454話 飲み物です
閉じた鉱山という集落。
不意にそれが重苦しくのしかかり、そして心細く思われてきた。
ここで何があったとしても、人に溢れた賑やかな街中のようにはいかないのだ。
事件が起きても起きなかった事に偽装する事も、その目撃者を全て始末するのも、人里離れたここならば簡単だろう。
駆けつけてくれる隣人も、訪ねてくる客人も、巡回する衛兵もいない場所なのだもの。
それに気付いた時、ぬらりと頬を舐められるような気色の悪さが湧いてきた。
少々遅れてから、鉱山監督のグンターと助手のスヴェンも食堂へやってきた。
相変わらず怒鳴られてはいるようで、萎縮したスヴェンが気の毒だ。
グンターは年老いた女が気に入らないのか、私を見てもふんっと鼻を鳴らすだけで何も声をかけてはこない。
さっさと空いている席に座ると、スヴェンに自分の夕飯と酒を運ばせて自分の前に座らせている。
飲み物もわざわざ壁に飾ってある上等な葡萄酒をこれみよがしに選んでいた。
食事と同じく樽の酒は日常遣いで無料だが、瓶のものは上物で別である。
給金の使い道の無い鉱山での、数少ない有料の物資だ。
他にも、煙草等嗜好品がそれにあたる。
酒に金を遣うのも本人の自由だが、深酒で仕事に支障が出るのを嫌ってそれほど売れないらしい。
なんと言っても酔うだけならば、樽酒で十分なのだから。
無駄口をきいて怒られるのを恐れてか、私から酒を受け取る時もスヴェンは身振りで挨拶するだけであった。
あんな感じで食事中までグンターと一緒では、スヴェンの胃はストレスでくたびれてしまうだろう。
横柄な人との食事は、おいしいものも色褪せる。
彼が痩せぎすなのは、そのせいもあるのかもしれない。
周りの鉱夫とも距離をとっているようで、離れたところを陣取っていた。
鉱夫らは私を元貴族だと囃し立てたが、グンターの方がよっぽど傲慢な貴族のような振る舞いをしていた。
彼の肩書きである鉱山支配人のその名の通り、ここでは1番偉い役職であるのだから、そうなってもおかしくは無い。
だけれど管理職のグンターは、怠惰な体をしているせいかその傲慢な態度は筋骨隆々な鉱夫達へ向けての虚勢にみえて仕方がなかった。
人が少ないのだし仲良くすれば日々楽しいのではないかと思うのだけど、偏屈な人間はどこにでもいるものだものね。
粗方食事も終わり、食器を下げて井戸水で洗ったりと手伝いは続いた。
「ロッテ婆さん、そろそろ上がりな」
酒飲みを残して鉱夫らが寝床へ戻っていく頃、声を掛けられる。
布に包まれたなにかの塊が2つと、瓶が入った籠を渡された。
「こっちの壺にはシチュー、これがパン。瓶は飲み水の代わりのエールだ。食器も入れてあるから、明日の朝洗って返しな。間違っても井戸の水を飲んだりすんなよ」
籠に入っていても、温かいのがわかる。
冷めないように布に包んでくれたとは、存外優しいではないか。
それにしても、井戸水は飲めないのだろうか。
「これは、お酒なんですの? 子供がいるのでそれは……」
「なに、酒って言っても酒精の弱いもんだから気にするほどじゃない。麦汁みたいなもんだ」
「井戸か川の水を沸かして飲めばよくないかしら?」
それを聞くとロルフは眉をひそめた。
「いいかい? ロッテ婆さん。それで呪いに当たってもつまらないってもんだろ。山には山のやり方があるから、ここを降りるまでは大人しくエールを飲んどきな」
また「呪い」だ。
「呪いって、なんです?」
「呪いは呪いだよ。昔から言うだろ? 鉱山には妖精がいるって」
鉱山妖精というと、コブラナイやノッカーと呼ばれるコボルトの1種の事だ。
グーちゃんを初めて見た時、まさにそれを連想したのを覚えている。
「山には鉱山妖精がいて、鉱石を護ってるからな。名前の通り岩肌を叩く者なのさ。そうして鉱脈を教えてくれたり、坑道を案内したり崩落の事故を教えてくれたりするんだが、いい事ばっかりじゃねえ」
ロルフは迷信を語っているのではなく、本当に実在している者として神妙な顔付きで説明をしてくれた。
「山を掘り過ぎると、鉱夫は奴らに呪われるんだよ。あいつらを見てみろ。あんなにガタイがいいのに、あちこち包帯を巻いて、怪我だらけだ。穴に潜る度に生気を吸われて、骨もスカスカで脆くなるのさ。ここが栄えてた時は、その分呪いも大きくて、山の麓の村人まで骨は変形するは、頭痛やら皮膚は爛れるわなんやと大変だったって話さ。ノッカーの呪いは水に染み出すから、飲むのを避けるもんだ。街から真水を運んでもすぐ悪くなるから安いエールが日持ちもするし、腹も壊さないし1番さ」
そんなことがあるなんて信じられなかったけれど、料理人の真剣な語り口から私をからかおうとしているのではないのが伝わってきた。
鉱山に本当に妖精は住んでいるのだろうか。
私とアニーは洞窟で水を飲んでいたけれど、大丈夫かしら。
「後、こっちの籠を鍛冶場と細工小屋へ届けてくれ。ロッテ婆さんの小屋の近くだからわかるだろ? どっちも仕事の手を止めたがらないから、戸板を叩いて声を掛けたら、戸口に置いておけばそのうち食うさ」
同じように夕飯が詰められた籠が用意されている。
どちらの小屋もスヴェンに聞いているからわかるけれど、食堂には来ないのね。
職人だし、気難しいとも言ってたっけ。
私は言われた通り籠を持つと、暇を告げて小屋へと足を運んだ。




