473話 好評です
少し煮詰めて水分を飛ばしてから火を落とす。
このままパイのフィリングにしてもいいし、いっそ煮崩してジャムにするのも悪くないわね。
そう活用法を考えながらロルフに出来上がったものを持っていくと、思った以上に絶賛された。
「いや、料理が出来るのは本当だったんだな。これならどこに出しても恥ずかしくないデザートだ。ただ煮るだけだと思ったら薬草を活用しているのか」
ゆっくりと味わいながら分析する彼は、紛うことなき料理の専門家という佇まいである。
昨日の煮込みの獣臭さを指摘して良いものか逡巡してから、私は勇気を出してみた。
「昨夜のシチューなんですが、けも……、やっ野性味がちょっと強くて……」
ロルフの顔がニンマリと笑顔になり、私の言葉を遮った。
「お、やっぱりわかるかい? あの獣臭さがなんとも言えないんだよなあ。こう獣を食べてる感というか、脂のギトギトしたとこを頬張った後に酒を喉に流し込む快感は他に味わえないからな」
今にもじゅるりと音を立てそうなように、口を拭うジェスチャーをしてみせる。
ああ、駄目だ。
あれはあれでロルフをはじめある種の男達にとって完成された料理だったのだ。
お酒ね、酒……。
確かに脂の強い物は麦酒に合うわよね。
羊など臭みが強い肉を好む人もいるのだし、それは割り切らなければいけない事なのだ。
自分の舌に合わないからといって他人の好物を否定してはいけない。
私は解決しそうにない事を身に染みて、若干の疲労を感じた。
林檎煮の鍋はエール樽の横に据えて、希望者にその場で盛り付ける事になった。
ロルフはご機嫌に料理に腕を奮っている。
「欲しい分は前もってよけておけよ。勿論、俺の分もな!」
先に取り分ける程、気に入ってくれたようで嬉しい。
料理はこうやって喜ぶ人の顔を見る事が出来ると、より楽しいものなのだ。
簡単な料理とはいえ、久しぶりの調理は昔の台所に立つ自分を思い出させて心がじんわりと温かくなる。
スイッチひとつで火がつくガス台に、電子レンジや調理器具の数々。
石造りの調理場にいると、前世のそれらこそがまさに魔法であったかのように錯覚する。
まさか火を起こすにも苦労するような場所で料理をするなんて、思ってもみなかったことだ。
なんだか妙におかしくてひとり笑ってしまった。
ロルフのフライパンの音を合図に、賑わしい夕餉が始まった。
食卓には贅沢に何種類も料理が並び、男達は目を子供のようにキラキラさせて配膳を待っている。
「おら! オイゲンゾルガー伯爵の慈悲に感謝しろよ! 今日は新入りの為のご馳走だ!」
ロルフがそう声をあげると、わっと鉱夫達は声を上げ料理にむしゃぶりついた。
どの男も体格は良いが、食事事情が悪いのか顔色はあまり良くない。
総じて彼らは肉にばかり手を伸ばし、野菜には見向きはしないようだ。
昨日まで街でお腹を空かせる生活をしていたのなら、なおさらこの料理はその目にご馳走に映る事だろう。
酒のおかわりも頻繁だ。
この飲み方だと酔い潰れてしまう人も出そうだけれど、心にというか胃袋に余裕が無いうちは毎晩こんなものかもしれない。
テオ達古参の鉱夫達は場の雰囲気に引き摺られてか若干テンションが高いものの、慣れたものでがっつきもせず自分のペースで食べている。
それでもここに来たばかりの時は、この新人達と変わらぬ有様だったというのだ。
衣食住が足りるという事は、人の振る舞いにかなり影響を及ぼすものなのだと身に染みた。
「婆さんに見られてると、行儀良くしねえといけない気にならあな」
照れ臭そうに鉱夫のひとりがそう呟いた。
観察していると鉱夫のうちの何人かは、何故か私を前にしゃっきりとするようだ。
不思議に思っていると祖母が厳しかったり、小金持ちの家の御用聞き等をしていた人達なのらしい。
婦人を前に失礼をしないよう躾られているということだ。
「それでなくてもあんたみたいに姿勢よく優雅なとこを見せられると、だらしないとこを治そうってなるんだよ」
肘を付きながら食べていたテオが、きちんと背筋を伸ばして冗談めかしてそう言う。
私は普通にしているだけなのだけれど、幼少から仕込まれた令嬢の所作がそう思わせるのだろう。
侯爵家では誰もが姿勢が良かったし、使用人の教育も行き届いていたので気付かなかった。
いい教育と躾は、身ひとつになっても財産として残るものなのだと実感する。
「デザートはなんとロッテ婆さんの林檎煮だ! ロルフ食堂の新メニューを食べ逃すなよ!」
料理人も今日ばかりは早くから酒が入っているらしく、機嫌よく口上を上げる。
「婆さん、これいけるな!」
「甘い物なんていつぶりだ」
「なんか高級な味がするぜ」
新入りの中には甘いものを口にするのが子供の時以来であったりする者もいたらしく、かなり好評である。
多めに作った林檎煮は早々に売れてしまった。
デザートを最後に食べるという決まりなんて、彼らにはないのだ。
私を前に礼儀正しくなる者もいれば、その反対もいた。
テオとロルフの手前絡んでは来ないけれど、暗い眼差しで睨め付けてくる者は何人もいたし、ニヤニヤしながら何故か住居の場所を聞く者もいた。
私が口説きたくなるような若い娘ならいざ知らず、婆さんの住処を聞くなんて押し込み強盗くらいしか思いつかない。
申し訳ないが、聞いてきた輩は老人に親切にしたい殊勝な人間にも見えないのだ。
私はのらりくらりと角が立たないよう誤魔化したが、古参の鉱夫達は既に知っているだろうし住居を知られるのは時間の問題であろう。
財産のひとつも持ち合わせていないのだから、空き巣に入ろうなどと思わないといいのだけれど。
「ロッテ婆さん、今日はカトリンと風呂に行くんだろ? そろそろあがりな。昨日と同じく配達はしてくれな」
変な絡まれ方をしないうちにとロルフが気をきかせて昨夜よりも早い時間に上がらせてくれる。
用意された籠を持つとわたしは騒がしい食堂を出た。
その時、仲間に何かを耳打ちされた新人の鉱夫のひとりが席を立ったのに気付いた者はいなかった。




