401話 未練です
その少女の名前は書かれてはいなかったが、茶色の髪と形容されていた。
その外見は人物を絞るには至らないけれど、死人を甦らす術を使えたのは歴史上、大昔の賢者だけだと兄は言っていた。
死者蘇生。
そんな切り札を掲げて疑われない少女はひとりだけだ。
何故、私を恨むのだろう。
前世持ちは自分ひとりが良かったとか、聖女の称号が欲しかった?
魔術儀礼で注目されなかったから?
それとも私の知らない何かがあるというの?
いつも一方的に攻撃されて、私はそれを躱しているだけなのに。
お互いを知るほど会話をした事も無い。
私の不幸をこれほどまでに願う彼女に、一体どんな理由があるというのだろう。
それでもこれは許される事ではない。
この手記は、彼女を追い込む証拠としては弱いかもしれないけれど王国側に警鐘を鳴らす事は出来るのではないだろうか。
少なくとも、王子は信じてくれるだろう。
私を何らかの理由で恨んでいるなら、自衛しなければ。
謀略を巡らす事は苦手だけれど最低限の防御は必要だ。
私は憂鬱な気持ちで、その手記を閉じた。
緊張を強いられた日々が続いたせいか、その後、随分と気が抜けた生活が続いたような気がする。
私と兄は真相を知った父母からは泣かれた上に、こっぴどく説教をされてしまった。
悪徳の神の性質上、事をどこまで明かしていいかわからなかったのでこればかりは仕方がない。
例えギルベルトという王国見聞隊の後ろ盾があったとしても、私が親の立場であれば同じようにしたことだろう。
「噛みつき男」が死んだ事でチェルノフ卿への疑いが晴れ捜索は打ち切られたが、依然として所在は不明とされている。
王宮に出入りする文官や外交官の間では、体調不良でお忍びで静養しているという話になっているそうだ。
王国見聞隊か王宮側が流したのだろうけど、その手際に、もしかしたら前からチェルノフ卿の正体を国は知っていたのではと勘ぐってしまう。
その下地があってこそ、ギルベルトは彼を「噛みつき男」だとすぐに断定しなかったのではないだろうか?
考えてみれば遠い国から何十年も前から同じ顔の人間がこの国に来ているだなんて、不思議な話だもの。
両親の話だと、今のチェルノフ卿が1番の巨漢だというが、あれを見た後では実は全部同一人物なのではないのだろうかと思ってしまう。
その真意はわからないけれど、何らかの国同士の取り引きなりがあってそうならば、辻褄が合う気がする。
そんな疑問をギルベルトにぶつけてみると簡単に答えが返ってきた。
学者曰く、「チェルノフ卿の行動に怪しいものがあっても、心配は要らない。彼が王国の敵に回ることはない」と、前任の王国見聞隊隊長から聞かされていたというのだ。
それもあって犯人だと断定するのを保留にしていたそうだ。
どうやら昔、王国見聞隊とチェルノフ卿の間に何かあったようだが、詳細はわからなかった。
使用人達の話では、館ではたまに「てけりり」と鳴き声が聞こえるそうだ。
私は聞いてはいないのだけれど、それはきっと地下や屋根裏など使用人がよく使う暗い場所に隠れているせいではないかと思っている。
もう罪も晴れて「噛みつき男」はいないのだから、出て来てはくれないかしら?
私はそう思いながら甘い物が好きだと言ったチェルノフ卿の笑顔を思い出して、おやつの菓子などを床の隅や窓辺に置いたりしている。
「チェルノフ卿、おやつですよ」
ひそりとあてどもなく声をかけて、こっそりとお菓子を置いておく。
使用人に見つかって片付けられているのかもしれないけれど、一晩たつとそれは綺麗になくなっているのだ。
事実はわからないけれど、まだ彼はこの屋敷にいて私達を見守ってくれているのではないかと思ったりもする。
それは連続殺人犯だ、化け物だと押し付けた癖に、都合のいい考えであるのはわかっているけれど、なんだかそう思わずにはいられないのだ。
まだちゃんと謝っても感謝もしていない。
それが未練となって苛むのだ。
人は身勝手な生き物で、私もまたそれに違えなかった。
明日にはコリンナが来るというし、チェルノフ卿の事についてどう話すのが正解なのだろう。
すべてを明かして正直に言う方がいいのか、それとも流布している通り、静養の為急に姿を消したと言おうか。
私達を助けたのは、『噛みつき男』の退治に貢献したのは紛れもない事実だ。
それをすべて隠して知らんぷりを決め込むのは、なんだか彼女までも騙しているような気がして出来そうになかった。
歳を重ねて思うことは、真実をそのまま伝えるのが正解ではないという事だ。
その真実を抱えて生き続けるのは、聞かされた本人なのだもの。
どちらが今後のコリンナの人生にとってよい結果をもたらすのか、頭が痛い問題である。




