429話 追行です
いつぶりだろう、こうやって子供を寝かしつけるのは。
愛らしいおでこ、柔らかな髪。
撫でながら、この子がいい夢を見られますようにと願う。
とんとんと手の平を上下させながら、むずがる我が子を何度も何度もこうして寝かしつけた。
そんな毎日がずっと続くと思っていたけれど、子供はどんどん成長して大きくなる。
大変だった子育ては、いつしかかけがえのない愛おしい記憶に変わるのだ。
そうして若干の寂しさと思い出を共に親を置いて、子供は自分の世界へ駆けていく。
まさか今更こうやって前世の子育てを感慨深く名残り惜しむなんて、思ってもみなかった。
眠るクロちゃんの背中をとんとんと叩いてあげた事はあるけれど、やはり人間の子供相手とは違う。
それと今の私の体が、あの頃のように大人であることも関係しているのかもしれない。
私がいなくなった世界で、彼らも同じように私を思い返すことがあるのかしら?
もう手放してしまった、大事なものがもたらす寂しさ。
寄せては返す波のように、それは訪れては去っていく。
私はあの時確かに母親であったし、我が子を慈しんでいた。
それが誇らしくもあり、なんともいえない郷愁を呼ぶのはなんだか不思議な感じがした。
神様の魔法が、私の中のすべてを変えた訳ではないのだ。
戻れはしなくとも、見通しは悪くなったけれども、あの時の私と今の私は確かに繋がっている。
それが何だが嬉しかった。
ハッハッハッ
目を閉じてそんな事を考えていると、またあの呼吸音が聞こえてきた。
どこからか見ていたのか、私もアニーと一緒に寝入ったと思って近付いてきたのかしら?
どう聞いても、犬とかが口でする呼吸なのよね。
犬の魔物ってどんなものがいたかしら。
首が3つある地獄犬、墓場を冒涜的な存在から守る墓地犬、死者の魂を導くと言われる先導犬に、それから。
私は領地の図書室で読んだ魔物辞典を思い返す。
ウェルナー男爵領への道すがら出たのは鉤爪犬だったか。
あの時は首がにゅーっと伸びてびっくりしたのを覚えている。
あんな薄気味悪いモノでなければいいのだけれど……。
ハァ ハァ ハァ
ますます、呼吸音が近付いてくる。
まだ炎の花は消えてはいなかったけれど、もう消えるも同然で微かな灯りを放つのみだ。
私は薄目を開けて、その正体を確かめようとした。
頼りない明かりに薄っすらと照らされたそれは2本足で立っている。
良かった、どうやら人のようだ。
動物や魔獣ではなかった。
少し不思議なシルエットであるけれども。
なんというか、随分前かがみである。
まるで背中に大きな瘤があるような、不自然な姿勢。
確か「ノートルダムの鐘」という作品に、こんな感じの男が出ていた。
きっと背骨に異常の出る病気なのね。
そしてやはり目は赤く発光している。
目が光る症状は何かあるかしら?
全く思い浮かばないわ。
魔法かなにかかしらね。
薄目で見ていても、私達に危害を加えるような素振りはみせない。
息は荒いけれど手を出すこともなく、じっと私達を見ているだけだ。
「あなたは誰?」
寝ている振りに飽きてしまった私は、つい声をかけてしまった。
「ヒャウ!!」
その人は、その怪しげな風体から想像もつかない情けない声を出して、飛び上がって驚いて逃げてしまった。
すごく足が速い、あっという間のことだ。
「待って、逃げないで!! 何もしないわ!!」
まさか、声を掛けただけで逃げるなんて!
私が必死にそう叫ぶとその人は一瞬足を止めたが、すぐにそのまま光の届かない暗闇に消えてしまった。
なんて臆病なの!
私は心の中で叫ばずにはいられなかった。
予定というか、私の頭の中では何となく私達の方が弱くて何者かに怯える存在であったせいだろう。
実際に、私達には何の力もないのだもの。
向こうが怯えているなんて思ってもみなかった。
いや、こんな所での出会いなのだから警戒されても仕方がないと考えよう。
でも、こちらは子供とおばあちゃんなのよ。
顔を覗きに来ていたのだから、それはわかっていたはず。
それとも何?
おばあちゃんになった私の顔が、逃げ出したいほど怖いとか?
いや、声を掛けただけであの驚きようは相当な小心者なのだわ。
もう、急に声をかけたのは謝るから戻ってきて!
私はまたしても途方に暮れてしまった。
その後はアニーが起きて少し探索して休むという事を繰り返した。
休憩中、少女は眠る事もあったけれど、こまめに休みをとるようにしたせいか眠らずに起きている事もあった。
どっちにしろ私が1日に作り出せる炎の花には限度があるし、その光が届く範囲はとても広いとは言えないので、ゆっくりとしか探索が進まないのは仕方の無いことだ。
それと少し変化があった。
炎の花の灯りが届くか届かない暗闇の境界線ギリギリに、先程の何者かがいるようになったのだ。
眠る前までも、もしかしたらずっと私達についてきていたのかもしれないけれど、その気配に気付かなかったし怪しみもしなかった。
もしついて来ていたのなら、高度な技術を持っていることになる。
それが今では、こちらを伺うようにキョロキョロとしたりする影が見える。
存在をアピールしているのか、身を潜めていてもその足先だけが灯りにワザと照らされていたりしているのだ。
臆病なりに私達との距離を縮めようとする努力のようなものが伝わってくる。
不器用なその行動が私を和ませてくれた。
遠回りで面倒臭いアプローチであるが、こちらに存在を気付かせようとする努力は悪い性質のものではないような気がした。




