434話 鞄です
「何を謝っているの? あなたはアニーを助けてくれた恩人なのに。ありがとうグーちゃん」
私の言葉にグーちゃんの目がくりりと丸くなる。
犬のような顔であるが、無毛でゴムのような質感の黄色い肌をしている。
前世のネットかテレビで見た毛の無い猫……、スフィンクスの様な大きな皺が波打ち人では無い事を強調していた。
その頬が、若干赤らんだのは照れているのだろうか。
「こわい、ないでし? きもちわる、ないでし?」
ここまで人と違う外見であれば、人目を避けるのは仕方ないだろう。
過去に人里に降りて、騒がれたりしたのかもしれない。
「怖くありませんわ。私達、おしゃべりもしましたし、すっかりお友達でしょう? 獣人の方を見るのは初めてですが、怖がったりしませんとも」
実のところその姿には驚きはしたが、怖いとまでは思わなかった。
目がいっぱいある訳でも、信じ難い程腹が膨れ上がって蜘蛛の足が生えている訳でもない。
とはいえ、神経の細い貴婦人などが見たら悲鳴を上げて気絶するか逃げ出すかはしそうだ。
これでは顔を隠さなければ日常生活は難しいだろう。
だけれど、みてくれは確かに人とは違うけれど、手足の数も目鼻の数も同じなのだもの。
それにこの心細い暗闇の中、言葉を交わして道案内までしてくれた親切な人である。
外見の差異がなんだというのだ。
今まで市井で見かけた深くローブを被った人達を何度も見た事がある。
てっきり旅人や、日差しが苦手か犯罪者かと思っていたけれど実は違う理由なのかもしれないと思った。
「じゅうじん? ちがうでし。ぐーうでしよ」
「グーウ族というのがあるのかしら? 私はさっぱり獣人についてはわからなくて」
「おで、ぐーう!」
やけに拘っているようだ。
そうね、ひとりになって自分の名前は忘れても、種族というかその名は大事に持っていたものね。
そこには、私には預かり知らぬ誇りや名誉があるのかもしれない。
「ええ、ぐーうのグーちゃんね」
私がそう言うとグーちゃんは満足そうに鼻を鳴らした。
思えば、頭が犬の様だから声がか細いのだろうか?
呼気が荒いのも、そのせいなのかもしれない。
声帯や気管支が、人とも獣ともつかない体に合っていないとも考えられる。
前の常識から考えると、不自然な生命が闊歩している不思議な世界だ。
前の世と全く同じものもありながら、全く違うものも溢れかえっている。
魔法に魔獣に獣人と、理解出来ないものも多い。
人に似た動物?動物に似た人?内臓や生態はどうなっているのだろう。
神秘的な力で折り合いをつけているのだろうけど、自我を失った眠る神がいるあちらは無秩序に命を生み散らかし混沌としているはずなのに、世の理としては堅苦しいまでに整然としている。
そしてこの世界は決められた箱庭で、魂を量産する豊かで恵まれた土壌はないけれど、まるで童子の児戯のように何もかもが曖昧で不確かなものが育まれている。
文明が成熟していないとはいえ、想像の羽根を大いに羽ばたかせたようなこの世界の理は、固い考えの頭ではやっていけないのだと再確認をした。
獣人が目の前にいるのは、私にとって紛うことなき現実なのだから。
「わんわー!」
逃がすまいとするアニーに根負けしたのか、グーちゃんは身を隠すのを止めて座り込んだ。
アニーの目線に合わせてくれたのだろう。
一見こちらが身構えてしまう獣人だけれど、中身はとても優しいようだ。
不思議そうにボロ布やグーちゃんの顔の皺を伸ばして触るアニーに怒ることも無く、黙って目をぎゅっとつむってされるがままになっている。
尻尾はないようだが、もし存在していたらきっとパタパタと左右に降ったであろう事がみてとれた。
アニーの無邪気さが、グーちゃんには心地好いのだろう。
怖くないといっても、私はいきなりそこまで打ち解ける事は出来ないもの。
お互い嫌がることも無いし、仲良く?しているようだ。
この隙に持ってきた荷物を陽射しが入るうちにきちんと確認しよう。
装備は大事だものね。
アニーと共にあった大きな革製の鞄をまず開けてみる。
闇の中で確認した通り、何本もの水筒や食糧が詰め込まれている。
ここまで来るのに、水筒の中身は何本か空にした。
こんなに何本も水筒が必要なのかは最初疑問だったが、渇きを甘く見てはいけない。
水の入手が不確かである状況ならば、何本あっても不安が付き纏うというものだ。
荷物を用意した人物も、私達が直ぐに干上がらないようにと十分な数を入れたのだろう。
こんなに早く私達が水源にありつけるとは思わなかったでしょうけど。
荷物は重いけれど、幸い大人の身体で事なきを得た。
ここの水はとても綺麗だし、グーちゃんのお墨付きもいただいている。
念の為、全部新鮮な水に詰め替えておこうか。
後は身の回りに使う雑多な小物。
旅行用品とでもいえばいいのか、簡易的な生活をするなら事足りる持ち運びに便利な日常品が入っている。
荷造りをした人は、さぞかし気が利く人なのだろう。
その中に、小さな手鏡を見つけた。




