465話 帰宅です
朝のお使いも済んで小屋へ戻る。
小屋の前をまた血で悪戯されていないかと思ったけれど、どうやら大丈夫なようだ。
アニーはまだ寝ているだろうし、そっと戸を開けて中へ入った。
昨夜の事を思い出す。
また同じような事があったらと身構えたけれど、彼女は寝台ですやすやと寝息を立てていた。
焚き火の匂いがグーちゃんの臭いを上手く消してくれているようで、外からの帰りでも室内はそこほど気にはならない。
これはうれしい誤算だ。
彼は水浴びは余り好きではないらしく、洞窟でそれとなく話を振った事があるのだけれどやんわりと断られた経緯がある。
こちらが頼んで一緒にいて貰っているのだから、余り強要したくはない。
換気の為に窓を開けてあるし、後はいい匂いのする薬草を飾ればいいだろう。
グーちゃんは起きているかと思ったけれど、見たところどこにもいない。
出掛けたのかと思っていたら、よくよく見ると小屋の奥にボロ布の山のようなものがあり、それが猫のように丸まって眠るグーちゃんだった。
彼はピクリとも動かず、そこにある家具のように気配を消して蹲っている。
長年培った技術なのだろうか。
ひとりで野山で暮らすには、いびきも不用意にかけないものね。
夜中に水を汲みに行ってくれていたし、興奮もようやく覚めて眠気がきたのだろう。
ともかく陽は昇ったのだから、窓の木板を大きく開けてなるだけ室内が明るくなるようにした。
勿論、グーちゃんに陽射しが当たらないようにしているが、窓自体もそう大きなものでもないので、薄暗いのはたいして変わらない。
行楽の時や何かの時に馬車の中から入口が開きっぱなしの家を見掛ける事があったが、それは決まって粗末な小屋であった。
なんとはなしに眺めて不用心だと思っていたけれど、今こうなってみると戸板を開けなければ小屋の中は昼間でも暗くて生活するのは難しいからなのがわかる。
蝋燭は贅沢品なのだし、外が明るいなら使う気にならないだろう。
あれは入口を解放して、光を入れていたのね。
在宅ならば戸を開けておけば、明るくて換気も出来るというものだ。
焚き火の薪はもう火をあげてはいなかった。
日中に向けて気温も上がるだろうし、これ以上は薪を焚べる必要はないだろう。
私はロルフに習った通り、夜に備えて熾火となったそれを灰に埋めておく。
そういえばウェルナー男爵領ではこうやって熱い灰にお焼きを埋めて灰焼きおやきを作ったのを思い出した。
まだそう何年も経った訳でもないのに、酷く昔のことに思えるのは、いろいろな事があったからかしら。
もしこのままの姿で元に戻らなかったら、ここでお金を貯めてウェルナー男爵領へ向かうのもいいかもしれない。
ウェルナー男爵は村人にも気さくであったしあの村ならば旅人を無碍にしたりしなさそうだ。
老女のひとりや2人くらい受け入れてくれそうな気がした。
そうしてお焼きを作って暮らすのだ。
その時はアニーも一緒ね。
グーちゃんはどうかしら?
馬車に乗るのは嫌がりそうだ。
でも徒歩ではかなりの時間が掛かりそう。
私はそんな妄想を自由に描いて、3人の珍道中になりそうな旅路を想像した。
身元もあやふやで身分も無く何者でもない怪しい3人組である。
自由気ままで陰謀も策略も必要ない私達。
実際には距離的に難しいし、あの村で冬を越すのも難しい事だとわかっているけれど。
その想像はとても楽しくて、思うだけで気持ちを明るくしてくれた。
「ん……、しゃうー?」
室内に朝日が斜めに入り少しばかり明るくなったせいか、アニーが目を擦りながら起き上がる。
おかしな所のないいつもの彼女だ。
「おはようアニー。よく眠れた?」
声を掛けるとむにゃむにゃとしているばかりで、一向に寝台から降りてこない。
少しばかり観察してみたけれど、彼女には寝台から降りる選択肢がまるでないかのようだった。
貴族の令嬢ならば朝の支度の為、先ずは水差しと洗面器を用意した化粧台へ向かうはずだ。
彼女にはそういう習慣はないのだ。
全くその素振りを見せない事からも、彼女は病気か何らかの理由で寝台で生活していたと考えられないだろうか。
そう推理するのは穿ちすぎというものだろうか。
寝たきりの生活であるならば、あの細さや小柄な様子も納得出来るのだ。
彼女は洞窟でも最初から居たと思しき場所から移動していなかったし、その後も私が促すまで自分から歩こうとしなかった。
酷く自主性が無い性質なのか、そう育てられたのか。
あるいはその心に巣食う狂気のせい?
私を最初恐れていた様子からも、いい扱いはされていなかったのは想像にかたくない。
私が手を差し出すと、それを頼りにアニーはようやくベッドから降りる事が出来た。
グーちゃんが起きる気配もなかったので、アニーと2人で散歩に出る事にした。
私の手をきゅっと握る小さな手が少し緊張を伝えている。
鉱夫達とは離れているので周辺は静かなものだし、周りは廃屋ばかりなのだから小さな子には不気味に思えるのかもしれない。
ここに着いた時は私に抱かれていて安心していたし、昨夜は平気そうであったのは、単に暗くて周りが目に入っていなかったのだろう。
抱き上げてあげようかとも思ったけれど、体力をつけるためにも自分で歩かせた方がいいと判断した。
さあ、廃墟探検と行こう。




