431話 センスです
ふいにビーちゃんの事を思い出した。
長い長い間、寂れた場所でひとりきりで過ごしていた私のかわいい黄色の小鳥。
誰も名前を呼ぶ事なく、誰の名前を呼ぶ事もない孤独な年月。
アニーも、もしかしたら誰にも名前を呼ばれなかったのかもしれない。
だから私が呼び掛ける度に、あんなに喜ぶのではないの?
名前を呼ぶ人がいるというのは幸せな事なのだと気付いた。
この何者かも、きっとビーちゃんと同じ孤独であったのだ。
「じゃあ、あなたの事をグーちゃんって呼んでもいい?」
我ながらネーミングセンスの無さには薄々気付いていたけれど、名付けが3度目ともなると実感するわね。
クロイヌ様だからクロちゃん、ビヤーキーだからビーちゃん。
そしてグーウのグーちゃん。
もっと気が利いた凝った名前を付ける方がいいかもしれないけれど、思いつかないしシンプルな方がいいではないか。
ヒヨコはヒヨちゃんだし、三毛猫はミケなのだ。
「おで、ぐーちゃん? おで、なまえ?」
「いやかしら?」
「いやないでし。おで、ぐーちゃんでし」
少し声が上擦って嬉しそうに聞こえる。
小声で何度も「グーちゃん」と繰り返しているのが聞こえた。
自分に言い聞かせているのかしら?
そうね、名前を呼ばれるのは嬉しい事なのだ。
そういえば、誰かも私に名前を呼ばれて喜んでいた気がする。
あれは誰だったかしら。
頭に霞がかかったように思い出せない。
「おで、ぐーちゃん。おまえシャウ。ちびアニー」
どうやら後をつけている間に、私達の会話から名前を覚えたようだ。
そうよね、ずっといたのだもの。
「グーちゃんは、ここに住んでいるの?」
「そうでし。まえ、ヒト、ぐーう、いっぱいいたでし。ヒト、いないなった。ぐーうもいなくなった」
昔は人がいたということね。
こんな岩しかなさそうな場所に人がいたの?
「ヒト、またきたでし。ぐーう、いないでし」
これは、私達の事を言ってるのかしら?
それとも別に人がいるの?
たどたどしい語りは、中々理解する事が難しかった。
わかったのはグーちゃんがひとりきりな事と、久しぶりに出会った私達を心配して付いて来た事、人恋しくて寝顔を見ては無聊を慰め満足していたというような事であった。
「おで、ここ、ねてたでし。ちび、きゃーっ、みみ、したでし」
どうやら初日にアニーが私に対して叫んだ事で、こちらの存在を知ったようだ。
確かにあの悲鳴は凄かったものね。
あの時からこちらの様子を伺っていたそうだ。
「何故グーちゃんは仲間の皆さんに付いていかなかったの?」
「おで、はんぱもん、だし。なかま、ないいわれたでし」
「何故そんな……」
「ぐーう、ごはんだいじ。おで、のこすしたでし。すきない。たべる、すこしだけ。すき、このみ、くさ。みんな、わらう。ぐーう、ごはん、ないなった。ぐーう、ここ、すてた」
どうやら仲間とは食事の好みが違うせいで、ひとり残されたようだ。なんだか信じられない。
人がいなくなって、ぐーう達も一緒にここから去ったと言っていたわね。
使用人の一族かなにかで、誰かに仕えていたとか?
食い扶持がなくなれば移動するのは仕方ない。
片言を推測しながらの会話を続ける。
「あの、ここから外には出られるのかしら?」
「しゃう、そと、いくでし?」
「ええ、出来れば外へ出たいわ。ここは少し過ごしにくいの。アニーも小さいでしょう? 私達は暗いところは苦手なの」
住んでいるグーちゃんには失礼だが、これは本当の事だから仕方がない。
「……。おで、また、ひとりでし?」
泣きそうな声が返ってきた。
ただでさえグーちゃんは鼻声なのに、スンスンと鼻水をすするような音を出している。
そうだ、ずっとひとりだったのだもの。
配慮がなかったわね。
「グーちゃんも一緒に行きましょう? 私の住んでいる所は広いから遠慮しないでいいわ」
暗闇の中だけれども、グーちゃんがふるふると首を振ったのがわかった。
「おで、くらいとこ、すきでし。しゃう、あかるいとこ、すきでし」
一緒には来れないという事かしら?
グーちゃんはしばらく沈黙していたが、強い口調で話だした。
「しゃう、そと、いく。そと、ひと、いるでし」
どうやら人がいる場所があるのは間違いないようだ。
「案内して下さるの?」
「あんないするでし。でもねる、だいじ。つかれる、だめでし」
「ええ、そうね。寝ようとしていたところだしね。少し眠るわ。グーちゃんが付いててくれるなら安心して眠れそう」
頼られたと思ったのか、グーちゃんは鼻息をふんと鳴らした。
良かった、とにかくこの場所からは出られるのだ。
グーちゃんは、臆病だけど強い人なのね。
私ならずっとひとりでいて、やっと人に会えたらその相手に行かないでと言ってしまうかもしれない。
先程初めて喋ったばかりの人を過信し過ぎかもしれないけど、闇の中でずっと気を張っていたのだもの。
話をして悪い人ではないことがわかったし、こんな状況だ、頼らずにはいられない。
私が眠りにつく時にはアニーの寝息とグーちゃんの呼吸音だけが闇に響いて、なんだか心地良さを覚えて眠りについた。




