451話 封じです
「……我が魔力を受け取り給え。……?」
何かおかしい。
手応えが全くないのだ。
差し出された私の手の平には炎の花があるはずなのに、うんともすんとも反応がない。
不思議に首を傾げていると、背後で笑い声がした。
「ふっふっ……。ははははっ。ロッテ婆さん、あんた頭が呆けちまってるのかい?」
「え?」
振り向くとロルフがピンクの内臓と塊肉を木板に乗せて、なんとも楽しそうに笑っている。
ツヤツヤ光るそれはとても新鮮そうだが、ちょっと猟奇的にも見えないではない。
いや、それより私が呆けてるですって?
「人が住む場所には魔法封じがあるから、魔法が使えないなんて赤子でも知ってる事だろう。賢者様でもなきゃ室内で魔法なんか到底出来やしないってね。しかもあんた杖もないじゃないか。ふあー、はっはっ」
その言葉に私はあっと声を上げて口を押さえる。
そうだった、あれは洞窟だったからこそ、魔法を使う事が出来たのだ。
あそこでは炎の花を常時出していたから、すっかりその事を忘れていた。
今の状況は魔法を使う条件をことごとく満たしていない。
さぞかし滑稽に見えたことだろう。
「はあ、元は貴族だって聞いたが、ここまで世間知らずとはね。ほらよく見ときな。これで火をつけるんだよ」
羞恥に顔を赤くする私に、ロルフは木箱から白っぽい石と鉄を取り出してみせた。
そうして枯れ草を丸めたものの上で、カチカチとふたつを叩き合わせる。
それは火花を散らして、焚き付けに小さな火を点す。
そうしてそれに大事そうにふぅっと息を吹きかけて大きな火種にすると、空気が入りやすいように組み直した薪にくべてみせた。
あの石は火打石だったのだ。
少し考えればわかる事なのに、私は得意満面で魔法を使おうとするなんて、恥ずかしさでいっぱいになる。
賢者はその膨大な魔力のお陰で場所を問わず魔法を行使する事が出来るという。
アニカ・シュヴァルツが賢者と呼ばれる所以が分かった気がした。
「で、あんたは何が出来るんだ?」
ロルフの声が冷たく聞こえる。
それはそうだ。
火をつける事さえ満足に出来ないのだもの。
でもここで引き下がって、追い出されるような事は避けなければ。
私はきっと口を結んで顔を上げた。
「……指示をもらえれば、出来る事をしますわ。火起こしはやり方を知らなくて申し訳ありません」
私の謝罪の言葉を聞いて、ロルフがピクリと片方の眉を上げた。
貴族は過ちを認めないとでも思っていたのだろうか。
先程よりも興味を持ってこちらを見ている気がする。
はあ、情けない。
私は火のひとつも、まともに着ける事が出来ない人間だったのだ。
本当に何が出来るというのだろう。
侯爵令嬢という立場を離れたら、何も出来ないではないか。
私が今まで成してきた事は、周りに私の意を汲んでくれる人がいてこそだったのだ。
私は無力感に苛まれた。
「それじゃあ石窯に火を入れてくれ。釜戸の火を使えばいいからな。火を使う時は危ないから革の手袋を使いな」
私は言われたまま手袋をして、比較的細く割られた薪に火を移して石窯に移した。
「後、この生地をこれくらいの大きさに丸めてこの鉄板に並べてくれ」
「これは?」
「夕食用のパンだよ。朝まとめて焼きたいけど、やっぱり焼きたてがうまいからな。鉱夫がここを離れないようになるだけうまいものを食わせないといけないんだ」
やはり鉱夫は頻繁に逃げてしまうものらしい。
仕事が合わない、いつ崩落するか分からない恐怖、暗闇への恐れ、体力が必要な作業と理由は数あれどロルフが言うにはもっと単純な話だという。
「人間まとまった金が手に入ると、街に降りて使いたくなるもんだからな」
しみじみとそう説明する姿を見ると、彼自身にも身に覚えがあるのかもしれない。
江戸っ子ではないが、宵越しの金は持たないというやつであろうか?
ボーナスが出ると大きな買い物をしたくなるような心理かしらね。
私は大きなパン生地を千切って言われた大きさに丸めると、鉄板の上に並べていった。
茶色いパン生地に、なにかの種や粒が混ざっていて雑穀パンである事がわかる。
ライ麦を使った黒パンは侯爵家でもよく出ていたけれど、こんなに茶色ではなかった気がする。
製粉の段階から違うのかもしれない。
私にパンの成形を任せると、ロルフは持ってきた内臓を包丁でダンダンッと音を立てて切り始めた。
「今日はジーモンが新鮮な泣き猪を獲って来たからモツの煮込みだな。肉は塩漬けにしよう」
どうやら珍しい獲物らしく愉快そうに言う。
聞きなれない名前だ。
「泣き猪とは魔獣なのですか?」
「はあ、あんたなんにも知らないんだな。泣き猪っていったら臆病ですぐに泣きだす四つ足のイボイボの動物さ。出会ってもすぐ逃げるから危険な魔獣ではないけどな。こいつはちょっとおかしなとこがあって……」
ダンッ!ダンッ!
会話の間に包丁が合いの手をいれる。
「おかしなとこ?」
「あんまり怖がらせて泣かせ過ぎると、こいつは自分の涙で溶けて死んじまうんだ。傑作だろう? もちろんそうなっちゃ食べようがねえ」
おかしくて堪らないという風にロルフは笑っている。
自分の涙で溶けて無くなるなんて、なんて奇妙な生態だろう。
涙が硫酸か何かとでもいうのだろうか。
洞窟から降りてくる時に、ばったり出会ったりしなくて良かった。
もし溶ける様子なんか目にしたら腰を抜かしてしまうかもしれない。




