44話 大聖堂です
朝食を終えて少し時間を見合わせてから、王子に案内されて王宮で保護されているハイデマリーの見舞いに出向く。
煌びやかな貴賓室のある棟から渡り廊下を使って一度外に出る。
さすが王宮は広い。
廊下も庭も、どこを見ても美しく飾られ手入れがされていた。
いくつかの建物と回廊を過ぎて、それがどんどんと年代を経たものに変わっていくのがわかる。
貴賓室がある新宮殿を出て、元々の宮殿である旧宮殿に入ったのだ。
いくら掃除をしていても経年劣化はごまかせないものだ。
雨や酸化により石の建物にも時間は刻み込まれている。
どこまで歩くのかと疑問に思っていると、着いたのは教会であった。
この地に王都が出来てから、変わらずあり続ける教会。
王宮内で紛れもなく一番古い建築物であるだろう、ドラッヘンハイム大聖堂である。
古いだけあってどこか武骨な作りな気もするが、歴史を感じさせるその建物に目を奪われてしまう。
荘厳な佇まいに、細かな細工のステンドグラス、長年磨きこまれた木製の椅子は銅の様な赤い木の色で光を反射している。
清廉なる神への祈りの場所、それがここである。
この最古の教会で王族は神に祈り、時には懺悔するのだ。
教会の入口には衛兵が並んでおり、私たちの到着と同時に両開きの修飾された扉を開けてくれる。
中には良い香りがする振り香炉を下げた堂役が、私達を待っていた。
無言でぺこりと頭を下げて、教会内を先導してくれる。
庶民的な教会と違い、古くからある大聖堂に従事する者には沈黙の教えがあり、信者もだが教会内での多弁は良しとされていないのだ。
たしかにハイデマリーには聖教師と医師がついていると聞いていたが、まさか教会内に保護されているとは思いもしなかった。
作りは概ねキリスト教の教会に似ている。
こういう文化も、黒山羊様は取り入れたのだろう。
十字架がある場所には黒山羊様の象徴が掲げられ、その前にはマリア像ならぬ仔山羊を抱いた聖母子像が鎮座している。
正面の左右には小さな扉あり、古い飾り言葉で「母の前では頭を垂れよ」と書かれていた。
私達子供はともかく、ある程度の身長があると扉をくぐる為に頭を下げることが必要になる。
神様の前で頭が高いとならないようにと、わざと低く作られているようだ。
そこをくぐると聖教師室や教室、雑務を請け負う堂役の為の部屋や、修行僧の宿泊施設に続いている。
そんな聖堂の奥に彼女は匿われていた。
ひっそりと、それは隠されるように。
先導する堂役がひとつの扉の前で止まり、ノックをすると内側から黒い装束の聖教師が顔を覗かせた。
静かに扉は開かれ、私達を中へ促す。
案内役の堂役はまた一度頭を下げると、とうとう一度も口を開かずに去っていった。
「この室内では会話は自由にすることを許されておりますので、気楽にされて下さい」
聖教師はそう言うと、また堅く扉を閉ざした。
中には聖教師と堂役の2人と、ハイデマリーの侍女と思われるメイドがひとり奥に控えていた。
聖教師が、王子へ足を運んだ事に対しての謝意の口上を述べている。
室内は質素だが宗教的修飾がされており、格調高く作られていた。
きれいに掃除されており、空気も清浄で聖別された場所だとわかる。
そんな白い部屋の中、少女がベッドに横たわっていた。
あの日輝いていた銀の髪はツヤを無くし、白い肌は血の気を失ったように青みを帯びている。
命のない磁器人形のようだ。
こんな美しい少女が腕にあの醜い根を生やされていたなど、なんと痛々しい話だ。
左腕には包帯が巻かれている。
「ハイデマリー様、王太子殿下がおみえですよ」
そっと侍女が眠る少女に声を掛けると、その眼がゆっくりと開いた。
こんな時にどうでもいいのだけれど、王子は本日2回目の少女の目覚めに立ち会うのではないか?
なかなか出来ない経験ではないだろうか。
ふとそんなことを考えたが、本当にどうでもいいことなので頭から振り払った。
重そうに目が開き、時間をかけてゆっくりと周りを見渡すハイデマリーは、傍らに立つ王子を見るとよろよろとベッドから降りて礼をとろうとした。
こんな状態でまで礼を尽くそうとするなんて、なんと弁えた令嬢だろう。
これこそが高潔姫とうたわれる本当の彼女なのだ。
私なら横になったままかもしれない。
いや現に見舞いにきた王子を、ベッドで迎えていた気がする。
起き上がろうとする彼女を、侍女と聖教師が慌ててベッドに戻す。
「どうか、そのままで。私達はあなたの見舞いに来たのだから、体の負担になるようなことはしてはいけないよ」
静かに王子が諭すと、高潔な令嬢は小さくこくりと頷いた。
侍女が彼女の背にクッションをいくつかいれて、なんとか身を起こしていられる形に場を整えてくれる。
「この様な有様で申し訳ありません。王太子殿下の茶会を台無しにした上、他の令嬢に暴力を振うなど、私の失態いかようにも罰して下さいますようお願いいたします」
シーツを握りこんだ手が、震えている。
自分のしでかしたことを、心の底から恥じているのだ。
彼女は呪いを受けていただけなのに、私が自分の意志で庭園でやらかした事を考えたら、彼女になんの非があるだろう。
罰するなんて、とんでもない。
「君も被害者なのだ。気に病むことはないよ」
直接王子へ謝罪して心の荷が下りて余裕が出来たのか、後ろで手持無沙汰にしている私にハイデマリーが目を向けた。
「ああ、シャルロッテ様!」
またもやベッドから出ようとするので、抑える侍女も大変である。
「私、本当に本当に何と言っていいか。叩いてしまってごめんなさい。ひどい言葉を言ってしまってごめんなさい。あなたは何も悪くないのに、あんなことをしてしまって……」
自分を許せないのだろう。
声は震えを帯び、言い終わる頃には泣き出してしまった。
なんていい子なのだろう。
王子が体をずらして、私が彼女の横につけるよう気を利かせてくれた。
「ハイデマリー様、あなたはちっとも悪くありませんわ。私は朝食を完食するほど元気ですし、何も傷ついていませんもの」
ベッドに近付き手をとってそう慰めると、ぷふっと笑い声が吹き出すのが聞こえた。
王子ひとりではない。
きっと、修行の足りない堂役もだろう。
そうね、朝食のくだりは必要なかったかもしれない。
コホンと咳をして笑った人をたしなめる。
「お身体はどうですの? 障りはありませんかしら」
彼女の手は氷のように冷たくて、まるで心の底まで冷えているのではないかと私に錯覚させた。
「聖教師様に伺いました。シャルロッテ様が私に根付いたあの忌まわしい呪いを祓って下さったのだと。なんとお礼申し上げたらよいのか」
自分を責めるような、むせび泣きをしながらも彼女は礼儀正しくあろうとしていた。
実は彼女の中身は、私より年上なんじゃないのかと思ってしまう。
昨夜感情に任せて大泣きして寝てしまった自分と、なんと違うのだろう。
彼女こそ、本当のお姫様である。
「あれは偶然ですわ。ちょうどあの場にいたのが私だっただけで、私でなくとも黒山羊様はあなたを助けるために奇跡を顕したに違いありません」
そこまで言ったところで、聖教師と堂役は私の横にひざまづいた。
その急変にびくりとする。一体何事?
「ああ、君達にはまだ紹介をしていなかったね。彼女がシャルロッテ・エーベルハルト。呪いを祓った本人だ」
王子がうっかり忘れていたという風に、教会の2人に私の名前を告げた。
「かの聖女様とは存じ上げず、挨拶が遅れましてご無礼いたしました。その御力と起こされた奇跡に敬服いたします。すべては黒山羊様の導きのままに」
なんだか拝まれてしまった。
「あの、その様にされたら私困ってしまいますわ。どうか普段通りになさって」
私の言葉に、遠慮深げにそろそろと立ち上がる。
王子には頭を下げるくらいだったのに、この扱いの差はどうしたことだ。
そういえば貴賓室の私の寝室に、祭壇を持ち込んだのは教会の人達だった。
この様子だと王子かナハディガルが私のところに教会が押しかけない様、手を回していたのかもしれない。
「シャルロッテ様は、王国の聖女様ですわ。本当にありがとうございます」
泣きながらも毅然と背を正して、ハイデマリーは礼を告げた。
「私もあの種に襲われた被害者同士ですもの。礼などおっしゃらないで。あなたが呪いと戦ったのは、私が一番良く知っています。よく頑張りましたわ」
彼女の左手をとって撫でると、ハイデマリーは堰を切ったように泣き崩れた。
「男性の皆様方、申し訳ないけれど部屋の外に出ていてもらえますか?淑女の涙を見るのは高くつきましてよ」
私の要求に教会の二人はすぐに従って退出する。
王子と彼の護衛騎士と侍従は私の物言いに目をぱちくりさせたが、確かにこの場にいるのは無神経だと思ったのかお互いに頷きながら出て行った。
残されたのは私とハイデマリーと彼女の侍女の3人だ。
「さあ男どもは追い出しましたわ。思う存分心に溜まったものを吐き出して下さいな」
きっとこの少女は教会の目があるので、普通に泣くのさえ我慢していたのだと思う。
周りの大人は何をしていたのだ。こんなところに教会の男どもと詰め込まれて彼女が素直に泣ける訳がないだろうに。




