482話 追跡です
後をつけると、どんどんと鉱夫の生活圏から離れていく。
食堂の喧騒など全く届かない静かな区画だ。
老女はそこを通り過ぎると手入れがあまりされていない道を進み、ある一軒の小屋の扉を叩いて夕食を届けに来たと声を張り上げた。
男は生臭い匂いと周辺の様子から、そこが狩猟小屋なのだろうとあたりをつける。
どこの村も狩猟小屋は集落の外れにあるものだ。
この鉱山でもそうらしい。
返事もなく中からは誰も出てこないのに溜息をつくと、女はそのまま籠を戸口にひとつ置き、道を奥へと進んで行く。
奥にゴミ捨て場があるのか、先程から妙に鼻につく甘ったるい臭いが漂っている。
先ほどの小屋も血生臭さはあったが、こんな腐ったような臭いはしていなかった。
せっかくご馳走を食べたというのに台無しだと舌打ちしようとした時、ポツンと灯りの点る小屋があり、そこでも女は同じ様にすると籠を置いてこちらへと戻ってくる。
男はさっと草むらに隠れると、老女が過ぎるのを待ってから小屋へ近付いた。
女を追うのも大事だが歩みも早い訳でなし、すぐ追いつくだろう。
ここまで辺鄙な場所に居を構えるのはどんな人間かと確かめておきたくなったのだ。
窓には鎧戸が付けられていて先ほどみた小屋と比べると良い住まいにみえる。
空気の入れ替えに空いている窓の隙間からそっと中を覗くと、ひとりの男がそこにいた。
こちらに背を向けているので人相はわからないが、そう逞しくもない体つきだ。
部屋には大きな人ひとりが横たわれるほどの台が設えてあり、汚れたナイフや何やら入った桶が置いてある。
一見すると解体室のような感じだ。
戸口に出てこなかったのは作業中であるのだろう。
何かをこそぐような動作をしている。
それは肉屋が骨から肉を外すような。
奇妙な動作に気を取られていたが、台の上に煌めく水晶があるのを見逃さなかった。
男の背が邪魔で良くは見えないがそれは確かに水晶であり、人を魅了する輝きを放っている。
ついている。
男は上機嫌で、思わず口笛を吹きそうになったほどだ。
ここはきっと水晶を扱う小屋なのだ。
どおりで人の来ないこんな場所にあるはずだ。
周りに護衛がいないのは不自然な気もしたけれど、こんなところまで足を運ぶ鉱夫はまずいないだろう。
そもそもこの鉱山には、傭兵も護衛も雇われていないのだ。
見張りもなにもかも鉱夫が勤めている。
不用心にもほどがあるが、吝嗇家ならばそういうこともあるのかもしれない。
だが人件費をケチって水晶を盗まれるのはおかしなことではないだろうか?
そんな疑問が浮かぶが、男は浮かれていたのでそこほど深く考えることはなかった。
何と言っても水晶が扱われる場所がわかったのだから、お手柄といっていいだろう。
男は目の端に鉱物を扱うのには不似合いなナイフと桶をとらえたが、それはささいな事だった。
水晶がなにかこびりついていて汚れているような事も、桶には何やら塊や衣料と思われる汚れた布地が詰め込まれているのも、そんなことはどうでもよかった。
彼の意識は、水晶を見つけた事と、もうひとつの金目のものにしか向いていなかったからだ。
そろそろここを離れて、老女に追いつかなければ。
それだけが頭にあり、そろりと音を立てないように細工師の小屋を離れると来た道を引き返した。
体力のある男にとって道はほとんど一本道であったし、老女に追いつくのは容易い事であった。
光源が老女の手燭のみである事も手伝って、夜闇の中でも程なく彼女の姿を見つけることが出来た。
しばらく後をつけると、老女はある小屋へと入っていく。
「ただいま戻りましたわ。ご飯にしましょう」
そんな声が聞こえる。
それは男にとって意外過ぎた。
貴族の女が、こんな粗末な小屋に住んでいる等と考えもしなかったからだ。
想像ではそれなりの家なり屋敷なりに住んでいるはずで、なんなら門番や執事が出迎えてもおかしくないとまで考えていた。
よくよく考えれば鉱山の飯炊き女なのだから、小屋住まいは当然の事である。
先程までの浮かれた気分が急に萎んでしまった。
粗末な小屋の食堂の手伝い。
こんな小屋に金目のものがあるというのだろうか。
がっかりしたが、気を取り直して家探しをすればひとつやふたつお宝が出るかもしれないと自分に言い聞かせる。
そう、例え今は違っていても元が貴族であるならば素寒貧である訳がない。
家を追い出されたのなら、持ち運びに適した首飾りや指輪等隠しているだろう。
そう考えながら小屋に近付くと、いやに楽しげな声が聞こえてきた。
ちゃんと言葉を話せなさそうな幼い子どもの声に、か細い高い男の声。
鉱山に来た時に迎えに出てきた気の弱そうな職員を思い出したが、この声の主はもっと弱そうだ。
片言で訛りが強く、かなりの田舎の出身だろう。
貴族を追放されたものの、安く使える田舎者の下男を雇っているのはありそうな気がする。
異国の出だと聞いているし、もしかしたら国から連れてきた下僕の可能性もあるが、どちらにせよ頼りにならなそうな声を聞くと障害にはならないだろう。
声からして、小屋の中には老女に幼女に下男の3人だけのようだ。
それなら、男ひとりでも軽く襲えそうだ。
周りは人がいないし、叫ばれても問題ない。
食事時は老女は給仕に食堂にいるはずだから、その時が潜り込むチャンスだろうか?
弱そうな下男は骨のひとつも折って転がしておけば大人しくしているだろうし、幼女も猿轡をして縛っておけば問題はない。
そんな計画を立てていると、戸板が開き中から老女と手を繋いだ少女が出てきた。
小屋の中の下男に向かって、風呂を借りにいくので留守を頼むと声をかけている。
幼女だと思っていたらそれよりも大きな子どもで驚きはしたが、それ以上に巡ってきた機会に舌なめずりをした。
下男だけが残るなら仕事はやりやすい。
万一、殺したところでここは巨大な廃墟だ。
死体を隠す場所に事欠かない。
ついている。
男は老女達が充分な距離を離れるのを待つため、息を抑えて暗闇に潜んだ。




