421話 名前を呼んでと切に願うです ※末尾に名前メモ5掲載
ある日、シャルロッテの元に小さな包みが届く。
差出人の名がないせいか、封蝋を剥がして中を検めた跡がある。
王族や高位貴族からの届け物でない限りは、だいたいはこうやって先に家令か執事が中身を確認してから手元に届くものだ。
プライバシー皆無な訳だが、人は馴れる生き物だ。
四六時中使用人の目に晒されることを思えば、小包を検められることくらい、どうというものでもなかった。
シャルロッテは既に剥がされた封蝋を指でなぞった。
王国には無い2文字が組み合わさったシンプルな紋章。
1度目にした事のあるルフィノ・ガルシアの紋章だ。
差出人の名前が無いとはいえ、良く届いたものだ。
この紋章を知る人間に当たっていたら、「噛みつき男」からの届け物として没収されていただろう。
包みを開けると、そこにあるのはカードと小物。
カードには花模様があしらわれていて、いかにも年頃の女性が好みそうなものだ。
そこには、こう書かれていた。
「君に似合うと思って」
トマティート
ああ、差出人の名前が無いのはそういう事だったのだ。
シャルロッテはひとり納得した。
彼は母親に否定されたガルシア家のルフィノではなく、愛されたトマティートでいたがっていたから。
死ぬ前に手配したのだろうが、随分と時間が掛かって届いたものだ。
きっと、一般の配達を使ったのだろう。
郵便制度が充実していないので、人や道の事情で届く迄の日数にかなりバラツキがある。
酷いと荷物置き場に置かれたまま、忘れ去られたりもするのだ。
配達業は、正直者で無ければ務まらないという。
手際が悪く、時間が掛かってもほとんどは宛先に届けられるものだ。
良識がなければ荷物に手を付けるだろうが、その場合の懲罰は重い。
結果的に相手に届けば日数の遅れなどは些細な事だし、他にツテが無ければ配達業者を使うしか仕方がないのだ。
なので貴族はほとんどがその通信や配達に、自前の従僕や使用人を使う。
ガルシアは王宮の客だったのだから、そちらの使用人を使えるはずだが、街中で品物を見つけてそのまま手配したのだろう。
カードと一緒に入っていたのは、薔薇色の石飾りの付いた金細工の櫛であった。
それは午後の陽射しを浴びて、キラキラと光っている。
金色の稲穂の中に咲いたような薔薇の石も美しい。
シャルロッテは溜め息をついた。
金髪に金の櫛は映えないのよ。
それくらい、あの色男はわかっているだろう。
馬鹿な男だ。
きっと自分でなく、母親の面影を思いながら手にとったに違いない。
それとも、金の髪とトマト色を寄り添わせたかったとでもいうのだろうか?
綺麗だけれどその薔薇色の石飾りは、女達が流した血に見えて使う気になれなかった。
シャルロッテは逡巡したのち、小物入れを引き出しの奥から取り出し蓋を開けた。
そこにあるのはおしろさんの気を惹いた黄色いリボン、蜘蛛女が手ずから刺した金糸の刺繍の入ったハンカチ。
そして新しくここにしまうのは「噛みつき男」が贈った金の櫛。
なんのコレクターだろう。
シャルロッテは自嘲気味に笑った。
どれも捨てきれぬ思い出であり、良くも悪くも自分の人生を彩る品物なのだ。
そうして蓋を閉じると、小物入れをもとあった場所へと戻した。
取り戻した日常を味わう為に、それを乱すものには蓋をするのだ。
「片付けなんて鞄ひとつでしょ。とっととまとめちゃってよ」
商家の下働き小屋の一室で、バタバタと2人の女性達が片付けをしていた。
「何でも『噛みつき男』の被害者の家族に国から見舞金がでるんだって」
「珍しい事もあるもんね」
「そんな金があるなら私達のお給金に回して欲しいもんだわ」
そんなことを、2人はぺちゃくちゃと話している。
犯罪の被害者に国から見舞金が出るのは、かなり珍しい事である。
それだけ「噛みつき男」事件が王国を揺るがしたという事と、それによる補填が手に入り幾ばくかの金銭を被害者家族へ渡す事により国への批判から目を逸らさせる意味もあった。
もっとも賠償金の遣り取りや、その間にある隠蔽について知る人間はひと握りなのだが。
揺らいた王国の威信を取り戻すには安い投資といえよう。
王国が手に入れたルフィノ・ガルシアの私財をはたいた賠償金からしたら、それは端金でしかなかった。
けれど庶民からしたら結構な額であり、自分の家族も被害者だと詐称する人間が出たものだ。
なんとも逞しいというしか無い。
「あの衛兵さんも律儀よねえ。あの子の遺品を村まで届けようだなんて」
「旦那様に直談判したんだそうよ。奥様も気の毒がってたし、いい事じゃない」
「まあ、新人も入る事だし、どっちにしろそろそろベッドを開けないとね。誰かが荷物を片付けなきゃいけないのはわかるけど貧乏くじを引いたわ」
2人が片付けているのは、あの香木の櫛を持っていた被害者女性の荷物だ。
彼女と縁があった善良な衛兵は、事件が片付いた後に自分のケジメとしても彼女の遺品を家族へ届ける事を申し出たのだ。
使用人小屋では、自主的に逃げたり辞めていく人間の残った荷物は早々に片付けるものだが、今回は勝手が違った。
稀に見る残虐な殺人事件にあった使用人の荷物を主人はすぐに処分する気にならなかったし、それは使用人頭も、同室の女性達も同じ気持ちだったのだ。
そこには同情もあったし、酷い死に方をした彼女への忌避感も混じっていただろう。
無惨に死んだ彼女の荷物を触る事で不幸が感染するような、恨みが伝わってきそうなそんな気がしたのだ。
それは死に対する意識や恐れがそうさせたのだろう。
「それにしても、あの子いつの間に衛兵なんて立派な職業の男を捕まえたんだろ。上手くやったわよねえ」
片方の女性が口を尖らせて言った。
「よしなさいよ。死んじゃったら上手いも何もないじゃない」
諌めようとするが、1度羨んでしまうと止まらないようだ。
「はあー、私に譲ってくれないかな?はは!譲るも何もないかあ。死んじゃってるんだしねえ」
彼女が使っていた衣服、靴、小物、身の回りの物はおしゃべりの間にあっという間に鞄へ押し込められた。
人ひとりがここで暮らしていたというのに、鞄ひとつに収まる荷物の量であり、それは侘しいものであった。
「あ、その壁のカードも入れなさいよ。あの子気に入ってたんだから」
古びた木の壁に1枚のカードが飾られている。
花が描かれた美しいカードだ。
故人がうっとりとした目でそれを眺めていたのを見掛けた人間は少なくない。
「へえ、上等なカードじゃない。紙もしっかりしてるし、どこで手に入れたんだろ。うわ!いい匂いまでするじゃない?片付けのお駄賃にもらっとこっと」
「ちょっと……」
咎める声も無視してカードをヒラヒラさせて自分のベッドへ向かう。
裏を見ると何やら文字が書かれていた。
「Y……?なんだろ?まあ、いいや」
女性は自分のベッド側の壁にカードをピンで留めると、まとめた鞄を言われた通り母屋へ届けた。
そのカードの裏に書かれた忌まわしき神の名は、当分の間は呼ばれることも無く粗末な部屋の壁を飾るだろう。
いつかその名を呼ばれ、また人の世へ踏み出すのを、彼は手ぐすね引いて待っている。
暫しの間、夢で少女をいたぶるくらいが関の山であろう。
煉瓦の壁の向こう側で
その神は眠りについている
名を呼ばれるのを渇望し、それを切に願いながら
5章初出の名前MEMO
チェルノフ卿:最北国ノートメアシュトラーセの貴族
ディック・ライン:ライン男爵令息 巻き毛 アニカの取り巻きの1人
ルフィノ・ガルシア:商業国家グローゼンハング共和国伯爵
ハンプトマン中将:軍部の賢者派筆頭
ザームエル・バウマー:ギルメルトの助手 バウマー男爵二男
ジーアンテュア:日本人が作ったと思われる極東の国
メーレスザイレ:日本人が作ったと思われる大陸の南の最果てにある国




