462話 最古の職業です
「ええ、元貴族とはいえ今はただのお婆さんですから、何もかしこまらなくて結構ですわ。ロッテ・シャルルヴィルと申します。よろしくお願いしますね」
昨日から挨拶ばかりで目まぐるしかったけれど、女性に会うのは初めてね。
とても派手で体に張り付いた鮮やかな布地は、ここが鉱山である事を忘れさせるほどだ。
歌い手さんかしら?
それとも踊り子さん?
酒の相手の女給かもしれない。
「えー、こんな場所で貴族に会えるなんて考えてもみなかったわ。あいつらあたしらを見ると、顔を背けたり眉間に皺を寄せたりするもんだけど、ロッテ婆はそんなことないのね」
小気味いい笑顔でそうしゃべる彼女は、大人びて見える。
「それは貴族に限らず、人それぞれだと思いますわ。カトリンさんは朝早くていらっしゃるのね」
私の言葉に彼女は悪戯そうににんまりと笑う。
「いらっしゃるのねだって! 真似したらあたしもおしとやかにみえる?」
カトリンは陽気な質のようで、彼女がいるだけで食堂にぱっと花が咲いたような明るい気持ちにさせてくれた。
おしとやかぶろうとするカトリンに、ロルフが吹き出している。
「言葉だけでどうにかなるもんじゃないだろ。ロッテ婆さんは掃除中なんだから邪魔するんじゃない」
「掃除しながらおしゃべりは出来るもの。ねえ、ロッテ婆」
人好きする笑顔をカトリンは向けた。
はっと見とれそうな笑顔。
客相手の商売をしているのは間違いない。
「そうそう、あたしは早起きじゃなくて、夜じゅうずっと仕事だったの。このパイが焼けたら皆のところに持っていって食べてから寝るのよ」
行儀は悪いがテーブルに腰かけてしなを作って、カトリンはある方向を指差す。
指差したのはスヴェンの鉱山の案内中に、派手な布を見掛けた場所だ。
確か洗濯女の仕事場と寝所と湯浴み場があると言っていたところね。
それにしてもロルフだけでなく、こんな美人も徹夜で仕事だとは驚いた。
「夜を徹してお仕事だなんて大変ね」
少しやつれて見えるのは疲れからなのか、元から痩せているせいなのか判断がつかない。
「昼は男どもが仕事中だからね。その間は商売になんないから寝るのが一番なのよ」
「商売?」
「うん、あたしらはここの専属娼婦だからね。股を開くのが仕事なの」
あっけらかんとカトリンは言った。
「おい! いくらなんでもロッテ婆さんに刺激が強すぎる話だろ。もうちょいどうにかしろよ」
ロルフが我慢ならないという風に口を挟んだ。
彼は彼なりに良識を持っているらしく、年配の私に気を遣ってくれているのだ。
気位の高い貴婦人なら耳を塞いでしゃがみこんでみせるかもしれない。
もしくは、この女性を目の届かない場所へ下げさせろと金切り声をあげてみせそうだ。
確かに貴族の女性の耳に入れるには危うい話かもしれないけれど、前世の記憶を持ってる一般人の私にはそこほどというものである。
いつの時代も体を売る女性は存在するものであるし、人類最古の商売は娼婦と傭兵であるとか、娼婦とスパイとかいう話もあるくらいだ。
そうせざる背景は恵まれたものではないかもしれないけれど、職業のひとつであることには変わりない。
そういえば彼女らの建物を聞いた時にスヴェンは顔を赤くして話を濁していたけれど、彼も気を遣ってくれた訳ね。
「ロッテ婆はあたしと話をするのが嫌い?」
ロルフの剣幕に押されてか、目を伏せてカトリンが呟いた。
そこから見える寂しそうな風情は、その見掛けとは相反して彼女の本質の幼さを教えてくれていた。
「いいえ、愉しいですわ。貴女はとても気持ちのいい女性だもの。歯に衣着せぬところも美点であるともいえますから」
ぱっと彼女の瞳に火が点る。
「ロッテ婆、ねえ、ロッテ婆。本当にそう思う? 娼婦と話をするのは嫌じゃない?」
幾度となく存在を否定されてきたのだろう。
それでも人好きするこの子は、人と話をしたいのだ。
「ええ、それに地母神であらせられる黒山羊様はいろんな男神と婚姻して沢山の子供を産んでいるでしょう? それこそ『千の仔を孕みし森の黒山羊』と呼ばれるほどに。娼婦の様に多くの男性経験をされているのだから娼婦の神とも言われてもおかしくないわ。そんな神様がいるのだから体を使って男性を癒している方々を悪し様に扱うのはどうかと思うもの」
がばっとカトリンが抱きついてきた。
「ありがとうロッテ婆。最初に元貴族だなんて嫌な言い方してごめんね。お高くとまった貴族様だったら追い出してやろうかと思って……」
どうとでもないような言葉であるが、確かに嫌味にとれるかもしれない。
「元」貴族なんて表現は、その身分に甘んじていた人間には耐え難いものだ。
それほどに貴族と庶民の立場や栄誉の差があるのだから。
まあ、気持ちもわからないでもない。
ここにはそういう触れ込みで来ているのだ。
今、鉱山の手伝いの身分だとしても、それまでは貴族としていい暮らしをしていたと判断されて当然だ。
生まれた時から今まで苦労をしてきた持たざる者から見れば、今まで楽をしておいて落ちぶれたとて自分達の場所に割り込んできたと警戒してもおかしくないもの。
「大丈夫よカトリン。私何も嫌な気分になんてなってないもの」
そっと、頭を撫でるとすりすりと猫の様にくっついてくる。
あらあら、甘えん坊ね。
猫の様というより猫そのもののようだ。
目を細くして甘えている。
「あたしお婆ちゃんがいて、子供の時に死んじゃったけど、こうして撫でてくれてたの覚えてる」
甘えたい盛りに失くしたのだろう。
この商売では同じ庶民の女性でも嫌がる人はいるし、老人となると付き合う機会もないのは想像出来る。
人と肌を合わせる仕事をしていても人恋しいのね。
まるでどこかの王子様と同じ。
誰しも失った優しい手を求めているのかもしれない。
呆れるロルフをよそに私は何度も彼女の頭を撫でていた。




