472話 林檎です
「料理が出来るって言った事を気にしてるのか? 貴族が台所に立たない事は子供だって知ってるんだ。無理になにかしようとしなくてもいい。充分手伝ってもらってるからな」
少し気の毒そうな、そして慰めるようにそう言われる。
うーん、信用が無いのね。
いや、それだけ貴婦人は料理をしないという共通意識が庶民の間にあるのだろう。
実際には趣味で焼き菓子を作る人もいれば、貧乏貴族の中には自分で料理をする人もいると聞く。
高位の貴族はそれこそ調理場にさえ立ち入った事のない者もいるだろう。
庶民に対して自身で料理すると吹聴する貴族はいないだろうし、貴族が料理をしないと広まるのは仕方ない事かもしれなかった。
でも私は死活問題である苦手な匂いの料理を改善したいのと共に、この機会に料理を楽しみたいのだ。
「では、林檎煮を作らせて下さいませんか。切って煮るだけですし、それなら特に問題ないでしょう? 果物をそのまま食べるのもいいですが、特別な日ならひと手間掛けた方がいいというものですもの」
「ふむ、林檎煮か。それくらいなら大丈夫か……。確かにロッテ婆さんの言うのももっともだしな。焦がしたりはしてくれるなよ」
そう言うと鍋と大きな鋏をこちらへ寄越してきた。
ふう、なんとか言いくるめることが出来て良かった。
こうして少しずつ、強引にでも調理に関わっていかないとね。
私は鍋を受け取ると、機嫌よく笑った。
鍋は銅製で吊り手の付いたショドロンと呼ばれるもので見た目通りずっしりと重く、女性が両手でやっと運ぶ事が出来るものだ。
食堂の中の釜戸はロルフが使うので、外にある炊事場を使わせてもらう。
外と言っても屋根は付いているし、キャンプ場の炊事場に近いだろうか。
昔は人が多くて、こちらも常時使っていたのだろう。
今では廃れているけれど、幾つかの釜戸は手入れされ使えるようになっている。
今回のように何種類か料理を作る時に使えるようにしてあるようだ。
鉱山の住居区域には、こうした大小の炊事場が点在していた。
昔はここに多くの人間が住んで、そこかしこで煮炊きをしていたのだ。
使われなくなったそれは、目に入るたび少し寂しい気持ちにさせた。
私は鍋を吊り金具に下げてから、林檎をくし切りにして中に入れていく。
皮は付いたままだ。
農薬等は無い時代だし、皮も栄養があるものね。
単純な作業だけれど、大人数なので結構な労力である。
ロルフが手伝いを欲しがるはずだわ。
この食堂の人手不足が身に染みる。
雇われた以上、ちゃんと私も戦力にならないとね。
林檎の準備が終わると、次は砂糖だ。
この世界で一般的な砂糖というのは運搬に手間がかかる粉砂糖ではなく、円錐状に固められた棒砂糖である。
一見、白い大きな蝋燭のように見えるそれは精製されて上等なもの程小さく、質が悪い砂糖ほど大きくなり安くなる。
一般家庭では1メートル程の高さで10数キロも重さのある物を台所に据え、大事に何年もかけて使うそうだ。
この食堂で使われているのも、安価な大きな棒砂糖である。
その固めた砂糖の塊を、拷問具に間違われそうな大きな鉄の鋏て切り崩しながら使っていくので、不格好な円錐になっている。
量があるとはいえ嗜好品のひとつなので、一片たりと無駄には出来ない。
目分量で大体の当たりをつけ、砂糖を切り取りすり鉢でごりごりと細かく砕く。
そうして細かい粒子にした砂糖を鍋の中の林檎にまぶして少々時間をおき、林檎から水分が出てきたら白ワインとローズマリーを入れて火にかけるのだ。
遠火でじっくりと煮ながら、大きな木の匙で焦げないように底から混ぜる。
この時に林檎が煮崩れないよう、慎重に匙を動かす必要がある。
大鍋を混ぜていると給食のおばさんか、魔女になった気分だ。
しばらくすると甘い香りが辺りに漂いはじめた。
林檎と一緒に入れたローズマリーは、午前中にアニーと一緒に詰んだものである。
早速役に立ってくれて、採集したかいがあるというものだ。
林檎煮にローズマリーを入れるのは、大聖堂に隣接する薬草園の修行僧に習ったので味に間違いないはずである。
薬草園にはクロちゃんとビーちゃんのおやつ場として通っただけでなく、ちゃんと薬草の使い方も教わっていたのだ。
じゃがいもや肉料理によく合う薬草であるが、意外に焼き菓子や甘いものにも合うのだという。
薬草園を持つだけあって、修行僧達は薬草について博識であったし、その用途についても詳しかった。
林檎の実が透き通ってきたところで、ひと口味見をしてみる。
この味見というのが、自分で料理する時の醍醐味よね。
はふはふと熱々の林檎煮を頬張ると、林檎の酸味と程よい砂糖の甘みが口の中に広がる。
そこにローズマリーのすっきりとしたアクセントが際立って、上品な一品に仕上がっていた。
香りだけでなく精神を安定させたり血行を良くする薬効もあるし、これならロルフに合格点をくれるのではないかしら?
私は試験を受ける子供のようにドキドキと鼓動を鳴らし、緊張しながら試食の皿を料理人に運んだ。




