417話 深い溝です
すっかりラーラを敵視していた輩は大人しくなり、ルドルフと共に人に取り囲まれて主役として申し分のない人気の様子である。
ただ、堂々たるルドルフに対して、慣れない淑女扱いに戸惑うラーラは悪目立ちをしてしまっていた。
元々社交は得意ではなさそうな上、普段とは違い受け応えにも覇気がない、気の利いた言い回しも出来ていないようであった。
情けない事にあの女性は男女の機微に疎く、町娘であったアリッサでもあしらえるような誘いにまで戸惑っているようだ。
ある意味彼女も箱入り娘ということか。
せっかくの舞台に、受け答えの特訓もしなければいけなかったのに残念な仕上がりである。
まあ、日数が足りなかったのだろうし、これには失笑するしかない。
同時に主役であり夜会のパートナーであるルドルフが大人であれば、また話は違っただろう。
それならば、連れがいますのでと簡単に断る理由になるし、ルドルフ自身からも庇ってもらえたはずだ。
だがラーラがまだ子供であるルドルフとダンスをするのは難しかったし、大人の矜恃として彼に助けを求める事は出来なかったのだ。
途中迷走して、女だてらにシャルロッテをダンスに誘ったりと一波乱もあったが、そのダンスの出来は悪くないものであった。
会場の外から、アリッサは人々の悲喜こもごもを楽しんでいた。
それはまるで切り取られた画面の中で繰り広げられるテレビドラマと視聴者のような関係であった。
もう人ではない彼女は、2度とその画面の中には入れない。
ある意味あれは彼女にとって現実味のない演劇のようなもので、両者の間には深い溝が横たわっているのだ。
ただ、眺めているだけ。
感傷に浸るわけではないが、ぽかりと心のどこかに空いた穴があり、そこに風が通るような感覚。
それはそれで、心地の良い寂しさで悪いものではなかった。
そうやって人間観察をしていると、シャルロッテが席を外したのでアリッサも主人の後を追い場所を移動をした。
どうやら幼い主は夜会の人波に疲れたのか、バルコニーで涼をとっているようだ。
周りに人がいないせいか、疲れを隠そうとせず大人の女性のような憂鬱な表情をしている。
この小さな主人は色々な顔を持っていた。
無邪気な少女であったり、狡猾な主人であったり、円熟した老婆のようであったり、それは様々であった。
アリッサは決して声をかけない。
シャルロッテが、ひとりの時間を大事にしていることを知っていたからだ。
常に傍に使用人を侍らす生活を産まれた時から過ごしているはずなのに、彼女はそれを窮屈に思っているようであった。
それを周りには気付かせないように努めてもいたが、貴族の生活に馴染めないアリッサには理解出来るものであった。
ある程度、休んだらまたいつもの愛想のよい少女になるのだろう。
それを待てばいい。
忠実な召使いであるアリッサは、静かに彼女の主を見守っていた。
ふいに、ベランダへひとりの少女が現れた。
見慣れない派手で品のないドレスを着ている。
この少女は確か、魔術儀礼の時に主のドレスを汚した使用人の男爵家の者だ。
あの時は殺意も緊急性もなかったので眺めていたに過ぎないが、くだらない嫌がらせに被害者ぶる演技が鼻についたのを覚えている。
しかしながらその生命力は、素晴らしいものであった。
他者を貶めても優位になりたい必死さは、水に落ちた蟻がもがくのにも似ていて、アリッサの目にはとても好ましく愛らしかったからだ。
その浅ましくもがく姿をずっと見ていたい。
1枚の葉を浮かべて助かったと思わせたところで、それを取り上げてその落胆の顔を見たい。
この卑しくも不浄で傲慢な魂は、善良で無垢な魂と同じくらい魅力的であるのだ。
だが、この主へ向けられる悪意はいただけない。
可愛らしいといえばそういう外見なのだが、アリッサの目にはじっとりと毒々しく渦巻く感情を撒き散らす害虫のように映っていた。
その様は悪くないものだが、これが神が言っていた「虫」なのかもしれない。
地母神が大切にする美しい箱庭を荒らし、あまつさえ彼女が大事にしている愛し子の心を曇らせる害虫。
これはシャルロッテにとって良くないモノだとアリッサは判断した。
自分の主はこの悪意の塊に対して、果敢に挑むだろうか?
それとも人に助けを求めるのだろうか。
シャルロッテがどう対処するのか手を出さずに見守りたいところだが、何かあった時の為にアリッサは何時でも2人の間に割って入れるように、枝の上で足に力を溜めて姿勢を整えた。
2人の様子をみると少女はシャルロッテの事を軽んじているのがわかる。
何を持って少女がそう判断しているのかは、アリッサにはわからなかった。
美しさも地位も名声さえもアリッサからすれば、シャルロッテの方が上であるのは間違いなかった。
アリッサ以外の人間でも、そう答えただろう。
だが、明確にあの少女はシャルロッテを下に見ていた。
その根拠は前世の年齢であったり、外見の地味さであったりするのだが、それをしらないアリッサには到底わかることでは無かった。




