43話 謝罪です
心のままに泣くのは素晴らしい。
それが許される年齢なのも素晴らしい。
あのままぐっすりと眠って、爽やかな朝である。
「おはよう。シャルロッテ」
ベッドの横で起きたての私を迎えたのは、ソフィアでなく王子であった。
まだ頭もぼんやりしているのに、これは何の仕打ちだろう。
心の中をブリザートが吹きすさび、絶望しそうになったところに意外な言葉をかけられた。
「昨日は申し訳ないことをしたね。あれから君が大泣きしたと聞いたよ。大丈夫かい?」
心の底から心配している様だ。
「君が大人びたことをするから、つい意地悪をしてしまった」
王子は目を逸らして、顔を赤くしている。
「つい」であそこまで怖いのは末恐ろしいが、今こうしている彼はかわいい。
どうやら昨日の大泣きの訳を、自分のせいだと思っているようだ。
これは仲直りのチャンスである。
とにかく謝ろう。
「私もごめんなさい。何もわかってなくてわがままでした」
体を起こしてベッドの上で、ぺこりと頭を下げる。
「君が謝ることじゃない。私がもっと大人にならなければいけなかっただけだ」
「そんな事言わないで! 殿下はまだ子供なんだから子供のままでいいんです」
王子と目が合う。
私を見て、キョトンとしている。
寝起きだから、髪や顔が変なのかしら。
鏡が手元にないので手で髪や寝間着を確認してみる。
うん、大丈夫のはず。
「やっと私を見てくれたね」
「え?」
「君は何か……。最初に名乗りをした時もその後も、いつも遠くを見ているようだった。なんというのかな。お芝居を見ている観客? いや舞台に立っている役者のようというか。私を見ているのにすり抜けているような感じで、君の世界には君しかいないような感じを受けていたんだ」
なんだかバカな事を言ってるね、と微笑みながら王子は言った。
そうかもしれない。
私はこの世界の人達を自分とは別に見ていて、それはさながら物語の登場人物を相手にするようなものだったのかもしれない。
「その通りです。私は何も見ていなかったのかも」
ある意味観光気分で、この世界にちゃんと生きていなかったのかもしれない。
私の元はまだ前世のあそこにいて、ここは仮宿のような。
黒い雄牛が言った様に、私はあの世界を捨てるには確たる理由が無かったのだ。
世界を捨てる、その決断に見合うものを持たなかった私は、こんな所でしっぺ返しを食らった訳だ。
雄牛はああ見えて親切心から私に声をかけたのかもしれない。
「今日はなんだか素直なんだね?」
華が開くようにフワッと王子は微笑んだ。
美少年である。
朝から眼福だと言わざるを得ない。
「殿下もです」
顔を見合わせて、お互いに笑う。
ケンカをしたら、謝って許してもらおう。
昔、子供に言い聞かせた言葉は、間違って無かったのだ。
王子とも謝りあって昨日の気まずさは、もうどこにも無い。
素直になるのは大事なことだ。
「ああ、王太子殿下! シャルロッテが目を覚ましたら、声を掛けて下さるはずだったでしょう!」
ベッドに起き上がっている私を見て、母が声を上げた。
「いくら王族と言えど、寝起きの淑女と話し込むなんていけません! ソフィア! シャルロッテの支度をして!」
柔らかい空気は母のお小言に破られて、名残惜しそうな王子は隣の応接間に連れていかれてしまった。
「目が覚めたらすぐに呼ぶからといって、王太子殿下はここに居座ってたんですよ」
ケラケラと笑いながら、ソフィアがそう教えてくれた。
よく考えたら寝起きで王子と謁見とは、とんでもない話である。
前世では宅配便の受け取りに部屋着で平気で出ていたけれど、今は貴族なのだ。
母が慌てるのも、無理はない。
派手すぎず王宮でも浮かない程度のフォーマルなドレスをソフィアに選んでもらって、身支度をする。
貴賓室は主寝室のベッドルームだけでなく副寝室もいくつかあり、母はそちらで寝泊まりしている。
応接間やドレッシングルームと複数の部屋で構成されていて、ホテルのスイートルームのような感じだ。
もちろん侍女の為の部屋もあるので、かなりの広さである。
「王太子殿下は今日、早くにいらっしゃってお嬢様に悪いことをしたとかなり落ち込んだ様子でしたよ。早朝の訪問など非常識ですが、ここがエーベルハルト領だったとしても、あの様子だと早馬で駆け付けてそうな感じでした。本当に大事にされてますね」
うっとりとしながら私の髪をとかしつつソフィアが笑う。
それを聞いて自分の頬が熱くなるのがわかった。
昨日ノルデン大公に求婚したというのに、何故王子の行動で顔が赤くなるのだろう。
きっとそういう情熱的な行動をされるのに、なれていないからかも。
この体が未熟だから、それで心も揺れるのかもしれない。
さっきの角がとれた王子とのやりとりも悪くなかった。
支度がすんで、応接間に移動する。
王子が用意させたのか、熱い紅茶とマフィンにフルーツがテーブルにならんでいた。
「本当に朝早くからすまない。私としたことが時間を考えずに押しかけてしまって」
「いいえ、気になさらず。私もきちんと謝りたかったし」
ふっと王子が微笑む。
「少し砕けた物言いもいいね。畏まった君も淑女らしくていいけど、私といる時はあまり気にせずしゃべってほしい」
そういえば寝起きだったこともあって、気が抜けた対応をしていた気がする。
意識していなかったので自分ではよくわからないが、こういう些細なことにも気付くのも上に立つ者の才なのかもしれない。
「とりあえず朝食をとろうか。君に謝るまでは喉を物が通らなくて、実は私もまだなのだよ」
私もお腹が空いている。
大泣きして寝てしまったので、昨日の夕食もとっていない。
「そういえば君ときちんと話をしたのは、茶会のテーブルだったね」
思い返せばそうである。
スイーツの山に、心が躍りパクついていたのだ。
マナー違反ではないが多くの令嬢はああいう場合一口、二口手をつけるぐらいにして、小鳥のように小食な淑女を装うことが多い。
気にせず食べていたのは、私とコリンナや食いしん坊の少数であろう。
「あの、王太子殿下。気付いてらっしゃると思いますが私小食ではなくて、いえ大食漢という訳でもないのですが、甘いものとか特に人より好んでしまうというか、甘いものに限らずまあおいしいと止まらないというか……」
昨日あれだけのことをしでかした私だ。
次なにを失敗するかわからない。
女性がこんなに物を食べるなんてと、ショックを受けて女性不信になる可能性もあるので、予防線を張っておく。
私の告白を聞いて、王子がむせだした。
「ゴホッ、いや、気付く気付かないとかの問題ではないような。君、茶会では明らかにお皿でおかわりをしていたからね。ふっ、何を言い出すかと思ったら。ぷふっ」
王子は、こらえきれないように笑い出した。
「気にせずに朝食を平らげてくれて構わないよ。後、私の事はフリードリヒと呼ぶように」
気さくな関係を築きたいということかしら?
では、お言葉に甘えてそう呼ぼう。
「私も大概かもしれないけど、フリードリヒ殿下も失礼です。そんなに笑う事ないと思います」
つい、隠さずにむくれてしまった。
「殿下もなくていいんだけど?」
「そんな無礼なことをしたら、いろいろと周りから勘ぐられてしまいますわ」
「婚約者になればいいだろう。それにほら昨日言ったように私と結婚したら、お爺様と家族になれるんだよ?」
それを聞いて、私は真っ赤になってしまった。
王子は楽しそうに話している。
あのこじれた失態をすっかり話のネタにしてしまうなんて、この王子にはかなわない気がする。
「まだきちんとハイデマリー様にお会いしてないでしょう? あと噂では賢者様も婚約者候補にあがっていると聞いていますし。後からあっちがよかったとか簡単に婚約破棄出来るものではないんですから、もっと時間をかけて下さい」
ぷりぷりと怒って言うと、王子は笑いを止めた。
「賢者か。そういう噂があるのは知っていたがどうなんだろうね。確かに賢者を王家にと推す一派がいることにはいるらしいが」
魔法の天才を王家の血筋に取り込むのは悪い事ではないと思うけれど、王子の表情からはそればかりではない何かがあった。
爵位のせいで茶会には呼ばれなかったのだろうけれど、賢者というステータスがあれば参加させてもよかったのではないかと思う。
心配する私に気付いたのか、すぐに王子は緊張をといて私の顔をわざと覗き込んでいった。
「聖女様は、賢者様には勝つ気はないのかな?」
「聖女だなんて、恐れ多いですわ。婚約は一旦保留って話をしているんです。ちゃんと王子も私も考える時間が必要ですよ」
「考えてはくれるんだ」
目を細めて笑うさまがなんだか大人っぽかったので、食べていたスコーンがのどに詰まった。
子供のくせになんて遣り取りをするんだろう。
慌てて紅茶を飲むのを眺めてまた笑っている。
「私達はケンカしたわけではないが仲直りのひとつとして、一緒にハイデマリーの見舞いに行くというのはどうだろう?」
彼女の事はずっと気になっていたので渡りに船とその提案にのった。




