397話 処分です
「噛みつき男」の処分について、これはかなり難航したと言える。
まず、その出自を明らかにするかどうかで揉めた。
兎にも角にも国賓であるグローゼンハング共和国の使節団のひとりが、王国を震撼させる殺人鬼だったのだ。
王国にとっても、共和国にとっても愉快な話ではない。
最初は王国側の陰謀であると主張した使節団であったが、本国から「噛みつき男」事件と同様の被害者がグローゼンハング共和国に多数存在した事と、何者かによりそれが隠蔽されていた事、それらはルフィノ・ガルシアの関与の可能性があると報告を受けると諦めて非を認める事となった。
とはいえ個人の犯罪である事を鑑みて、互いの国の遺恨とならないように、今後の良好な付き合いの為この事件の真相と真犯人は闇の中に葬られる事になる。
贖罪としてルフィノ・ガルシア伯爵の私財が充てられ十分な金品が王国へ支払われたが、ガルシアが有する商会の解体や吸収は、少なくない人数の商業国家の人間の利に繋がり、彼らの懐も潤う事になった。
ハイエナの様に、彼の亡骸ともいえる爵位も財産もすべて貪り食われた訳だ。
王国側は知る由もないが、まさに生き馬の目を抜く商人達の所業といえよう。
王国見聞隊により、犯人は悪徳の神の狂信者である浮浪者だと公表された。
噛みつき痕の大小は、それこそ前にギルベルトが気まぐれに推理した工具に鉄の入れ歯のようなものを取り付けてという出鱈目な証拠が捏造され公に提出される事となった。
そして、狂信者である「噛みつき男」は、自分の神への生贄として黒山羊の聖女を狙ってエーベルハルト侯爵家へ侵入し、兄ルドルフ・エーベルハルトと護衛官ラーラ・ヴォルケンシュタインにより討ち取られたと大々的に喧伝される事になる。
2人は勇敢な騎士として武勇を褒め称えられ、後に小説や劇として「噛みつき男」が流行る事になるのだが、その中でも2人の勇姿は見せ場として扱われる事となる。
社交シーズンに行われた陰惨なこの連続殺人事件は、芸術家達のインスピレーションを大いに刺激したものだ。
聖女や女騎士、小侯爵と華やかな登場人物とその題材は創作にもってこいだったのだろう。
煌びやかな武勇伝が幾つも創作され、辻褄の合わない「噛みつき男」の公式の記録から巷の目を誤魔化すのに大いに役に立つこととなる。
目撃者の少なさに始まり、貴族らしき身分、巨漢の男、そんな全ては虚飾された物語に塗り潰されていった。
事実を知る少数の人間は沈黙を守り、こうして神秘の欠片も神話の生き物も関係しない生きている人間が起こした犯罪として記録されることになった。
その犯罪者の名前や出身は不明であり、新聞社は手を尽くして取材をしたが、魔術による目撃者の無さからか何も掴む事は出来なかった為、HerrN.N、いわゆる名無しを指すNN氏と呼ばれた。
王都ではNN氏がどこぞの通りで娘を物色していただの、うちの店でNN氏が酒を飲んだ事があるなど眉唾な話があちこちで沸き、無責任な大衆が話題にして長い間都市伝説のように与太話が定着していった。
それもこれも、もう「噛みつき男」がいないという事実がもたらした平和の証といって良いだろう。
その討ち取られた死体は、王都の郊外に梟首、いわゆる生首だけ木にかけられて晒し首とされる事になる。
王国を揺るがす連続殺人鬼の首なのだから、それは当然の処遇ともいえた。
出来うることならば死体を馬の後ろに括り付け王都内を引き回し晒し者としたり、台座を作って広場で首を括って死体ごとぶら下げる事くらいしてもおかしくはないほどだ。
勿論それらは検討されたのだが、そうする事は不可能であったので梟首は消去法で選ばれたに過ぎない。
当初、死体の右脚にあった火傷と思われる跡は、火が消えているというのに、じわじわとゆっくりと煙草の火がくすぶるように骨と肉を内側から焼き続けていたのだ。
最初にその様子に気付いたのは、死体を運んだ兵士のひとりであった。
担架に乗せた時に、右足にふれた指がサクリと沈んだのだ。
見た目はただの火傷の跡なのに、信じられない事に、表面の皮膚を残して右足の中身は灰になってしまっていた。
それに気付いた兵士は悲鳴を上げ、慌てふためいて上司へ報告する。
あろうことかその火種は消える事が無く、まだ灰になっていない骨肉をゆっくりと焼き続けているというではないか。
これには関係者一同、唖然とする他がなかった。
それはシャルロッテの炎の花が起こした事であったが、当人も周りの人々もその真相に気付くことはついぞなかった。
前例のないこの不可思議な現象は、不浄の塊であるその死体が神の怒りをかったのだと、神罰が下ったのだと、まことしやかに囁かれた。
死体を検分した医者は、このまま死体の全てが焼き切れる前に首を落として晒す事を提案し、それは速やかに実行される事となる。
そうして、首の無い神の僕である「噛みつき男」は、首だけにされて晒される事となった。




