481話 所作です
何台も続いた馬車には、鉱夫と生活用品、そして食糧や酒樽が詰め込まれていた。
降り立った廃墟に不安を持った新参達だったが、それだけの荷物を運び入れるのだから生活は安泰のはずだと物資を直に見る事で安堵した。
神経質そうな鉱山支配人は新しい鉱夫達を一瞥すると鼻で笑い事務所へとすぐに引っ込んでしまった。
侮蔑とでもいってもいい視線で、支配人にとっては彼らも運ばれてきた荷物のひとつにしか見えていないようであった。
短慮な仲間から上手く盗みが捗れば、行き掛けの駄賃ではないがあいつを殴ってやろうという話も出る。
そうしてその場に残されたのは自信なさげなひょろっとした男であったので、皆思い思いに好き勝手騒いでいた。
オドオドとした口調で鉱夫の名前を呼ぶ男が自分達よりも立場が上であるのが気に入らないこともあり、仲間達はにやけた笑いを浮かべて言う事を聞こうとしなかった。
そんな折に、人足頭がやってきて新参のひとりを殴りつける。
ある種の人間にとって、暴力はわかりやすい規則であった。
それを人足頭が示す事で、烏合の衆であった新参達はのろのろと荷運びに取り掛かる。
そこで珍しいものを見る事になる。
古参の男達の横に、場違いな老女が立っていた。
見てくれは平凡で、どこにでもいそうな顔立ちをしている。
だが、佇まいが異を唱えている。
威厳と尊厳。
その立ち姿は凛として、市井の人間とは違う事が見て取れた。
その老女が人足頭に向かって、貴族の礼をとる。
周りはざわついた。
そこだけが異質である。
本人達は自覚していなさそうだが、彼女の周りの男達もつられて姿勢良く少々緊張しているのが分かった。
荒くれがたむろする鉱山に似つかわしくない教会の聖教師を前にしたような、厳格な祖母を前にしたようなそんな空気。
伯爵家の女主人かとも思ったが、それにしては質素なドレスを着ているし、どういう立場でそこにいるのか全く想像が出来なかった。
ただ分かるのは、その女が特上の貴族であるはずだというくらいか。
その所作の美しさは、街中でたまたま目にした貴族とは明らかに一線を画していた。
それが蓋を開けて見れば、食堂の手伝い女だというのだからまたもや驚く。
男達はお互いに目配せをした。
事情はともあれ、彼女は貴族で間違いない。
なんの間違いでこんな所で働く羽目になっているのかは分からないが、住居には宝石類や幾ばくかの金を隠している事だろう。
ついている。
ギラリと男達の目が光る。
それはおいしそうな餌を目の前にした猛獣のように。
後ろ楯も無さそうな老婦人相手なら、赤子の手をひねるよりも容易く事は済むだろう。
大きな朧水晶に貴族女の宝石類もあれば、仲間内で分けても一生遊んで暮らせるくらいだ。
男達は下卑た笑顔を浮かべると、人足頭の指示する作業に手を付けた。
夕餉は初日の食事ということもあって、食堂にはご馳走様が並んでいた。
仕事に差し支えなければ酒も飲み放題、女も抱き放題というのだから上手い話があるものだ。
新顔の鉱夫達は大いに気を許し、飲み食いをした。
中でも甘く煮た林檎は、懐かしい様でいて初めて味わう品の良い風味で食事のレベルの高さを引き上げていたと言ってよかった。
男達は食堂の奥を陣取ると、ひそひそと荷運び中に目にした事を報告しあった。
男は会話中にも、給仕に勤しむ老婦人をじっくりと観察した。
歳をとり節くれた指先なのに、それは優雅に動き武骨な男達の目を魅了する。
中には囃し立てたり、軽口を叩く鉱夫もいたが、微笑みながらいなしていて対応も堂に入ったものである。
本来なら、その下賎な口を閉じろ、姿を見せるなとでも叫ばれてもおかしくないのだ。
貴族女にしては気さく過ぎるのが疑問である。
生まれを見誤ったかと思いもしたが、街の育ちというには気品が漂っているし、どうにもちぐはぐな感じだ。
老女というには動きは若く、笑い顔などは幼ささえ感じさせた。
複雑な育ちなのだろうか?
古参に話を聞いてみると、老女はまだ来たばかりで異国の出身だという。
貴族でさえ庶民からみたら異文化なのだから、国が違えばいろいろと変わっているのかもしれないと腑に落ちないながらも男は自身を納得させた。
彼女が給仕すると、やはり相手は姿勢を正すようだ。
肘をついてスプーンを口に運んでいた鉱夫も、女がそばを通り掛かるとしゃきっと座り直している。
彼女の何がそうさせるのだろう。
老婦人は決して食事のマナーに口を出したりする事はないのに、周りが勝手に行儀が良くなるようだ。
まるで彼女に失礼があってはいけないと、言い含められているかのように。
何故だか礼を尽くさなければいけないような気になるのだ。
まさに自分もそのような気持ちになっている事に気付いて舌打ちをした。
身分の高い者に頭を垂れるのは幼い頃から、空気のように庶民にまとわりつき骨の髄まで染みている躾に似た生きる術だ。
ある意味、呪いのようなものである。
彼女は、言葉も無く周りをひれ伏させていた。
生まれながらの貴族というのは、ああいう事をいうのかと男は感心さえしそうになっていた。
食事が一通り済むと老女は料理人から仕事を上がるように告げられた。
仲間のひとりが、男に顎を上にあげて後を追うように指示を寄越す。
よく見れば周りの仲間は、すっかり酒が入って他に追えそうな人間がいない。
上手い食事に後を引かれながら、やれやれと腰を上げると老女に興味がない振りをしながら男はさりげなく食堂の外へと出た。
冷ややかな夜の空気に虫の鳴き声。
食堂を出れば真っ暗だ。
宿舎や娼館への道にはところどころ灯りがつけられていたが、老婦人の進む道は反対側であり暗闇であった。
彼女のもつ手燭の灯りだけが、ふわふわと揺れるように浮かんでいる。
男は足音を立てないよう息を潜めて、その灯りを追った。




