457話 壺です
薪は小屋の外壁にあったはずだ。
見掛けた時に冬の備えかと高を括っていたが、実際には気密性の低い小屋で寝泊まりするには冬以外の季節にも活躍しそうである。
柔らかな子供の頬を撫でてお利口に待つように言い聞かせてみたけれど、彼女はきゃーっと楽しそうに笑いながら私の腰にしがみついて離してくれない。
そう、アニーはこういう子であるはずだ。
さっきの事は忘れよう。
忘れる事ができないのはわかっていても、そう思わずにいられなかった。
「仕方ないわね。一緒に来る?」
我ながら甘いけれど、何となく彼女ひとりにさせたくなかった。
もし、今日無理矢理にでも起こして食堂に連れて行っていたら、先程のような異変は起きなかったかもしれないのだ。
「あい!」
アニーは、元気よく手を上げる。
「いい子ね」
幸いにも小屋の外壁に薪は積み上げられていたので、大した労力はかからなかった。
そうは言っても子供の身では何本も持てるものでもなく、アニーは1本の薪を大事そうに抱えて、んしょ、んしょ、と呟きながら小屋の中に運んでくれた。
それを微笑ましく眺める。
いっぱしに仕事をしているつもりなのだろう。
私が運んだものと一緒に、小屋の中心に作られた焚き火場に薪を組んで置く。
ロルフが手燭を持たせてくれていたので、そのまま焚き付けに火を移すのは簡単だった。
薪にしっかり火がつくまで手持ち無沙汰なので、手のひらをヒラヒラとして空気を送ってみる。
アニーは私を見て負けじと手をパタパタさせているが、私の頭に向かってやっているので残念ながら焚火の糧にはならなかった。
小屋の真ん中で、焚火はパチパチと音を立てた。
炎は大きく、そして明るく熱を放って灯りの代わりもしてくれる。
もちろん煙も出ているが、戸板の隙間やずらしてある窓の木板の空間が上手く換気口の役割を果たしているようで煙で燻されたり一酸化炭素中毒の心配も無さそうだ。
簡単な作りの小屋なので、部屋の中が少々煙たいのは仕方がない。
燻される事で虫除けにもなりそうだし、多少は我慢というものだ。
問題は朝まで薪が持つかどうかなのだが、寝しなに薪を追加しておけば何とかなるだろうか。
その火の明るさと温かさが、先ほどまでの冷気を払いじんわりと沁みいる。
アニーは机の上の籠に興味が引かれたらしく、背伸びをして中を覗いていた。
「お夕飯を貰ったのよ。ご飯にしましょうか」
布に包まれた壺のシチューは、蓋を開けるとまだ湯気が立ち上りホカホカであった。
木の深皿へ匙を使って中身を移す。
久しぶりの温かなご飯ね。
「では、いただきましょう」
暖炉で煮込まれたシチューの野菜は柔らかく、スプーンで力を入れなくても切れるほどだった。
臓物も食べやすいサイズに切られているし、十分な量が入っている。
前にヨゼフィーネ夫人と訪れた救貧院で、庶民の食卓の話が出た事がある。
スープは雑穀で水増しされ、肉の欠片でも入って入れば上等であるらしい。
日雇いの中にはベーコンの脂身を報酬にする者もあるそうだ。
そう考えると、このスープひとつとっても破格の待遇である。
まずは汁を味わおうかしら。
ひとさじ掬って口へと運ぶ。
その途端口の中いっぱいに広がる匂いと味。
それは生臭く濡れて半乾きの雑巾を巻き付けた野良犬の足を口に突っ込まれた様な衝撃で、私は絶句した。
アニーを見ると相当ショックであったのか、口を開けたまま固まってしまっている。
これは、なんと言ったらいいのか……。
お世辞でもおいしいとは言えない。
野性味が溢れて、ふき零れてしまっているというか、獣臭さに相当慣れていなければ飲み込むのも難しいだろう。
脂もギトギトしていてカロリーは高そうだが、それ以上に舌に重い。
臭いに限っては獣臭さがあるもののまだ許容範囲だったのだが、油膜のお陰で臭いが抑えられていたのだろうか。
臭いに比べてその味は凄まじく獣っぽかった。
食堂の鉱夫達は普通に食べていたので、慣れていればこんなものなのかもしれない。
悪く言えば飢えていれば、味など二の次というものだ。
そもそも肉が食べられるだけで、ご馳走なのだものね。
肉体労働の鉱夫にしてみれば疲れた体に濃い味は歓迎されるだろうし、こってりとした油も食欲を誘うものなのだろう。
これも贅沢病のひとつかしら。
今日ばかりは繊細な味にすっかり甘やかされた自分の舌を恨むしかなかった。
アニーの口元にエールを運ぶが、これも気に入らないのかウェッと嘔吐くと舌を出して抗議した。
仕方ないので水筒に詰めてある洞窟の水を飲ませたけれど、シチューには二度と近寄らないようだ。
私も頑張ってはみたものの、どうしても口に残る生臭さと匂いでギブアップしてしまった。
結局パンと荷物にまだ余っているナッツで本日の夕食とする。
パンが美味しくて、本当に良かった。
さて、残してしまったシチューはどうしよう。
その辺に捨てるには場所がないし、かと言って勿体ないからと食べるには苦行が過ぎる。
いい案が浮かばないまま、小屋の裏の井戸にやってきた。
食器や壺はここで洗えばいいのよね。
鍛治小屋の方へ目を向ける。
やはり、あのゴミ捨て場まで捨てに行くべきか。
あそこなら解体ゴミも捨ててあるので、臭いも紛れるし何より近付く人間は少数のはずである。
食べ物を捨てるなんて罪悪感がかなり大きい。
とりあえずシチューを壺に戻して、使った食器を洗い流す。
アニーも付いてきてしまっているけれど、食後の散歩ということでいいか。
なんだか慌ただしい夜ね。
溜息をついた私に、影から手が伸ばされた。
ぬっと、それは私の肩を掴んだ。




