419話 企みです
初めてアニカ・シュヴァルツは自分の間違いに気付こうとしていた。
だけれど彼女は、それを見て見ぬふりをした。
認めてしまえば、自分の2度の人生が根底から崩れてしまうような気がしたからだ。
そうして彼女は、いつも間違えてきた。
その結果、1度は人生をなげうつ結果になったというのに何も学んではいなかった。
もしかしたら自分の人生には残機があると思い込んで3度目も視野に入れているのかもしれないが。
道を間違える度に、彼女の足元は心許なく細っていく。
今ではもう綱渡りのような状態であるのに、本人だけは気付かない。
そうして彼女は、自分自身を騙しながらここまで歩んで来たのである。
観客は声を上げ笑い、それをもてはやし手を叩いて喜び、甘言と共に背中を押すのだ。
その悪意を自分へ向けられた好意と取り違えて、ぐらつく足元をも気にせず、手を振ってみせているかもしれない。
彼女の人生は、人で無いモノからみれば出来の良い演し物の様であった。
彼女がほんの少しでも後悔をしたり他人の事を考えたり出来ていれば話はまた違ったかもしれない。
だけれどそうではなかった。
そうでないから、ここにいるのだ。
シャルロッテが神に愛されたように、アニカもまた別の意味で別の神に愛されていた。
「アニカ・シュヴァルツの私物が欲しい?」
あの夜会から暫くたってのことだった。
私はさぞ怪訝な顔をしていた事だろう。
それくらいアリッサの申し出は、おかしなものだったからだ。
「もし、あればでいいんです。無ければそれでもどうにかなるはずだし。少し調べたい事があって、あれば助かるくらいなの」
目を合わせずに、彼女はそう言った。
あの夜会の日に、アリッサもアニカが「噛みつき男」を私達へけしかけた事を聞いたはずである。
でなければあんなにタイミング良く現れるなんて出来ないもの。
あの時のアリッサは、大層怒っていたように思う。
すぐにでもアニカをどうにかしてしまいそうな雰囲気だったのに、不平を言わず怒りを抑えて彼女を解放してくれたのだから偉いわよね。
「困ったわね。あの子とは、まったく付き合いがないのよ」
私物か……。
DNA検査は無理にしろ、それに準ずるなんらかの魔術があるのかしら?
唾液や残留物から個人を特定出来ないのは「噛みつき男」の調査の時に聞いたけれど何か方法があるのかしら?
アリッサが何を調べているかわからないけれど、私物から過去を見るとか居場所を辿るとか出来てもおかしく無さそうだし、私が知らないだけでそういうツテがあるのかもしれない。
出来れば協力したいのだけど、生憎あの夜アニカに言ったように、私達は関わり合いが無いのだ。
普段全く私へおねだりや要望を口にした事がない彼女の初めての願い事だもの、なるだけ叶えてあげたいわ。
私は少し考えてから、ある事を思い出した。
「ちょっと待ってね」
私はそう言うと、部屋の隅に置いている裁縫箱へ歩み寄った。
裁縫箱といっても実際には家具である。
表面には彫刻が施された重厚な木で作られた猫足の付いた物である。
蓋をぱかりと開けると、中には貴族令嬢としての嗜みである刺繍の道具や、美しい細工の裁縫道具が入っている。
その中から、ひとつの包みを取り出してアリッサへ手渡した。
「シャルロッテ様、これは?」
アリッサが、包みを解いていいのか戸惑っていた。
「アニカ・シュヴァルツの髪の毛よ」
これは昔、私の元へ馬頭鳥が来た時に足に結ばれていたものだ。
自分の一部をかの鳥に結び儀式をする事で、操り聴覚や視界を共有する魔術。
そんなものを後からギルベルトに聞かされた。
あの時の私は魔術の存在も眉唾であったが、今では身に染みて理解している。
それが何の為かも考えずに誰かが悪戯で結んだものかと、鳥が窮屈そうだったので外したのだ。
1度は捨てようとしたが、何かの役に立つかもととって置いたものである。
すっかり忘れていたが、思い出せて良かった。
アリッサは中を確認すると、嬉しそうに笑った。
「ありがとうございます。決して無駄にせずきっと上手に使ってみせますね」
何に使うのか知らないけれど、アリッサが喜んでいるのだから良かったわ。
当分はアニカ・シュヴァルツの事は考えたくないし、任せてしまいましょう。
アリッサの事だもの、私が不利になるような事はしないと信頼している。
「噛みつき男」はもういないのだし、チェルノフ卿は戻ってきた。
少しはのんびりしても、罰は当たらないというものだ。
アリッサはシャルロッテの部屋を出ると、そのまま王宮の王国見聞隊の顧問室へと足を運んだ。
この頃にはザームエルの様子もいくぶんマシになって、昼間は前と変わらず働ける様になっていた。
「これはもうほとんど力を遺していないと言っても、物騒には変わりないんだけどな」
ギルベルトはアリッサに厳重に梱包された箱を手渡したが、名残惜しいのか箱から手を離せないでいた。
「いいのよギル先生。私なら壊せると思っているんでしょう?」
「もう悪夢を見せるくらいしか出来ないだろうけど、このまま保管して誰の目に止まるかわからない現状よりも壊せるならそうした方がいいからね」
心配そうな眼差しで、学者は手元を見つめたままだ。
「わかっているわ。さあ、手放して。私だけで無理そうなら、ゲオルグのおじいちゃんにも手伝って貰うから心配しないで」
機嫌良さげにアリッサは、それを受け取ると鼻歌を歌いながら部屋を出て行った。




