリンは、驚いた顔をしている。
今まで一度もそんな事は考えた事がなかったとでもいうように。
「ああ、いいねえ。年季が明けてこの仕事を抜けても、他を知らないと結局娼館に戻ることになるからね。あんたは稼いでるし、その気になれば何時でも辞めれるんじゃないかい?」
カトリンよりも10程年上の女性が、ひょいと籠からパイをひとつ取り上げて齧りながら彼女に言い聞かせる。
「何をやるにせよ、自分の頭で考えるのが大事なんだよ。言われるまま股を開いたって稼げるのはある程度の歳までさ。食ってくだけなら酒汲みしてもいいし、酒場で歌を歌うとかね。いろいろあるんだ」
そういう彼女は、今回の鉱山の務めが終われば自由になるらしく、別の職と住処を得たら救貧院に預けた子供を引き取って新しい生活をはじめるのだという。
子供がいるから余計にカトリンが不憫で口を出したのかもしれない。
この世界の女衒がどういう仕組みかは分からないけれど、カトリンの場合、親が手にした金に世話料や生活費になんやかんや上乗せした額が借金として彼女の身を縛っているのだろう。
この器量だもの、稼ぎ頭であるのは間違いない。
稼げるうちは娼館は手放す気はないだろうし、彼女の無知につけ込んでその辺の話はしていないのではないか。
鉱山での稼ぎはかなりいい筈だし、その気になれば解放されるというのは有り得ない話ではない。
「ここを辞めても行くところがないし……」
自信無さげにカトリンが呟いた。
彼女の身の上だと実家に戻ったとしても、別の店かどこかの小金持ちの妾として売られるのが目に見えていた。
一度甘い汁を吸ってしまった両親には、彼女は金を産むガチョウのようなものなのだ。
さすがに彼女もそれはわかっているようだけれど、わかってしまった事自体が彼女にとっては悲しい事である。
「行くところがないなら作るのさ! ロッテ婆さんが言うように今から少しずつ料理をしてもいいし、どっかの飲み屋で歌いながら出来そうな事を探したりね」
「おうあ?」
歌と言う単語にアニーが反応した。
「ああ、お歌さ。カトリンみたいに子供の時から娼館にいる子は、手すさびに姐さん達に幾つか仕込まれてるもんさ。酒汲みしながら歌姫をするのも悪かないだろ?」
貴族相手の高級娼婦は幾つもの習い事を修めていると聞くけれど、町の娼館でも芸を教えたりするようだ。
歌好きの客もいるだろうし、美貌や会話に添える武器のひとつになるのだろう。
「りーごりーご?」
「ん? なんだい?」
「りーご!」
歌と聞いて、童謡をせがみだした。
「『大時計の爺さま』を聞きたいみたいですわ」
「あらまあ、懐かしい。子供の頃よく口ずさんだもんだ。ほらカトリン、歌ってやんな」
カトリンは促されると、私の目を見てから少し恥ずかしそうに歌いだした。
りんごん りんごん
鐘が鳴るよ
大きい時計の爺さまが
時間だ日暮れと鐘鳴らす
羊を追って 柵へ入れよう
藁を積み上げ 家へ帰ろう
かみさん 箒を立て掛けて
だんな ふいごを片付ける
「りーご、りーご!」
アニーはご満悦である。
技術は拙いけれど、思わず聞き入ってしまう声だ。
カトリンの歌につられて、他の女性達も一緒に歌い出す。
子供の頃を思い出しているのか、どこか遠くを見るような眼差しだ。
りんごん りんごん
鐘が鳴るよ
大きい時計の爺さまが
時間だ日暮れと鐘鳴らす
皆で歌いながら湯浴みをして、楽しい時間を過ごす事が出来た。
小雨に混じって彼女達の歌声が、夜の地面に降り注いだ。




