453話 値踏みです
ロルフが食堂の外に出て、銅の鍋を棍棒でカンカンと叩いて食事が出来た事を鉱夫達に伝える。
この場所では叫んだり音を出したりする事が、生活する上で重要なのね。
しばらくすると、鉱夫達がのそのそと集まってきた。
話には聞いていたが10人程しかいない。
元々は何人いたのだろう?
この人数ではろくに採掘も進まないのではないか?
その人達も疲れ顔でそれぞれ手や腕や足に包帯を巻いていたりと、なにかしら怪我をしているようだ。
その様を見ると鉱山から逃げるのも仕方がないかもと思った。
「これが元貴族の婆さまか。平民にお酌する気分はどうだい?」
「ひひ、落ちぶれ貴族が、こんな場末でお手伝いさんとかいい気味だぜ。ほら、平民様に酒を注ぎな」
物見高い鉱夫達は、興味津々に私を値踏みする。
彼らの貴族のイメージは、搾取する者なのだろう。
日頃の不満をここぞとばかりにぶつけたいのだ。
皮肉な視線と冷ややかな態度が、この場の雰囲気を悪くしていた。
酷い屈辱ではあるが、身元の不確かな老女である今の私には自尊心を守るよりアニーとの住居の方が大事なのである。
元は単なる日本人の庶民だもの。
生粋の貴族の人と比べたら、そんな野次はなんということも無い。
「さあ、元貴族の給仕でたくさん召し上がれ。ロルフさんが腕を振るいましたからね」
ごめんなさいね、それくらいじゃあ取り乱したりしないのよ。
にっこりと笑ってビールを差し出すと、ある者は期待はずれというようにつまらなそうにし、ある者は面白そうにこちらを眺めた。
普段ふんぞり返る貴族に仕返しする絶好の機会なのだろうけれど、老女相手では乱暴な鉱夫達も調子が出ないようだった。
「澄ました顔をしてるが、室内で魔法を使おうとしたり、燃え盛る火にパン生地を入れようとする突飛の無い婆さんだ。怒らせたらお前達を箒を振り回して追いかけるかもしれないから気をつけな」
ロルフがそう軽口を叩くと、鉱夫らからどっと笑いが沸いた。
「それはたまたまです!」
私は顔を赤くして料理人に抗議した。
せっかく冷静を装い野次をあしらってきたのに、失態をバラされては格好がつかないではないか。
だが、そのせいかは分からないけれど、食堂の雰囲気は明るく悪くないものになっていた。
私へ親しみを持たせる為に、わざとああ言ったのかしら?
いや、悪戯な顔をしている料理人を見ると、単にからかいたかっただけなのかもしれなかった。
「よお、上手いことやってるようじゃないか」
笑顔で右手を軽く上げながら近付いて来たのは、最初に案内してくれた親切な男だ。
「お陰様で糊口を凌ぐ事が出来そうですわ。洞窟暮らしを覚悟しましたので、それを思えばここは天国のようです」
何人かがこちらをおっ?という感じで振り返った。
贅沢三昧の婆さんだと思ったら大間違いよ!
実際、何日かは洞窟生活を経験したのだしね。
陽射しがあって屋根があって、寝具が揃っているなんて最高じゃない。
それにおいしい焼きたてパンまであるのよ。
「そりゃあ何よりだ。俺は人足頭のテオ。頭っていっても偉いってもんじゃない。どんどん人がいなくなっちまうもんだから、周り周ってって感じだけどな」
「丁寧な挨拶ありがとうございます。私はロッテ・シャルルヴィル。呼ぶ時はそうね、ロッテ婆さんでいいわ」
くすくすと笑いながら返すと、何人かがぽかんとした顔でこちらを見ている。
貴族の女は庶民に笑いかけないとでも思っているのだろうか。
せっかく老女になったのだから、この生活を満喫しようではないか。
実際に調理場の手伝いに入ったせいか、やっていく自信が湧いてきた気がする。
割り切って、当座はここで暮らす覚悟が出来た。
黒い雄牛の手紙によれば侯爵家の方もなんとかしてくれるらしいし、休暇というなら楽しみましょう。
「なんだ随分気さくなんだな。おい、お前らこんな人が良さそうな婆さん相手に、馬鹿やるんじゃないぞ」
テオの一言か、それともこれまでの私達の遣り取りのせいなのか、その後は随分彼らからの当たりは柔らかくなった。
本当、最初に思った通り親切な男だわ。
「他の方からも聞いたのですが、役職が回ってくるほど人がいなくなるなんて、鉱夫は余程きつい仕事なのですか?」
テオは私の質問にあーっと間延びした返事をしてから、頭をぽりぽりとかいた。
「うん、なんだな。陸の孤島みたいなもんだから精神的にな……。怪我も多いしあれだが、まあなんだかんだ言ってみんな信心深いからな。結局のところ呪いが怖くて逃げちまうんだよ」
やれやれと溜息をつきながらそう言って、仲間のいるテーブルへ行ってしまった。
呪い?
確かに呪いと言った。
誰もそんな話しはしていなかったわよね?
一体どういう呪いだというのだろう。
迷信の類いでもあるのかしら?
後で詳しく聞けるといいのだけれど。
高待遇でも人が去っていくというのが腑に落ちなかったけれど、それが呪いのせいと言うならば納得出来る。
呪いなんて漠然としたものは、物理的にどうこうする事は出来ないもの。
屈強な男といえど神を信仰しているなら、呪いという不確かなものの存在も心の中では肯定していることだろう。
この場所は廃墟だらけなのだし、心霊的な恐怖を感じる人もいてもおかしくない。
建物の影に霊やそれに付随する呪いとやらを自身の心に投影してしまえば、ここは呪われた地と容易に姿を変えてしまうのだろう。
そんな所では気も休まらない。
長い時間、廃坑として棄てられたこの場所にそれはとてもしっくりと来るものであった。




