478話 始末です
湯浴みですっかりさっぱりして帰路につく。
タライに少しのお湯でも違うものだ。
アニーはお姉さん達に可愛がられたせいもあって結局寝てしまったので、彼女を抱きかかえての帰り道だ。
片手に手燭を持っているし、転ばないよう気を付けなければね。
娼館の女性達は皆良くしてくれて、貴族を敵視するような事はなくて助かった。
子連れで追い出されたという身の上話に、同情してくれたのもあったのだろう。
カトリンはもっといてほしそうであったが、彼女達の仕事の邪魔をする訳にもいかないので、夜9時の鐘の前に退散した。
秋の虫の音とアニーの寝息を聴きながら小屋の前まで来ると、ムワッと臭うものがあった。
それは嗅いだ覚えがあるものだ。
朝にも嗅いだあの臭い。
私はため息をついた。
せっかくお風呂で気持ちよくなったのに、嫌がらせも程々にしてほしい。
アニーを抱えてるせいで手燭の明かりも自由にならないけれど、また血が撒かれているに違いない。
うんざり顔で、小屋の扉の前で声を掛ける。
「グーちゃん、開けてくれる? アニーが寝てしまったので手がふさがっているのよ」
しばらくすると、カタンと音を立てて戸が開いた。
グーちゃんは顔を伏せて、無言である。
風に乗ってか部屋の中も血の匂いがするし、緊張するようなピリつく空気が漂っているのがわかった。
私達がいない間に嫌がらせをする誰かが来たのは、この臭いで確かだもの。
可哀想なグーちゃんは小屋の前に血が撒かれる間、息をひそめていたに違いない。
もう、本当に嫌な行為ね。
文句があるなら面と向かって言えばいいのに。
怖がって出て行って欲しいんでしょうけど、生憎行く場所はないのだ。
「グーちゃん、大丈夫?」
彼は顔を伏せたままだ。
「しゃう……、だいじぶでし」
「そう? お風呂でさっぱりしたものの、アニーが寝てしまったの。グーちゃんもお風呂に入れたらいいのだけど」
きっとグーちゃんを連れていったら、大騒ぎになるわね。
それにしても、話を向けても全く乗ってこない。
寝台にアニーを寝かせながら声をかけてみても、グーちゃんは戸の横に立ったまま、曖昧な返事しかしない。
血を撒かれるなんて、洞窟暮らしの彼にはショッキングな出来事なのかもしれないわね。
嗅覚も鋭そうだし、こたえているのだろう。
暗い中、面倒だけれどグーちゃんの為にも、とっとと掃除してしまいましょ。
私は手燭を持ち直して、外に出ようとした。
「しゃう、どこいくだし?」
そこでようやくグーちゃんから声を発した。
「外が血で汚れているようだから、井戸の水で流してしまおうと思って」
「……だし」
手で遮るように、私を通せんぼする。
「え?」
「グーちゃん、するだし」
「留守番をしてくれたのだし、私がするわ」
怯えて様子がおかしいのよね?
そんな彼に掃除をさせるのは、気の毒というものだ。
「いいんだし、グーちゃん、するだし。グーちゃん、よる、おきる。しゃう、よる、ねる」
妙な押しの強さをみせて、一緒に掃除をしようという提案も跳ね除けて結局グーちゃんひとりに任せる事になった。
夜目が効く分、私がやるよりは綺麗になりそうではあるけどこんなに頑固な彼は初めてで、私が折れるしかなかったのだ。
グーちゃんから寝るよう言われたし、久しぶりの風呂もあって横になったらすぐに眠気がやってくる。
また、あの夢を見るのかしら?
どうせ見るなら、楽しい夢がいいのだけれど。
うとうとしていると、外からグーちゃんの独り言が聞こえたような気がした。
「いやでし、いやでし」
それは心底嫌そうな呟き。
吐き出すような嫌悪の混じる声。
やっぱり嫌なんじゃない。
可哀想な事をしてしまったわ。
私が掃除すべきだった。
でも1度眠気を自覚すると、眠くて眠くて起き上がれそうにない。
「さとう、いいでし」
ふふ、デザートを余程気に入ったらしい。
また何か甘い物を作ってあげよう。
今日は林檎を煮たたけだけれど、焼き菓子とかどうかしら?
きっと喜んでくれるわね。
「ぐーうのごはん、きらいでし」
そういえば仲間と味覚が違うから、置いてかれたのよね。
酷い事だわ。
「でも、すこし、たべるでし」
その言葉には少し覚悟をするような、語尾に強さがあった。
掃除してるのに、そこにぐーうのご飯があるの?
ああ、これは夢ね。
とりとめのない夢らしい。
「ぐーうなら、たべる」
今度は震える様な声。
嫌なら食べなくてもいいのに。
「いやでし、いやでし」
くちゃくちゃと、咀嚼音が聞こえる。
何故かしら?
任せた掃除は、水で血を流すだけよね。
ねえ、グーちゃん。
そこで何を食べているの?




