475話 噂好きです
アニーはカトリンの勢いをどうしていいかわからないものの、もう片方の手は決して私を離すまいとがんばっている。
案内された場所は、開けた土間に大きめの桶が並ぶ場所であった。
昼は洗濯場、夜は風呂場になるようで洗濯板や絞り器が置いてある。
「あら、小さい子」
「あんたが食堂の手伝いの婆さん? よろしくね」
既に湯浴みを済ませたと思われる女達が、下着姿で椅子に座って寛いでいた。
若い子も年増もいるが、気怠げな雰囲気である。
それがアニーを見ると、皆で取り囲んで思い思いに撫でたり抱きついたりしだす。
こんな場所では子供は珍しいものだものね。
中には子持ちの娼婦もいて子供の扱いも手馴れたものだ。
アニーは揉みくちゃにされて混乱しているのか、大人しくそのまま服を脱がされて、湯桶へと運ばれていった。
彼女達にアニーの入浴を任せても大丈夫なようだ。
大きな桶が幾つか並んでいる。
大人ひとりが入れるくらいのサイズで、お湯が入れられているが座っても腰までくらいしか浸かれそうにない。
湯を沸かすにも燃料がいるのだから、それだけでも気前がいいと思わなくてはならないのだ。
カトリンに言われるまま私も服を脱いで桶につかる。
ふう、少ないとはいえお湯に浸かるのは気持ちがいい。
しばらく水拭きしか出来ていなかったので、しっかりと全身を擦る。
カトリンは私の入っている桶の縁に寄りかかりながら、お湯に布をつけて肩をさすってくれている。
「温かくて気持ちいいわ。ありがとう、カトリン。あなたは入らないの?」
「ううん、もう少しロッテ婆が温まるまでこうしてたいかな」
まるで甘えた猫のように私のそばから離れようとしない。
ここは女性の裸の社交場ね。
こういう時、つくづく前世の日本の経験に助けられる。
貴族しか経験していなかったら、こんな所で裸になれはしないだろう。
「そういえば、これ使えるかしら?」
私は、持ってきた籠から無患子の実を取り出した。
「きゃあ!これソープナッツじゃない?」
娼婦のひとりが嬉しそうに声を上げる。
カトリンは分からないようで、首をかしげた。
「街の子は知らないかもしれないけど、これ石鹸の代わりになるのよ。子供の時は小遣い稼ぎに取りに行ったもんよ」
そう言いながら彼女が実を擦って泡立ててみせると、娼婦達が集まってくる。
どうやら喜ばれたようで安心だ。
持ってきた実は結構な量があるので皆に配る事が出来る。
「奥の方に小川があって、そこに無患子の木を見つけたんです」
説明したものの彼女達は小川がある事すら知らないようだった。
「うちらは昼間は寝てるか、ここで洗濯してるかだから周りに何があるとか知らないんだよね」
「そうそう、出歩く時間があるなら寝ちゃうわよね。外に出て呪われちゃったら大変だもの」
洗濯女であり娼婦でもある彼女達の生活は時間に余裕があるものではないようだ。
それに加えて鉱山の呪い話が影響しているようだ。
それでも無患子の実は魅力的なようで、何人かは取りに行きたいというので簡単に場所を教える。
賄賂ではないけれど、この手土産は随分と彼女達に気に入られたようで私とアニーをこの場により心良く受け入れてもらえることになった。
「ロッテ婆も災難だったわね、こんな子供と館を追い出されるなんて。ほんと貴族って勝手なんだから」
「貴族っていえば男爵家の賢者様。最近は寝込んで大人しいんだって?」
こんな所でアニカ・シュヴァルツの話が出るなんて驚いたが、ここは王国の西だし彼女達にとっては普通の話題なのかもしれない。
「聖女様となんかあったんだっけ」
「聖女に様なんてつけなくていいよ、あんな魔女。賢者様をいじめてるっていうじゃない。魔女がいなきゃ今頃あたし達の賢者様が王子様の婚約者だったのにー!」
「聖女様を魔女なんて呼んだら首が飛ぶかもよ」
ひそひそと少しだけ声をひそめるが、そこには笑いも含まれていて冗談であることがわかる。
「何とか言う男が聖女は魔女だって言って回ってるって聞いたよ。この王国を乗っ取る気だって。それで邪魔な賢者様を虐めてるんだって」
これは初耳だ。
この土地でのアニカ・シュヴァルツの立場を強める為に、そんな悪い話を捏造されているのかしら?
平凡に暮らしたい私が王国の乗っ取りなんて、考えた事もないというのに。
「私は賢者様が聖女様のドレスを破いたって聞いたよ?」
「違う違う。賢者様の召使いが聖女に目をつけられて辞めさせられたんだよ」
湯気の上がるこの場は、すっかり噂話の展覧会のようになってしまった。
女性はお喋りが好きだものね。
でもまさか、そのお題が私とアニカ・シュヴァルツの事であるなんて思いもしなかった。
噂の大半は内容的には魔術儀礼の頃の件のようだ。
やはり王都から離れていると、噂が届くのも時間が掛かり尾鰭がつけられいるどころかまるで違う話になっている。
王国西に位置するここは彼女の地元同然のせいか、話を聞くに私は悪役として定着しているようだ。
あまりいい気はしないけれど、エーベルハルト周辺では私びいきである訳だし住民にとっては真実よりも自分に身近であるかどうかで善悪は変わるのだろう。
彼らがどのような話をしたとしても、彼らの生活は何も変わらないのだから噂話くらい好きに楽しみたいのはわかる。
「ねえ、ロッテ婆は何か知らない? 貴族のお家で働いてたんでしょ?」
女達の井戸端会議に耳を傾けていたら、こちらにお鉢が回ってきた。
目を輝かせてそう聞かれても困ってしまう。
ここで真実を言ってみても、鼻白むだけであるような気がした。
彼女達はつまらない事実より娯楽を求めているだけなのだ。
「そうね。仲が良いという話は聞かないかしら」
さて、どうやって話をそらそうか。




