456話 昏き部屋です
さて、これで今日のお仕事は終了。
軽めのお手伝いばかりで時間も短いようで拍子抜けしたが、なんとかやっていけそうで安心する。
後は、私の仕事中にアニーをどうするかが課題だ。
今日は疲れて寝てくれていたからともかく、ひとりでいさせて知らず外に出て迷子になっても困るし、かといって食堂に連れて行っていいものか。
よく言い聞かせたら大丈夫かしら?
一度、スヴェンかロルフに相談してみないとだわ。
夜闇に手燭の光が頼りない。
街灯も無く、手元の蝋燭と月明りだけ。
鉱山の集落は砦のようなものだから魔獣や夜盗に気を付ける必要はないけれど、落ち着かない気分だ。
すっかり遅くなってしまったわ。
早く帰らないと。
夜道を急いて小屋へと戻る。
この間まで大きなお屋敷で人に囲まれて暮らしていた事を思うと、この状況がなんだか頼りないようなそれでいて不安を伴うものの解放感のようなものが胸に去来する。
寂しいけれどその中に清々しさもあって、そう思ってしまう自分に少し罪悪感を覚えた。
「あら、アニー起きていたの?」
戸板を開けて入ると私が手にしている蝋燭の光が、暗い部屋をうっすらと照らしだした。
少女は、ベッドの上に体を起こしている。
うっかりしていたけど小屋には蝋燭があったのだから、出る前に部屋の灯りくらいつけておくべきだったかしら。
真っ暗な部屋で、ひとりきりなんて精神的にも良くないわよね。
でもアニーは洞窟の闇の中も平気だったし、大丈夫かしら?
蝋燭に火をつけたまま、ひとりにするのも危なかしくて、それはそれで不安なのよね。
手の届かない場所に置くならいいかしら。
蝋燭の取り扱いを思案しながら声を掛ける。
「食事を持ってきたのよ。まだ温かいの。一緒に食べましょう」
変ね、返事もしないしピクリとも動かない。
机に籠を置いてから、アニーに手燭を向けた。
朧気な灯りに照らされたベッド。
色を失ったかのような、血の気の失せた少女がそこにいた。
白い肌に口はまるで叫ぶ前の様に大きく開き、目を見開いたその瞳は深い底無しの穴のように暗くぽっかりと穴が空いているかのよう。
それは、声にならない叫びを上げているかのようだった。
「アニー……」
目の錯覚だったのか一瞬そのように見えただけなのか、よろめいた私は驚いて彼女を見返す。
そこには眠っている様な少女が座っているだけだった。
目も口も閉じている。
今のはなんだったの?
何が起こっているの?
戸惑う私を前に、少女はゆっくりと口を動かした。
「みんな死ぬ」
だらりと、その言葉は口から糸を引いて零れるかのように重苦しく響いた。
「晴れ渡る空 その地平線の彼方 彼の地が浮かぶ時 其は現れ出てる」
「それは 美しい 美しい光」
「眩く光る 煌めく者」
それは呟きと言うより、朗々と流れる詩吟の様でもあった。
神託か予言か、狂人の戯言かなにかの様に厳かに語られるそれは、あの屈託のない少女には不似合いな重苦しさを纏っている。
こんな風に、流暢に言葉を話すアニーは知らない。
この私の目の前にいる少女は、本当にアニーなの?
訝しがる私をよそに次の瞬間には、彼女は狂ったような笑顔で叫んだ。
「みんな かたくなって しぬ!」
「みんな しぬ!」
きゃーっははははっ
げらげらげらげら
ひっひっひっ
少女はそう告げると、笑い声をあげる。
その声は子供や大人の男や、或いは老婆のものにも聞こえた。
「みんな しぬ みんな しぬ みんな しぬ みんな みんな みんな しぬ しぬ しぬ しぬしぬしねしねしねしねしねしねしね」
壊れた再生機のようにそう繰り返すと、アニーの体が雷に撃たれたかのようにビクンと痙攣してそのままシーツに倒れこんだ。
静寂が訪れる。
「アニー!」
私が助け起こすと彼女はまるで今起きたとでも言うように、ふにゃふにゃと目を擦りながら私に抱きついた。
「しゃう?」
私は安堵と共に、少女を受け止める。
ああ、良かったアニーだ。
そうこれがいつものアニー、のはずだ。
それとも先程までの胡乱な彼女が本当なのか。
まさかあれも呪いの影響だとでも?
正解はわからないけれど、今のこの子は私のアニーであるのは間違いない。
「さっきまでの事覚えてる?」
私の問いにアニーは首をぺたんと横に傾げる。
何を聞いているのかわからないというように。
ひやりと冷気が首を掠めて寒気を連れてくる。
わたしは体をぶるりと震わせた。
「秋とはいえ夜は冷えるのね。薪を持ってくるからここで待ってて」
先程までの出来事を無かったかのように振舞ってみる。
この震えは先程までのアニーの異様な様子のせいではなく、実際に寒いからだ。
彼女を怖がるなんてしたくない。
この少女への気持ちが曇る事なんて考えられない。
きっと寝ぼけたのよ。
何か不穏な言葉の羅列だったけれど、彼女の不遇な環境を推測すれば世を呪う言葉が出ても仕方が無い。
何かの拍子で正気に戻ったのかもしれないけれど、あれが正気なら今の彼女の方が幸せなのかもしれない。
気にせず彼女が、穏やかな時間をもてるようにしよう。
そう自分に言い聞かせたが、それがごまかしである事もどこかで私はわかっていた。




