440話 石垣です
椎の実の代わりにアニーにそれを渡して、グーちゃんも口に入れてみせる。
私もひとつ手に取った。
先ほどは疑ったというのに、結局彼が差し出すものを怪しまずに食べるくらい信用しているのだ。
人の心ってとてもゲンキンで勝手ね。
「……ひゃっ!」
びっくりしたように、アニーが顔をしかめている。
遅れて口に含んでみると、その木の実は青さを含んだ酸味が特徴的だった。
きっと熟せば甘くなるだろうそれは、まだ食用には時期が早いのだろうけれど体に良い味がした。
「酸っぱいけどおいしいわ」
不服顔のアニーを横に感想を口に出す。
子供には早い味かもね。
グーちゃんは目を細めてうれしそうだ。
緩い、緩い空気。
洞窟から出られた嬉しさと、人の住む場所へ向かう希望。
視界が利くということのなんと贅沢な事か。
木々に遮られていても空は高く果てしないし、閉塞感とは無縁である。
皮肉な事に当たり前を失わないと、その幸福に気付けないのだ。
私は一時的に闇に閉じ込められただけだが、それでもこの視界の全てを把握出来る事を神様に感謝したい気持ちである。
そうして誰が閉じ込めたとか、グーちゃんが隠した物が何だったかとか、自分に都合の悪い事には目をつむって道行を楽しんだ。
きっとグーちゃんが踏みしだいて作っただろう獣道の様な小道を歩む。
アニーは新しいものを目にするたびに声をあげ、私とグーちゃんが笑う。
そんな風に私達は森の中を笑いながら歩いた。
それはなんというか、3人で過ごす時間の終わりを予感したようなどこか寂しさのあるものであった。
途中、アニーの食べ残しのパンを仲良く分けて食べたり何度か休憩を挟んだが、危険な動物や魔獣に会うことも無くあっけなく目的地へと着いてしまった。
拍子抜けのような、愉しく映画を見ていた最中に唐突にエンドロールがあらわれたような、そんな戸惑いが私を包んだ。
突然現れた切り開かれた広い土地。
それは遠目で見ても頑健で、背の高い石垣に囲まれていた。
ここから向こうは人間の土地、暗にそう宣言しているような自然の中に現われた人工物。
ところどころ苔むして崩れているところもあり、作られてからかなりの年月が経っていることを示している。
廃墟。
そんな感想が最初に浮かんだ。
人の手による補修があったようには思えない石垣は、そのまま緑に埋もれてしまってもおかしくはない様子だ。
ただ、正面にある大きな木造りの大きな板のような扉だけ比較的新しく見えた。
そこから森に続く未舗装の道には幾本もの馬車が行き来した轍の跡がついていて、人の出入りがある事を証明していた。
古い遺跡か廃墟にとってつけたように作られた扉。
大きなそれは落とし扉になっていて、上に櫓が組んであった。
開閉しにくいそれは今は閉じられていて、必要な時だけ開けられるのだろう。
こんな日中だとしても、山奥に訪ねてくる者などいない為、扉は下ろされたままなのかもしれない。
その排他的に感じる佇まいは、外敵や侵入者を阻むものか、それとも中の人間を閉じ込める為か判断がつきかねた。
「あのなか、ヒトいるでしよ」
グーちゃんが指を差した。
「中にいる人はどんな人なんでしょう?」
「ごはんくれる。いいヒトでし」
頭を捻りながら言っている。
直接交流がないので人柄まで判断つかないのだろうか。
「おおきい、おおいでし。オス、おおいでし」
思いついたかのように付け加えてくれたが、特に材料にはならなかった。
こんな山奥に住んでるなんて、どんな人達なのかしら?
まさか山賊とかではないわよね。
人を攫ったりするような人達の場所へグーちゃんが案内するとは思えないけれど、よくわかってないみたいだし少し心配だ。
「……。グーちゃんは一緒に来ないのよね?」
「グーちゃん、あかるい、すきないでし」
ふるふると首を振る。
暗い洞窟が住み良いというなら、無理強いは出来ない。
「じゃあ、ここでお別れなのね」
私の言葉にグーちゃんは少ししょんぼりとしてから、自分を慰めるかのように笑った。
「ごはん、もらうでしよ!」
そういえばそうだった。
「グーちゃんは、どうやって中へ入るの?」
「ぐーう、あっち、のぼる。ヒト、こっち」
どうやらグーちゃんは、石垣の崩れている所から出入りしているようだ。
確かに何ヶ所か崩れているけれど、簡単に入れそうには見えない。
グーちゃんはきっと運動神経がいいのだろう。
「私達が中に入ってから、こっそり会いに来てくれる?」
「わかったでし。なか、ヒト、ないしょ」
それなら中にいる人が悪人でも、グーちゃんが助け出してくれるだろう。
どの道、他に人はいないのだしここへ飛び込むしかないのだ。
「ここまで、ありがとうグーちゃん。あなたにはたくさん助けてもらったわ」
「いいでしよ」
「きっと、会いに来てね。待ってるわ」
覚悟を決めてアニーの手を引くが右手はグーちゃんを離そうとしなかった。
「ぐーちゃ、いっしょ」
先程の私達の会話を聞いていたからか、その手を離そうとしなかった。
「ぐーちゃ、ぐーちゃ、いっしょ」
そう言うと彼女は泣き出してしまった。




