438話 出口です
「んー!!」
「うまいでしか? アニー」
「むまい!」
私が舌鼓を打ったパンはアニーにも好評で、食べながら感嘆の声を上げる少女はとても微笑ましかった。
グーちゃんはそれを満足気に眺めながら得意気に鼻を膨らます。
何とも可愛らしい。
そのパンは小さなアニーには大き過ぎたようで半分残してしまったけれど、それは大事に包み直して次の食事に備えることにした。
人の住む場所へ辿り着いても、そこが安全であるとは限らないのだ。
万一に備えて食糧は大事にしなければね。
私達は十分に休憩をとって出口を目指した。
アニーはすっかりグーちゃんを気に入ってくっついているので、彼女の事は任せることが出来た。
お陰で、私は荷物を運ぶ事だけに専念する。
「りーご、りーご」
アニーの歌う拙い童謡に合わせて、グーちゃんも楽しそうに歌っている。
とても無垢でこの2人は、よく似ているような気がした。
なんだか保母さんの気分だ。
この世界に来てからずっと守られる地位にいたせいか、自分が大人で庇護する存在がいることが新鮮である。
もちろんその責任の重さも自覚はしているが。
それにしても訳アリ老女と無知な少女に、ついぞみかけないぐーうなる獣人の一行だなんてはたから見たら随分と奇異なものに映るだろう。
自分でも思ってもみない出会いだったもの。
洞窟は私が目を覚ました場所から水辺まではほぼ一本道であったけれど、出口が近付くにつれ少々複雑な作りになっていた。
暗闇の中、グーちゃんは分岐に差し掛かる度説明をしてくれたがさすがに把握は難しい。
複雑と言っても、正解の1本を除いてどれも行き止まりになるらしく迷っても遠回りでも片手を壁についていればいつかは外に出られそうではある。
私が最初に選んだ方法は間違えていなかったし、私をここに連れて来た人間がこの洞窟に私を閉じ込めて殺そうとした訳でもない事が知れた。
必ず出られる洞窟なのだもの。
殺意があるならもっと別の場所を選ぶはずだ。
「した、さわるでし」
グーちゃんの言葉の通りに手探りで分かれ道の岩壁を触ると、そこには✕マークが彫られているのがわかった。
それは、住処への道に迷わない為の印であるという。
昔は仲間達とここで暮らしていたというし、水辺への道標なのだろう。
「これ、まがるでしよ」
ぐーうの内緒だと言って、誰が聞いている訳でもないのにグーちゃんは声をひそめた。
そんな大事な事を私に話してしまって大丈夫かしら?
一族の秘密だなんて、ちょっと素敵ではないか。
もしどこかの洞窟に似たような印が見つかったら、それはグーちゃんの仲間がそこに住んでたという証拠かもしれない。
そう考えると、何ともロマンがあるではないか。
洞窟は右や左、上下に緩急をつけながら様相を変えていった。
外が近付くにつれて植物は増えていったし、蜘蛛の巣や蝙蝠の鳴き声、腐葉土の匂いが辺りを満たしていく。
暗闇の静寂な洞窟を抜け、生き物が蔓延る領域へとたどり着いたのだ。
「ついたでしよ」
グーちゃんの言葉と同時に、小さい穴から光が差している。
なるほど、洞窟の中が安全であったのは出口の穴の大きさのお陰だったのかと思わせた。
人を襲うような大きな動物は入れそうにない。
蛇や蠍や百足等の危険な毒虫もいそうなものだが、この洞窟の中は殆どが岩場で餌になりそうなものもないお陰でそれらの住み家にもならないのだ。
余程運が悪く迷い込まない限り、こんな岩穴には用はないだろう。
ぐーうと言われる者達がここを住み家にした理由が分かった気がした。
外からは見つける事は不可能であろう程の出口。
光に引き寄せられるように闇の中から顔を出すと、私は息を大きく吸い込んだ。
草いきれにも似た、湿気のある緑の沸き立つような香りが肺を満たす。
山の中だ。
洞窟を出てすぐに人里とは考えてはいなかったけれど、想像以上にここは山深くあった。
それでも堅い岩肌だらけの穴倉を考えると、開放感が私の中に沸いていた。
今は初秋。
夏の勢いは無いが、植物それぞれが枝を伸ばして主張している。
木々の緑の葉は、赤味を帯び秋の装いへと移ろう最中といったところか。
それらは枝を揺らし、継へと繋ぐ実をつけるのだ。
豊穣の秋というに相応しく、鬱蒼と茂る草木は溢れんばかりに生命に満ちている。
そう長い期間ではなかったはずだが、とうとう解放されたのだと心の底から叫び出したい気分だ。
やはり暗闇の中は自分の想像以上に気を張っていたのだ。
今だけは後先を考えず出られた事だけを喜ぼう。
私はこの空気とこの陽射し、遮蔽物のないどこまでも続く空間に感謝した。
アニーといえば、初めて見るだろう緑深いこの景色に目が釘付けになって固まっている。
感動をどう表現したらいいのかわかっていないのかもしれない。
グーちゃんを見ると、少々焦った風に目を泳がせていた。
なんだろう?
その目線の先を追ってみると、ある木の根元がある。
そこにあるもの。
片面に濃い茶色の巻き毛がびっしりと付いた小さな端切れのような何か。
めくれた裏側には赤く塗れ、粒粒の白いものがついている。
まるで巻き毛の人の頭の皮をはがして、千切ったようなものがそこにはあった。




