430話 接近です
それはまるで異質なものに興味があるが、近付く度胸もない臆病で好奇心旺盛な猫のような様子である。
不思議な事であるが、私としては臆病ながらもついてくるその何者かに安堵すら覚えていた。
分別の付かないアニーと2人、やはり心のどこかで不安だったのだろう。
付いてくるそれはよくわからない人だけど、あの驚いて上げた声は今にも泣きそうな鼻声で可愛かったし、あの逃げ足の速さからかなりの身体能力はあるように思えた。
そんな人がそばにいるのは、臆病な人であっても頼もしい事である。
それは付かず離れず私達の後を追い、決してこちらへ敵意を向けては来なかった。
多少は気を許したのであろうか、当初は気配を断っていたというのに今では足音さえ聞こえることがある。
私達へ存在を知らしめようとする行為は、言葉を交わしていなくともなんだかお互いの距離が近付いているような気にさせた。
私は荷物とアニーを抱えて、慣れないこの岩穴の探索を進めた。
本当にこの時ばかりは、何度大人の体になっている事に感謝したことか。
荷物どころか小さな子供のままでは、アニーと連れ立って歩く事すら難しかっただろう。
炎の花の薄明かりだけを頼りに、岩穴を歩き続ける。
時折、休憩を挟み少しずつ乾物を味わい少量の水を飲む。
いつまでこれが続くのかと途方に暮れる時もあったが、傍らの小さな手を握る事で必ず陽の光の元へ帰るのだと心を奮い立たせる事を繰り返した。
延々と続く岩場。
特に目新しい物は見つからないけれど、うずくまってはいられない。
絶望してはいけない。
ここまで何も無い事を確認したことを成果だと考えよう。
アニーはこんな状況も楽しみ、私に歌をせがんだ。
時には付いてくる何者かを認識したのか、それがいると思わしき方向へ手を振ったりもしていた。
私が最初に声を掛けた時は、これでもかと叫び声を上げ拒否していたのにえらく対応が違うではないか。私がそばにいることで、彼女の心の支えになって行動が変化しているというのなら文句は言えない事だが。
この子がどのくらい自分の置かれた状況を把握しているかはわからないけれど、少なくとも知性が無いわけではない。
歌を楽しみ笑うという行動が出来るのだから、外に出て根気よく付き合えばある程度の言葉を話せるようにはなるのでは無いだろうか。
最初の出会いは良いものではなかったが、今は私の簡単な言葉を理解していそうだもの。
あれは何だったのだろう。
心を閉ざしていた?
最初の拒否の仕方は尋常ではなかった。
手が触れただけであれだけ叫んだという事は、虐待でも受けていたということだろうか。
そう思うと、胸の奥がきゅうと痛くなった。
手足の細さからいって、そうであってもおかしくない。
どこかに閉じ込められていたとか?
まあ、今まさに暗闇に閉じ込められている訳だけど。
ここで出来ることはアニーの体力次第で中断される探索と、彼女と遊ぶ事、後は細々とした食事と睡眠だけである。
それ以外は、ずっと自分自身と向き合う内省的な時間ばかりだ。
アニーの事も付いてくる何者かの事もほとんど情報がないのだから、深く掘り下げる事も出来やしない。
闇の中、俗世から離れて自分と向き合うなんて、なんだかまるで修行のようである。
私達が就寝の様子をみせて炎の花が小さくなると、それは寄ってくる。
そして顔を覗きに来るのだ。
息が荒いのは興奮しているとかでは無いらしく、一定のリズムで変わる事が無いことからそれは常のものであるらしかった。
荒い呼気なのは、呼吸器にでも何か問題でもあるのだろうか。
それは暗闇の中、満足するまで私達の寝顔を眺めては無言でまた距離をとる。
何とも不思議なことである。
極度に警戒するにしてもあちらの方が暗闇の中で分がある話だし、もしかして光が苦手だとか?
もし先住者であり、こんな闇の中で暮らしていたなら光を恐れるのもわからないでもない。
今回も炎の花のあかりが落ちると、待っていたかのように寄ってきた。
そろそろいいだろうか?
交流はあまりないけれど、お互いの存在には慣れたといってもいい頃だ。
「あなたは何者なの?」
私が発した声に、びくりとそれは体を震わせたのがわかった。
そして気配を消して逃げようともしている。
「待って、私は何もしないわ。お話をしましょう? あなたは何者で、何故私達に付いてくるの?」
私はできる限り優しく聞こえるようにそう聞く。
何者かの呼気が乱れるのがわかる。
考えているのか、沈黙がしばし続いたが声が返って来た。
「お……、おで……。おまえ、こわがるでし」
その声は弱々しく鼻声で、言葉は酷い訛りのたどたどしいものであった。
私達が怖がるからと、姿を見せなかったというの?
想像と違う理由すぎて、私は少しあっけにとられた。
「私は、怖がりませんわ。そりゃあ暗闇に人がいて、最初はびっくりしましたけれど。あなたは私達に、危害を加える気はないでしょう?」
「おで、しないでし」
「私はシャルロッテ・エーベルハルト。あなたは?」
何だかアニーとの最初のやり取りみたい。
訛っているから、声をかけづらかったのかしら?
「おで、ぐーう。なまえ、ないでし」
名前がないなんて、どういう事かしら。
「ぐーうは名前じゃないの? 何なのかしら?」
「ぐーう、おでたち、みんな。ぐーう、みんないなくなったでし。おで、くるな、いわれたでし。ここ、ひとりなんでし」
グーウは苗字か族名かなにかかしら?
彼はここにひとりで捨てられたの?
皆がいなくなって、ここにひとり残されたということ?
ずっとひとりなら言葉も拙くなるのは仕方ない事だ。
ずっとひとりでいて、自分の名前も忘れてしまったのかしら。
ぐーうという事だけ覚えているのは、なんだか悲しい気がした。




