443話 山の上です
「あの、お仕事って?」
「ちょうど料理人のロルフが手伝いを欲しがってるから調理場に入ってくれ。住居は伯爵の要望通り整えておいた」
良かった、調理手伝いなら私でも何とかなりそうだ。
普段から厨房に出入りしていたのが役に立つかも。
それにしても、この人なんだかイライラしてるわね。
さっきこぼしたように、もっと若い女性を期待してガッカリしてるのかしら?
こんな山奥の鉱山じゃあ出会いもないし、女性が来ると聞かされたら夢を見てしまうかも。
いかにも神経質そうでモテなさそうだし、一縷の望みが消えたならイラつくのも仕方ないわね。
私は少し申し訳ない気持ちになったと共に、変な安堵感に包まれていた。
婆さんと呼ばれるのにショックを受ける女性もいるだろうけど、なんというかそれは性的対象にならない証明みたいなもので変に安心感をくれた。
それと侯爵令嬢でも聖女扱いでもないこのぞんざいな扱いは、私に何者かにならないでもいいのだと言ってくれているようでそれが私の心を楽にしてくれていた。
老女の訪問に一縷の望みをかけた目の前の男に対して、妙な同情心まで沸いてくる。
そんな風にまじまじと彼を観察していると居心地が悪いのか扉から体を出し、大声でグンターは叫んだ。
「スヴェーン! この婆さんを案内してやれ!!」
あらあら、なんだかここの人達は皆怒鳴るのね。
そういう流儀なのかしら?
まあ拡声器などは無いし、これだけ広いと怒鳴らないと別の建物にいる人には声が届かないか。
鉱山という場所柄、乱暴な男達が働いていてもおかしくないし自然とそうなってしまうのかもしれない。
間を置いてその声を聞いてか、別の小屋から青年が走ってきた。
ボサボサ髪で、少し気弱そうな風体だ。
「呼んだらすぐ来いって言ってるだろ」
青年はパシンと頭を叩かれている。
その音にアニーはビクリと体を硬くするのが分かった。
安心させるように彼女を抱き上げている腕に力をこめる。
子供の前で暴力を振るうのは歓迎出来ない。
こんなに粗野な人がいるのは子供の教育に良くないわ。
でも、行く宛てもないし今すぐ出ていくという訳にもいかない。
もし人違いだとしても、この状況の情報を集めたり当座の生活の為にしばらくはやっかいになりたいところだ。
洞窟暮らしから抜け出したばかりなのだから図々しくもなるものだ。
地位をかさに選ぶる人間は嫌いだけれど、私はもやつく内心を押さえつけた。
「すっすみません。すみません」
スヴェンと呼ばれた青年は逆らう事なくペコペコと謝った。
これがここの日常なのだ。
身の振り方を考える間はここにいる事になるけれど、やっていけるか不安がよぎった。
「伯爵が言ってた婆さんだ。お前が世話してやれ」
そういうとグンターは、私への興味はないという風にすぐに小屋へ入ろうとした。
「待って! あ、あの、伯爵に会うにはどうすれば?」
ここに私が来る事を伝えたのが伯爵なら何か知ってるはずだ。
少しでも聞き出さなければ。
「ああ? 貴族上がりだからってあんたはもう使用人なんだから、そうそう会えないだろうよ」
「お礼を、そう! 雇っていただいたお礼を直接伝えたいのです」
必死に食い下がる私に呆れ顔をしている。
「そうは言っても伯爵がここに来ることはほとんどないしな。何か手柄なり立てれば山の上に呼ばれる事もあるかもしれんが」
そうそっけなく言うと、振り返ることもなく小屋に入ってしまった。
ぽつんと青年と残される。
とりあえず人違いでもなんでもいい、情報を集めなくては。
「はじめまして、よろしくお願いしますわ。ええと、あのシャルルヴィルです」
なんだか変な感じ。
老婦人らしく振る舞えるかしら。
「スッ、スヴェンです。シャルルヴィルさんの住むところは少し離れてるんで、歩きながらここの説明をします」
声が上擦って緊張しているのがわかる。
こんなお婆さんに何を緊張することがあるのだろう。
「伯爵が私の事を伝えたと聞いたのですが……」
「ああ、はい。先週伯爵が来て、貴族の訳アリの婆さんと子供が……、あ! 婆さんじゃなくて年寄り、いや、婦人……」
ものすごい慌てようである。
「いいのよ。お婆さんなのは確かなんだから」
「すっ、すみません。貴族の人と話すのははじめてで、こんな……」
「気にしないで。それで他には何か伯爵は言ってました?」
「住まわせるから宿代くらいの手伝いはさせていいってくらいでとくには……」
その内容から強制労働のような事は無さそうでホッとする。
「そうなのね。そういえば、伯爵はこちらにはいらっしゃらないの?」
「グンターさんが言った通り、まったくここには来ないんで俺、いや、僕も顔を見たのも先週が初めてで」
「ご自分の領地なのに……」
「朧水晶が出て景気がいいはずなのに、ここを嫌ってるような感じで近寄らないんですよ」
腑に落ちないという風にスヴェンが言う。
そうよね、寂れた領地を立て直してくれた鉱山なんだから頻繁に通ってもおかしくないのに変な話だ。
まあ貴族だから乱暴な鉱夫を嫌っているとかなのかしら。
「先週珍しく顔を出したかと思えばシャルルヴィルさんの小屋の指示だけして、すぐ山の上に帰っちゃって」
「山の上?」
スヴェンは、多数の穴が開く山肌の上を指差した。




