ロンメル会長と多忙な日々8
「女といえば、最近は櫛の女の話も聞きますね」
バーテンダーが思い出したようにいう。
「ああ、下町のやつだろ? あれも怖気立つ話だねえ」
ホルガーがしみじみと頷く。
「どんな話なんだい?」
普段忙しいロンメルは、秘書や取引相手くらいしか会話をしないので、こういう話を仕入れる機会は他にないのだ。
仕事の話の他に引き出しがあるのと無いでは、取引相手を前にした時大いに違う。
酒場に顔を出す時は、極力色んな話に耳を傾ける様にしている。
ある意味これも、商人としての仕事の様なものでもあるのだが本人に自覚はなかった。
「酒場で深酔いした帰り道なんかに、なんでも夜中に難儀してる女を見掛けるそうなんでさ」
「難儀している?」
「若い女がキョロキョロと地面を何か探して回ってるようで、『お嬢さん、何かお探しですか?』と声を掛けると、櫛を落としたって言うらしいんです。で、一緒に探しましょうってなりますわな。すると女が振り向くんですがその振り向いたさまがね、眼は真っ黒で白目が無く落ちくぼんで、口からこうだらりと舌を伸ばして、身体中にある丸い傷跡から血を流しながら詰め寄ってくるっていうんでさあ」
先程の蜘蛛の女の話も不気味であったが、こちらは強烈な外見が話のキモのようだ。
「恨めしい声で『私の櫛を返して、返して』ってね。そのあまりの恐ろしさに声を掛けた奴は気絶して朝、警邏に起こされるまでがセットだそうで」
「それはまた陰惨な話だね。『噛みつき男』事件が関係していそうだ」
「そうそう、王都は『噛みつき男』で持ち切りですからねえ。本当に捕まって良かったですよ」
先程、切り上げたはずの「噛みつき男」の話にまた戻ってしまった。
それほどまでにあの事件は、王都の人々にとって衝撃だったことを物語るようでもあった。
ほどよく酔いが回って来たところで、ホルガーが声をひそめてロンメルに耳打ちした。
「とっときがあるんでさ」
いい気分なのか、彼はすっかり下町訛りに戻ってしまっている。
彼は自分の鞄の底の方から、大事そうに厚い布に包まれた物を取り出した。
「これは得意客のために仕入れた物なんですがね。今夜は特別にロンメル様へお見せしましょう」
得意客、特別と詐欺師が並べ立てそうな単語にロンメルはつい吹き出しそうになった。
それを見て機嫌よくホルガーは笑うと、周りを見渡してから布を取り去った。
そこにあるのは、美しい丸い水晶。
人の頭ほどの大きさでところどころ内包物と思われるヒビが入っているが薄明かりにキラキラと光り、それがかえって幻想的に見せていた。
人の頭ほどの大きさ?
いや、それはまさに人のもの、そのものの造形。
水晶で作られた冒涜的に美しい髑髏であった。
「水晶髑髏でさあ。ここまで見事な物は、中々お目にかかれないですぜ」
「これは……」
ロンメルは目の前の水晶に言葉を無くした。
それほどまでに完成されたものであり、眼窩の窪みも顎の関節も口蓋も文句のつけようが無い出来で、特筆すべきはその歯並びである。
それは美しくも規則正しくもなく、入り組んで見映えが悪くその様はまさに生きた人間の物のようであった。
息を飲んで驚くロンメルを見て、ホルガーは満足気だ。
自分の取り扱う商品が、飛ぶ鳥を落とす勢いのロンメル商会の会長を唸らせたのだから。
「こんな精巧な細工を水晶で?」
「ええ、これが聞きしに優る朧水晶の真髄でさあ。この歯のひとつひとつの研磨をとっても、どれだけ繊細かはわかってくださいますか? こんな芸当は他の宝石じゃあ出来ません。わざわざガチャ歯にするなんて、憎いじゃあありやせんか」
そう、その歯並びの悪さがこの水晶髑髏を生きたものに見せていた。
美しい歯並びであれば、単なる調度品でしかなかったかもしれないが、その調和を乱すことによって芸術品として高みへと押し上げていた。
醜い歯並びが、余計にその芸術性を際立たせているのだ。
「なるほど、これは宝石商の皆さんがこぞって朧水晶に飛びつく訳ですね。他にはどんな細工物が? 花とか鳥とかでしょうか」
ロンメルの商売人としての嗅覚が、これは売れると告げたのかホルガーへ詰め寄るように話し掛けた。
「ええ、花や鳥もありますが、それらはまあ在り来りといいますか普通なんですわ。勿論、従来の水晶より細工がしやすいので一流の細工師の手にかかれば素晴らしい物になるでしょうがね。硬度が低いんで傷つきやすいペンダントとかカフスにするには向いてないんですが」
ホルガーの歯切れが少し悪くなる。
「なんというか私の取引相手が卸してくれる品で目を見張る細工なのは、どれも人骨なんでさあ」
彼の勢いが削がれたのは、仕方がないかもしれない。
人骨を模するのが得意な細工師など、聞こえは悪いものだ。
「珍しい細工師がいるものですね」
「ええ、私も直接は会った事はないんですがね。月に1度程の頻度でうちにもちこんでくれる人がいて、この出来なら他の造形も素晴らしいと思うじゃないですか。試しに他の細工を頼んでみたんですが、届いたのは三文品ばかりで。結局、人骨しか造らないというのだからたまげた話ですよ」
人骨細工しか造らない細工師とは、一体どんな人物だろう。
医学に興味があるものか、医者が家族にいて人骨模型に親しんだ人間か。
それともオカルトに傾倒しているとか、墓守であるとか単なる人骨に魅せられた芸術家か……。
それはともかく、これはかなりの情熱と興味を持って造られているのは間違いなかった。
「おっと、少々御手洗へ」
へへ、っと笑うとホルガーは席を外した。
そうすることでじっくりと鑑賞する時間を作ってくれたのかもしれない。
気付けばバーテンダーは他の1人客を相手に離れているし、他の客もまばらでロンメルはまるでこの店にこの水晶髑髏と自分の2人きりでいるような気分になっていた。
折しも髑髏の前にはホルガーの飲みかけの杯が置かれている。
そのガチャ歯が下働きのゲッツを思い出させて、不思議な気分に陥った。
「ロンメルの旦那。俺がひと山当てたらいい店で1杯奢って下さいよ」
そんな彼の口癖が聞こえたような気がする。
馬鹿みたいであるが酒の酔いがそうさせたのか、この怪異を愛する場所がそうさせたのかはわからないがロンメルはひとり杯をかかげた。
「ようやく君と呑みに来れたね。ひと時の再会に乾杯」
それから髑髏の前に置かれているグラスにチンと音を立て自分の杯を触れさせる。
水晶髑髏に話しかけてしばし見つめてから、酒を喉へ流し込んだ。
これがどういう感傷なのかロンメル自身にもわかっていなかったが、その不思議な水晶髑髏はゲッツそのもののように今では感じるのだ。
最近、忙し過ぎたのだ。
少し飲み過ぎたかなと頭を振ると、髑髏がカタカタと音を立てて笑ったような気がした。




