487話 流言です
「今日も湯浴みに来る?」
「ええ、ご迷惑でなければ」
「迷惑だなんて全然! みんな家族と離れてるしアニーちゃんみたいな小さい子と一緒にいられるのは嬉しいの。ちゃんとあの子も連れて来てね」
アニーは昨夜も女達に可愛がられて揉みくちゃになっていたけれど、単に彼女達が子供好きなだけではなかったようだ。
娼館に入るため幼い弟妹や自分の子と別れて暮らしているのならば、アニーのような素直で幼い行動の子供はそれは慰めになったことだろう。
アニーの精神にも、可愛がってくれる大人が多いのはいい事である。
それに、連日お湯がもらえるなんて最高ではないか。
彼女達から見たら異物である私達が受け入れられているようで安堵した。
「ねえねえ、昨日は邪魔されちゃったけどさ、聖女様ってどんな感じ?」
彼女は身を乗り出し、目を輝かせて聞いてくる。
それはどちらかというと、愉しい話ではなく聖女の悪口を期待しているのだろう。
どうやらこの地方の人間にとって、聖女と賢者は一番の話題らしい。
「そうね、昨日のお話ですと実際の話は賢者様が侍女を使って聖女のドレスを汚したのが事実ですわ。そしてそれを侍女のせいにしてその場でクビにしたそうです」
彼女は目をぱちくりさせて「えー!」と叫んだ。
嘘をつくのもなんだし、聞かれたら私としては事実しか言えない。
ごめんなさいね、あなた達の賢者様の真実を伝えてしまって。
「ねえ? それひどくない? ひどいよね? 命令されてやったのにクビにされるの?」
彼女はどうやら同じ雇われの身である侍女に同情したようだ。
「それで、その場に同席していた侍女の出身地に近いコリン……、クルツ伯爵家で侍女を雇う事になったと聞いてます。クルツ伯爵家はご存知? こちらの地方を治めるレーヴライン侯爵の領地の近隣にある……」
「クルツ領はあれでしょ、聖女様の取り巻きのお嬢さんがいるとこ。最近はなんか学校を作るとかなんとか聞いた覚えがあるよ。レーヴライン様のとこの高潔姫も賢者様とは仲良くしないで聖女様達と仲間外れにしているって話だけど」
今度は私が驚く番だ。
なるほど、アニカ・シュヴァルツ側から見れば私達が仲間外れにしていると表現出来るのか。
アニカびいきの西の土地の人間からすれば、賢者を邪険にする聖女とハイデマリーという図になっているのね。
高位貴族にいじめられる男爵家の令嬢というわかりやすい図は、庶民達には受け入れやすいものだっただろう。
「高潔姫だって、なんか悪い事をしたんでしょ。変な悪霊に憑りつかれたって。だから貰い手がつかないって話だし」
「ハイデマリーは!」
一瞬、有り得ない程、声を荒げてしまった。
彼女とロルフがこちらをぎょっとした目で見る。
あんなにひどい目にあった彼女が、事情を知らないとはいえこんな風にいわれていい訳がない。
「いえ、ハイデマリー様はよくない陰謀に巻き込まれたのは確かですけど、それは彼女の責任ではありませんわ。大聖堂での儀式で悪霊?も祓われて黒山羊様と風の王様に祝福をされたのだもの。彼女の身の清さは地母神様によって証明されていますもの」
「それって本当の話なの? 聖女様に取り入って、そういう話にしてもらったって聞いてるけど」
どうやら悪い風に噂をした人間がいるらしい。
噂に尾ひれが付くのは仕方ないにしろ、悪い方に捏造されすぎではないか。
「ええ、本当ですわ。儀式の後は使われた白い花びらがあちこちで取引されたと聞いております。市場に流れた大概が偽物だったという話でしたけど、花びらの真偽なんてわかりませんものね。本物は皆様大金を積まれても手放そうとしなかったそうですわ」
「はあ、いい商売になっただろうなそりゃ。あやかりたいもんだ」
ロルフがちゃちゃをいれた。
「大聖堂かあ、きっとすごい立派なとこなんだろうね。私も王都に行ってみたいな」
憧れの王都ですものね。
その中でも大聖堂は観光名所としても有名だ。
「ええ、それは荘厳な教会ですわ。歴史を感じさせる重厚な石造りなのに、刻まれた装飾は繊細でステンドグラスが煌めいて。あの日のハイデマリーも髪がまるで銀糸で編んだ銀細工のように輝いてそれはもう夢のように美しかったのを覚えてます」
うっとりとハイデマリーの美しい横顔を思い出す。
あの時は頼りなげで儚げで、触れれば消え入りそうな美しさだった。
「ロッテ婆さんもそこにいたの?!」
しまった。
つい、調子に乗って話過ぎたようだ。
聞いた話だとごまかすには無理がありそうだ。
「え、ええ、末席でしたけれど運良く参列出来たのよ」
「えー! すごくない? 私周りに自慢しちゃうかも」
「そりゃたいしたもんだ」
あぶないあぶない。
つい、ハイデマリーの事になると自制が効かないわ。
「さっきの話ももっともっぽかったし、ロッテ婆さんの言う事が本当っぽいね。なんだか賢者様にはがっかりしちゃった。男爵家のお嬢さんが王子様のお嫁さんになったら私だって、どっかの商家の息子と結婚できそうだから応援してたのにな。ねえねえ、王都の話をもっとして……」
まあ、身分差婚は若い娘さんなら夢見るものだものね。
すっかり、彼女の興味は王都の街並みや賑わいに移ったようだ。
とりあえず、今後この子にハイデマリーが悪し様に言われる事はないだろう。
むきになるのは大人げないけれど、彼女が誤解されるのは私が嫌だったのよね。
噂なんて伝言ゲームをいちいち修正していけはしないけど、ひとりでも訂正出来て良かったというものだわ。




