ロンメル会長と多忙な日々1
ロンメル商会の長である彼は、自社の建物の2階にある会長室で書類を眺めていた。
現代日本ならば、上層階にありそうなものだがエレベーターもエスカレーターもないこの世界では建物の上階に何も意味はない。
無駄に階数を重ねても労働にしかならないからだ。
だいたいの邸宅も1階は応接間や広間としてパブリックな使用方法であり、主人の間は2階にある事が多いものだ。
ロンメルは溜め息をつきながら目頭を押さえた。
それは仔山羊基金の新しい企画書である。
お抱えデザイナーであるアデリナがラーラ・ヴォルケンシュタインの騎士風ドレスを手掛けた事で服飾部門は充実しているし、各分野への進出も順調だ。
聖女鉛筆は今や庶民にも浸透して国を越えて使われるようになったし、仔山羊基金とロンメル商会は良いパートナーとして歩んできている。
そこに何の悩みがあるのかというと、とてもおかしな話なのだが彼自身の商人としての判断力、先見の明、そんな目に見えない不確かなものが連日試されているような日々に少々の疲れを感じている事だ。
例えばここに木製のマグカップがあるとしよう。
酒場で良く使われている酒杯である。
これに絵付や装飾をした場合、いくらで販売してどの層にどれくらい売れるか。
それを想像し値段を付けるのは、そこ程難しいものではない。
そもそもタンカードの相場はわかっているし、そこに付加価値をつけたところで突飛な事が起こるわけではないからだ。
それがシャルロッテ・エーベルハルトが関わるとまるで話が違ってくる。
そもそもが下地がない商品を発案して、開発と販売はこちらへ丸投げだ。
前例の無いものを売り出そうというのは、暗闇の中、手探りで歩き出すのに似ている。
何事もその踏み出す1歩は計り知れない夢や期待、不安や焦燥などを連れているのだ。
その新しい商品が売れるかどうかの判断、適正な価格、そのどれもを自分が決めなければならない事に胃が痛くなる時もある。
ウェルナー男爵の領地を案内する本を出したいと言い出した時は、貴族令嬢の高尚なお遊びかと一瞬思ったのを覚えている。
既に幾つかの商品を世に送り出している少女だとはいえ、商品の発案と本を出すという事は全く違う分野だからだ。
だがその侮りもほんの一瞬でしかなく、彼女の口から語られる本の企画は商人として売れると確信せざるを得なかった。
だがその為に最終的に自社で印刷会社を作る事になるなどと、当初は考えもしなかった。
最初は何処かへ印刷と製本を頼む手筈であったのが、企画が進むにつれその全てを自分の商会で手がけたいなどと思う事になるなど、全くの想定外だった。
そんな新しい分野への好奇心と冒険心、成人してついぞお目にかかることも稀になっていた子供のような興奮、そんなものを自分の中に認めるとは思いもしなかったのだ。
枯れてしまったとは思いたくないが、十分自分は生育していると自負していたし、そこから新芽を出そうとは考えた事もなかった。
商会の代表として、万一の失敗を視野に入れなければいけない。
従業員、その家族を背負っているのだから危険な綱渡り等はもってのほかであるが、彼の挑戦心は止まらなかったのだ。
たった1冊の本の為に、小さいながらも印刷部門を設立してしまった。
これでは会長失格であると自分を窘めたが、その実、この冒険に満足していることも認めていた。
そして「聖女の旅案内『ウェルナー男爵領編』」は、あまたの不安を振り払い飛ぶように売れたのだ。
表紙裏の簡易地図に名前を載せる権利を売ることにより、本の製作費用を賄う事に成功し新規事業への投資費用は瞬く間に回収された。
新しい部門の社員教育は手が掛かるが、それだけする価値はあったといえよう。
その後も順調に出版は進み、利益を生み出している。
仔山羊基金からは主に童話や寓話の出版を依頼され、同じ内容で貴族向けの豪華な装丁本と庶民向けとして安価な冊子を同時出版したりと庶民への識字率向上を期待した展開をしている。
孤児院や貧窮院への本の寄付もあり、それは聖女としての活動の一環でもあるようだ。
そういう訳で細々ながらも出版会社が波に乗ったところで、クルツ伯爵領で文官学校を設立するという大事業がまたもや聖女から持ち込まれる。
自分は子供なので後は大人達でと、仔山羊基金から出資だけして、またもや丸投げである。
どこの世界に学校の立案をする子供がいるというのだろうか。
その頃にはもうロンメルはシャルロッテを子供として扱おうという気持ちの欠片も残ってはいなかった。




