51話 仔山羊です
王宮の宮殿入口で、馬車が止まるのを待っている。
入口といっても、ここまで入ってこられるのは、王宮関係者のみなので安全だ。
首を長くして待っていると、ようやくエーベルハルトの紋入りの馬車が入場してゆっくりと私の前で止まった。
「きゃー! 寂しくしてなかった? 会いたかったー!」
王宮内はやはり堅苦しかったのか、私はクロちゃんがやってきたのを見て、とんでもなくテンションが上がってしまった。
白い布にくるまれて大事に運ばれてきたクロちゃんは、私を見てめえめえと鳴く。
はあ、この鳴き声も可愛いのよね。
王宮に何故山羊が?と疑問の王宮勤めの人達に目もくれずに、私は仔山羊を抱きしめる。
そうそう、このモフモフがなければ。
なでなでわしゃわしゃとする私は、どこからどうみても子供だろう。
子供なので遠慮なくはしゃがせていただく。
周囲の目が温かい。
ようやくこれで安心できる。
やはり、クロちゃんが居なければ。
「おお、これはなんと素敵な山羊でしょう」
騒ぎを聞きつけてか、ナハディガルが現れた。
この人、いつも何処から嗅ぎつけて来るのだろう。
「こちらがクロ様ですか。何やら不思議な……。本当に山羊ですか?」
そういえば、ナハディガルは王宮の護りも仕事の内なのだった。
魔術に通じてもいるので、さすが鋭いと言わざるを得ない。
目玉いっぱいの生き物だとわかったら、追い出されるかもしれないのでちょっとひやっとする。
「黒山羊様の御使いです」
私がすまし顔でそう言うと、彼は納得したように何度も頷いた。
「なるほどなるほど。神の使いであるならば納得です」
ふむふむと頷きながら、クロちゃんを観察している。
こういう時の詩人の口調が普通になるのが、ちょっと笑える。
「とてもよく出来た山羊ですね」
まるで元の姿を知っているかのような言い方で怖い。
「やあ、王宮に山羊が来たと話題になっていたよ。それが君のクロちゃんかい?」
ナハディガルに引いていたら王子まで現れた。
この人達、暇なの?
「これはこれは、フリードリヒ王太子殿下。公務はお済みでしたか? 午前中はさぼられたという話ですが、お時間は厳しいのではないのですか?」
やっぱり王子は、暇ではなかったのか。
引っ張りまわして、申し訳ないことをした。
詩人が当てこするように言うのを、王子は怖い笑顔で迎え撃っている。
「やあナハディガル。君こそ接待や慰問が殺到していると聞いていたけれど、こんなところでのんびりしていていいのかな? 一か月ほど王宮を出て、地方を回るのもいいと思うよ。なんなら私の方から、手を回しておこうか?」
何やら不穏な二人である。
火花が散るというか……。
そんな空気を感じたのか、クロちゃんがめええと可愛く鳴いた。
それを聞くと、詩人が何かを思い出したかのように手を叩いた。
「ああ、姫君からいただいたハンカチの刺繍のデザインは、もしかしてクロ様ですか? 珍しい意匠なので、周りについ自慢してしまいました。我が姫からの下賜品と言ってね」
え?仔山羊の刺繍?
周りに自慢って、この人、何してくれちゃってるの?
また変な話が立ったら、どうするつもりなのか。
そういえば父が要望した刺繍の練習用に、何枚かハンカチに針を刺した覚えがある。
まさか、そのハンカチを渡してしまっていたとは……。
それにしても、そもそも子供の刺繍を自慢するとかは、私の父だけにしてほしい。
「ええ、クロちゃんの刺繍ですわ。父に頼まれていたので私が考案したデザインです。うっかり刺繍の練習用にしたハンカチをお渡ししていたなんて、恥ずかしいですわ。今からでも、他のものと交換させて下さいませんこと?」
「いいえ、いいえ、いいえ、桜姫の手ずからの刺繍など、夜空に散りばめた星よりも得難いもの。輝くそれが私の手の中にある幸運を、誰が手放しますものか」
隙あらば寸劇をしようとする詩人を前に、なすすべがない。
変な話になる前にけん制しているのを、この人は理解してくれるだろうか。
そう心配していたら、別のところに飛び火をしていた。
「そう、君は詩人にハンカチを渡したんだ」
にっこりと笑いながら、王子があの昏い瞳で私に問いかけてきた。
あわわわわ、ナハディガルも苦手だが、このダーク王子はもっと苦手だ。
ハンカチを異性に贈ることを母は何と言っていたっけ、あなたのそばにいるとか私の騎士にするとかそんな感じのことを教えてもらった気がする。
どちらの意味にとられてもアウトな気がするのだけれど、ここはひとつ子供だからで許してもらおう……。
「ええ、ナハディガル様がどうしても私の持ち物を欲しいというので、困ってしまってうっかり渡してしまったのですわ。後からリボンにしておきなさいと母に窘められまして。ハンカチを渡すことに、意味があるとはまったく存じ上げませんでしたの!」
出来るだけ無邪気を装って、明るい声で言ってみた。
そう、子供になりきるのだ。
学習したことを生かせ。
庭園の失敗を噛みしめるのだ。
ちょっとナハディガルが涙目っぽくなってるけどそれは見ないふりをしよう。
「なるほど。社交界に出ていないシャルロッテが、その風習を知らなくても仕方ないね。これからは気を付けた方がいい。勘違いする男も多いからね。ナハディガルも、いい大人が子供にそんなことをさせてはいけないよ」
どうやら納得したようで、王子はとてもいい笑顔を私と詩人にむけた。
「私が桜姫からハンカチをもらったというのは揺るがない事実なのだから、そこに意味を見出すのは自由というものですよ、王太子殿下。それに子供といってもシャルロッテ様は随分歳の上の男性がお好みのようですし、2個上の方よりは、だいぶ歳の離れた大人の私の方がお好きだということもあるのではないでしょうか」
ふふんと、詩人が鼻で笑うように挑発している。
王子のこめかみが、ぴくぴくと動いた。
せっかく話が落ち着いていたのに、寝た子を起こすな。
「私はナハディガルさまが好みだなんて、一言も金輪際、言ってませんから! どうか誤解されそうなことを言うのをおやめになって!」
つい強い口調で言ってしまった。
それを聞いて詩人は、急激にしょぼんと萎れている。
私の悲痛な願いを聞いて、王子の表情が明るくなる。
「ほら、ナハディガル。彼女を困らせてはいけないよ」
王子は王子で、追い打ちをかけないで!
「それよりフリードリヒ殿下。山羊ですよ山羊! 見たことありますか?」
どうだ珍しいだろうと自慢するように、王子にクロちゃんを見せる。
その目は、興味深げだ。
「こんなに近くでは、初めて見るよ。教会の祭祀などでたまに登場はするけれど、同じ山羊なのに全く違うのだね。クロはすごく愛らしいね。みな同じなのだと思っていたよ」
クロちゃんの魅力がわかるとは、子供ながら王子も中々やるではないか。
「どれも同じではありませんわ。お菓子と同じで」
先日の茶会でのやりとりをふと思い出してそういうと、王子もわかってくれたようで一緒に笑っている。
「それで刺繍の練習用というからには、まだ何枚かハンカチはあるのだよね? 私にも一枚もらってもいいかな?」
圧のある物言いに嫌とは言えず、つい、こくこくと頷いてしまった。
押しが強いわね、この王子。
そんな王子に、ナハディガルは負けていなかった。
「私にも抱かせていただけませんか? 聖女と黒い仔山羊とは、古歌の組み合わせですね」
うんちくある古歌を持ち出して、あれこれと説明してくれる。
この地に現れた最初の聖女は、黒山羊様の落ち仔を連れていたそうだ。
もしかしたら、その人も私の様に神様の気まぐれでこの世界に来たのかもしれない。
不思議な力がある落ち仔を傍につけて、不慣れな世界の助けにしたのかしら?
そう考えると、エーベルハルト領にクロちゃんが現れた理由がわかった気がした。
そっと詩人にクロちゃんの頭を向けると、嫌がる様子がないのでそのまま渡す。
赤子を抱くように、詩人は大事そうにクロちゃんを抱き上げた。
「クロ様、私があなたの主シャルロッテ姫の騎士ですよ。傍に仕える者同士、よろしくお願いしますね」
真面目に語る詩人にクロちゃんはめええと、のんきそうに返事をした。




