ロンメル会長と多忙な日々2
学校を建てるにあたりロンメルとクルツ伯爵は、王宮への届け出や教師の確保と駆け回りなんとか数年後の設立に向けて話は固まった。
その学校で使う教材をロンメル商会の出版社で出す事により、出版部門は長期に渡る安定した仕事を手にしたのだ。
シャルロッテはいずれは子供を対象とした幼年齢からの学校を建てる事も視野に入れていて、まずは文官学校で運営の手法を手にいれて、人材を育てその人材の行く先としてのひとつとして幼年学校の講師も候補にしていた。
もちろんちゃっかりと成績の優良な者を仔山羊基金の職員にする為、奨学金を設立すると既に公言までしている。
先に幼年学校を作れば教師が足りなくなる事は目に見えていたし、順序としては正しいと思われるが、どこまでが当初の計画だったのかとロンメルはゾッとする時がある。
「こちらの企画はどうするんですか?」
秘書がロンメルに話し掛けた。
ぼんやりと回想していた自分を戒める。
そんな暇はないのだ。
「ああ、とても斬新だから迷ってしまいましてね。もし発行されたら、君なら手に取りますか?」
この件に関しては女性の意見が大事である。
いっそ侯爵令嬢のように、誰かに丸投げしたい気分だ。
「ええ! きっと、握りしめて街を歩きますわ!」
弾んだ声で彼女は言った。
今、決断を迫られているのは「王都スイーツMAP」なるものだ。
最北国の貴族とクルツ伯爵令嬢が作ったというこのお菓子にだけ特化した地図を、仔山羊基金から小冊子にして売り出したいというのがシャルロッテ・エーベルハルトの提案であった。
そもそもは2人が侯爵令嬢の為に作ったものであるそうだが、その出来の良さに市井にも広めたいというのだ。
確かに素晴らしい出来であり、製作者2人のスイーツにかける情熱が垣間見て取れる作品である。
これに各店に取材をして記事を増やせば、本にするには十分であった。
しかしそもそも売っている菓子の本など、本当に需要があるのだろうか?
記録という意味で菓子の歴史や製作辞典を作るならともかく、街を歩けば行きあたる店の情報をわざわざ金を払って買うかという話である。
美味しければそれこそこの夏に話題になったレモンパイのように、井戸端会議で話題になり無料で人の知る事になるのでは無いだろうか?
そういう訳でロンメルにとって明確な儲かる展望が見えないことが、二の足を踏ませていた。
「商会長、考えても見て下さい。もし酒場の優良店のリストとそこの名物メニューが知れるならお金を出そうと思いませんか?」
秘書が真剣な顔で詰め寄る。
「う……、うーん。そうですね。確かにそれはそうかもしれませんね。だけどこれはお菓子ですから……」
酒場はなんといっても身分で使う店が違うし、店ごとに不透明な部分が多い。
労働階級の人間が使う立ち飲みや椅子と樽だけの酒場や、中流階級が通う高級酒場、その他にも同志が通う会員制の酒場もある。
クラブには女性は立ち入り禁止で、主に似た身分や職種、趣味等で分かれ特色があり、それぞれ審査をして緩い規約の場合でも人の紹介が必要となっている。
特に会員が多い代表的なクラブとしては独身男性のみの酒場がある。
家族の目や見合いから逃げたい男性や気楽に男同士で飲みたい輩等、普遍に存在する客を対象にしたものだ。
クラブの中には職業で縛ったものや釣り好き、果てはオカルトに傾倒したものもあり、そういう意味で酒場紹介の本があれば、上流階級から中流の者であれば金を出す者は多いだろう。
だが、男性の逃げ場であるそれを情報として売るのは反感を買うことでもあるので、秘密は守られ続けるのであった。
「殿方が酒場を神聖視するように、女性には菓子屋の情報は切実なんですよ。家族や来客に出すのに不可欠ですし、何より自分が楽しむ為のものなんですから。たかが菓子屋というなかれです。世の中の半分は女で出来ているんですからね!」
秘書は威勢よくそう演説する。
そう言われると、説得力があるというものだ。
印刷会社を遊ばせておくより、売れるのなら本を刷らせた方がいい。
「では取材と編集は誰にしましょうか。外注してもいいですが、当てはありますか?」
ロンメルが重い腰を上げたと知って、秘書は喜んでサッと紙を差し出した。
「こちらに社交に強い者と文章に長けた者の商会員のリストを作っておきましたわ」
秘書が前もってそんなものを用意する程、菓子地図に期待していると思うと、売れないかもしれないという不安が消えていく。
「そうですね。このまま載せるのもいいですが、いっそ伯爵令嬢が王都の菓子屋を訪ねて回る物語仕立てにするはどうだろう」
ロンメルは幾つかの青写真を頭の中に描いて、案を取り出した。
「まあ! それも素敵ですわ。実際にお店に足を運んだ時に、伯爵令嬢の気持ちが重なったら楽しいですものね。ロンメル会長がそんな浪漫主義だなんて新しい発見ですわね」
手放しで褒められて悪い気はしないが、浪漫主義と呼ばれるとは思いもしなかった。
突飛な侯爵令嬢ならそう提案しそうな気がしただけだったのだが、新しい視点は商人として不可欠だ。
この際今後を見据えて、編集部門を作るのは悪くないだろう。
どんどんと手を広げるのは良くないかもしれないが、何事にも勢いは大事である。
商人としての勘か、それとも聖女に感化されたのか。
ロンメルは苦笑せざるを得なかった。




