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黒山羊様の導きで異世界で令嬢になりました  作者: sisi
第六章 シャルロッテ嬢と廃坑の貴婦人

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484話 横たわる肉です

 下男が手を振り上げる。

 それをゆっくりと見ていた。

 見ている事しか出来なかった。


 その手の爪先は、鋭い鉤爪になっていて、とてもよく切れそうだ。

 この手では、木皿を運ぶのは難儀した事だろう。

 変な同情が頭をかすめたと共に、その鉤爪が自分の喉元に振り落とされる。


 皮が裂ける音はしなかったが、男の体から吹き出た血が重力により落下し、その顔にぱたぱたと降ってきた。

 痛みも何も分からないけれど、それは皮膚を破り血管を割いたのだろう事が分かった。


 辺りには、鉄錆の生臭さを伴う臭いが漂った。


 自分の中身の臭い。

 自分が死んでいく臭い。


 痛みを感じなくて済むのはありがたかったが、こんな風に死ぬまで過ごさなければならないのは恐ろしい事であった。



「いきたまま、ちをぬく、だいじでし」



 唐突に、下男がそう口にした。

 なかなかとどめを刺そうとしないのが不思議であったのが腑に落ちた。


 ああ、こいつは今、俺の血抜きをしているのだ。

 この犬人間は、自分をおいしく食べる為に、血抜きをしているのだ。




「心臓が動いてるうちに、血を抜くのがいいんだ」

 父の言葉が、頭の中をこだました。

 陽射しが眩しい晴天の日、畑が青々として粉挽きの仕事が少なくなる時期には、父親と狩りに出る事もあった。

 鳥に小動物、時には魚。

 魔獣も狩れれば金になったのだが、そこまで本格的な猟をする技術はなかった。

 所詮、素人に毛が生えたような狩りであったが食卓への恩恵は大きかった。

 大物や数が取れた日には、家族全員が笑顔になりささやかな夕餉がいつもより少し賑わうのだ。

 捕った獲物は、新鮮なうちに血抜きをするのが大事なのだと聞かされた。


 ああ、自分はあの時の獲物と同じなのだ。

 つい先程まで、金持ちになる算段をしていたというのに、こうして地面に転がり放血している。

 男は生き延びたかったけれど、同時に早く死んでしまいたいとも願っていた。

 自分の死を、こんなにも永く感じていたくなかった。


 不意に下男がビクリと震えた。

 そうかと思うと、男の体をものすごい力で引き摺って小屋の裏へと投げ出し小屋の中へ入ってしまった。

 この隙に逃げようとしたが、やはり体は動かない。

 そうしてしばらくすると、老女の声が響いた。


「グーちゃん、開けてくれる?」


 グーちゃん、グーちゃんだと?

 男は、耳を疑った。


 あの化け物に名前をつけて、あまつさえ愛称で呼ぶなど何の冗談だ。

 とんだ老女だ。

 それよりも気付いてくれ、ここに俺がいることに。

 助けてくれ、俺はまだ生きてるんだ。

 おい(ばばあ)、ここに怪我人がいるんだ!

 お前の下男が俺をこんなにしたんだぞ!!

 おい!婆!こっちだ!


 必死に体を動かし声を出そうとするが、ぴくりともしない。


 つうっと、涙が顔を濡らした。

 俺の体は、どうなっちまったんだ。

 早く医者にみせてくれ。

 手遅れになる前に一刻も早く助けてくれ!

 おい!

 おい!婆!!



「外が血で汚れているようだから、井戸の水で流してしまおうと思って」



 焦燥する男の耳朶を打ったのは、彼にとって絶望的な言葉だった。


 この老女は、この場に血が流れている事を知っているのだ。

 その上で、不審にも思わず埃を払うかのように掃除しようとしている。

 まともじゃない。

 まともな神経じゃない。

 なんてことだ。

 この老女は、化け物を飼っているのだ。

 何故、助けてくれると思った?

 そうだ化け物の飼い主なのだ。



 一瞬、陽射しのように差した助かるかもしれないという希望は、男の心を打ちのめすには十分過ぎであった。

 涙だけが音も立てず流れていた。

 その間、この血の汚れをどちらが掃除するかと押し問答しているのが耳に届いたが、もうそんな事は男にとってはどうでもよかった。


 結局、下男が掃除を引き受けたようで、何度か水を汲んでは地面に流しているのが耳に届く。

 そうして、ひょっこりと小屋の影から顔を出した。


「いやでし、いやでし」

 心底嫌そうに倒れている男を覗き込みながら、下男は呟いた。


 何がそんなに嫌なのだ。

 嫌なのは俺の方だ。



「さとう、いいでし」


 そうか砂糖が好きなのか。

 俺も甘い物は嫌いじゃないよ。

 夕食の林檎煮はおいしかったのを思い出した。



「ぐーうのごはん、きらいでし」


 なんだよ、ぐーうって。



「でも、すこし、たべるでし」


 ああ、ぐーうのごはんっていうのは俺のことか。


 犬人間は少し躊躇するが、ぐわりと口を大きくあけた。

 そこに並んだ鋭い歯が、小屋からの灯りでうっすらと見える。

 そうして、そのまま何か悩むように考え事をしていたが、意を決したようにこう言った。


「ぐーうなら、たべる」


 今度は震える様な声だった。


 がぶりっと、肩を噛まれた。

 ふがっと下男の犬の様な鼻から呼気が洩れた。



「いやでし、いやでし」


 嫌なら食べなくてもいいのに。


 男は肩の肉を咀嚼されながらそう思った。


 それにしても失礼だ。

 なあ、どうせ食べるならおいしいと言ってくれよ。

 そんな嫌そうに俺を食べないでくれ。



 くちゃくちゃ


 くちゃくちゃ



 咀嚼音だけが辺りに響く。

 男は、干した麦に囲まれた茶色だらけの子供時代を思い出しながら、そうして横たわる時間を終えた。




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