488話 庭木です
ひとしきりしゃべり終えると、彼女は籠をよいしょと声を出して持ち上げて出ていった。
「すっかりあいつらと仲良くなったようじゃないか」
「ええ、昨日も皆さんに良くしてもらいましたわ」
「カトリンとの話で、あんたがあいつらを嫌っちゃいないのはわかったが、実際付き合ってみたら娼婦となんて一緒にいれないとか言い出すかと思ったよ」
「え?」
その言葉に手が止まった。
「だって、腐ってもあんたは貴族だ。それが場末の娼婦となんてなあ」
頭でわかっていても、身についた習慣が彼女達を拒否すると思ったのかしら?
確かにそういう事はあるかもしれない。
私がエールや昨日のシチューを受け付けなかったみたいに。
でも、人は職を見て付き合いをする訳ではない。
それに彼女達は生きる為にしている事だ。
特に私には思うところも、嫌悪感もなかった。
昔の自分ならどうだろう?
多少は警戒したりしただろうか?
だって悪い事だと世間が決めていたから。
私もきっと体裁や人の目を気にして仲良くはしなかったのではないか。
昔の私なら、情けない事に自分がどうしたいかより、世間の目を優先していただろう。
でも今はどうだろう。
この世界でもさげずまれる事が多い職業であるが、私にはそうは思えない。
ヨゼフィーネ夫人と慰安に行った救貧院には、何人も体を壊した娼婦がいた。
あそこにはいろんな人間がいて、いろんな話が聞けた。
彼女達は好きでそうなった訳ではなく、選択肢がなかったのだと今では知っている。
そんな彼女達を、何故否定できようか。
もし、好きでやっていたとしても自分で選んだ道なのだから、他人がどうこういうものでは無い。
この世界は、犯罪にしても現代日本とは法律や社会的制裁の幅も大きく違っている。
その為、私と他の人では許容範囲がズレているのだ。
私はこの世界の一般的な人間と比べて犯罪や人種、身分差別に関しては周りよりも緩い。
窃盗で手を落とされたり、鞭打ちはやり過ぎな気がしてしまう。
一方、盗まれた方を考えると生活が立ちいかなくなったり飢え死にする事もあるので、釣り合いはとれているのだけれど。
福祉や保障、蓄財が整備されていないのもあって簡単な事で人は死んだり生活が出来なくなるのだ。
生活を奪われた者に、もっと軽い刑にしてやれとは到底言える事では無いが、私の中の平和な日本での価値観がいつも付きまとって邪魔をする。
なかなか折り合いがつかないものだ。
職業的卑賤についても、あまり感じていない方であったが、今はより理解して受け入れられるようになっている。
そこまで考えてから、ふいにヨゼフィーネ夫人が私に孤児院や救貧院を紹介した理由がわかったような気がした。
私はヨゼフィーネ夫人と親交を結ぶひとつとして、一緒にそういう施設へと慰問に足を運んでいたということもあるけれど、彼女の目的はそうではなかったのだ。
彼女は精力的に慈善事業に取り組んでいて、私も感化され参与している。
彼女は私がカトリン達のような人を嫌悪しないよう、この国の人々を理解出来るお膳立てをしてくれていたのではないだろうか。
世間知らずの私の視野を広げる為に、絢爛豪華な貴族社会から連れ出してくれていたのだ。
私がちゃんと目を開いて、この世界を直視出来るように。
彼女を賢い女性だと尊敬していたけれど、私にそうやって勉強させてくれていたのに気付いて、より感謝の気持ちが溢れてきた。
乳母のマーサは、私を汚いものから遠ざけこの世界の綺麗なものだけで作ろうとした。
反対にヨゼフィーネ夫人は、私がこの世界のすべてから目を背ける事の無いように教育してくれたのだ。
どちらも私を思っての事だ。
どちらも私という生き物を作る上に大事なもの。
そうやって人の手を借りて育つ庭木のように、私も陽を充てられ水をもらい剪定され育ってきたのだ。
もう昔の私のままではないのだ。
「それにしても聖女様の儀式に参列とは、本当にいいとこの出なんだな」
「い、いえ、先程も申し上げた通り運が良かっただけですわ。参加者が多くて抽選で決めたそうで」
うーん、この話をしているとボロがでそうだ。
「そうかい、そういやあ聖女様の話を聞かれたのに高潔姫の事ばかり言ってたのは何かあるのか? 聖女様といえば桜色に輝く金髪に、零れる薔薇の花びらの唇?とか何とか歌があるくらいのべっぴんさんだって話なのに、あんた全く聖女様に興味無さそうだ」
既にボロは出ていたようだ。
「ハイデマリー様と少し交流があったので、つい彼女の事を思い出してしまったのです」
「それにしちゃあんたさっき呼び捨てに……。まあ、詮索しないのが鉱山の流儀か。あんたがなんであれ、あいつらと上手くやってくれるなら歓迎だ」
「カトリンが教えてくれましたでしょ? 淑女も娼婦も同じものだと。仲良くやれますわ」
私が笑っていうと、昨日の会話を思い出したのか彼も苦笑した。




