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黒山羊様の導きで異世界で令嬢になりました  作者: sisi
第五章 シャルロッテ嬢と噛みつき男
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394話 正体です

 ナハディガルのその視線の先には「噛みつき男」の斬り落とされた右手が落ちている。


 カリカリカリカリ

 床を爪が引っ掻いている。

 それがゆっくりと動いていた。


「まだ、動くの?!」

 私の叫びをよそに、体は既に絶命しているように見えるのに最後の足掻きとでもいうかのようにその手が兄へと迫っていた。

 そうだ、チェルノフ卿の頭部は落とされても動いていたではないか。

 手首がそのまま動いても、なにもおかしい事ではなかった。


「噛みつき男」の右手はその五指を使い、じりじりと執拗に兄へと向かっている。

 まるで、それだけが独立した生き物のように。

 執念にも似たしつこさで、ルドルフを喰らおうとしていた。

 兄も剣を振るい牽制しているが、その右手はものともしない。

 もし、このにじり寄る腕が、予想外に飛びかかってきたら?

 嫌な想像が頭を過ぎる。

 どうにかしないと。

「クロちゃん!お願い!」

 私の叫びに応えて仔山羊が鳴き声をあげようとしたその時、予想外の事が起きた。




 て け り り




 どこからか鈴の音のような軽い金属のような声がした。

 鼻をつく腐臭が漂う。



 てけりり

 てけりり

 てけりり



 頭上から声がする。

 それはリズムを変えて、早口のように鳴きながら現れた。

 黒い暗闇のような、粘着質の液体。

 表面は虹色にゆらゆらと油膜のように輝いている。

 それは天井から湧き出して、滴るように現れた。

 染み出したそれはひとつの塊になって、うねうねと天井を移動してる。

 皆がそれを見上げ、目が釘付けになった。



 ぼとり



 重力に身を任せたかのように、ある1点に向かってそれは落下する。

 その先には、兄へ迫っていた悪徳の神の化身の右手があった。

 空気の抵抗を受けたように黒いそれは、空中でふわりとベールの様に広がり、そのまま右手を覆い尽くした。



「ぎゃあああああああああ!!」



 再度、噛みつき男の口は叫ぶ。




 てけりり

 てけりり

 てけりり



 黒い粘体は鳴きながらじゅくじゅくと音を立てて、噛みつき男の右手を呑み込んだ。

 呑み込んだというか、その場で消化したように見える。


 地の底から響くような咆哮が耳をつんざく。

 それは断末魔の咆哮。

「噛みつき男」の最期の悲鳴。



 そうして呆然と皆が見ている中、黒い粘液は昨夜と同じように跡形もなく消えてしまった。

「今のは一体……」


「チェルノフ卿?」

 黒い粘液は、あの時のチェルノフ卿の頭だったもののように思える。

 いや、そうとしか思えない。

 チェルノフ卿の頭が、あの右手から兄を守ったの?


 まったく訳がわからなかったけれど、ずっと付き纏っていた違和感がわかった。

 あの日あの時、私に差し出されたチェルノフ卿の手の平には、裂け目も口も無かったではないか。


 ギルベルトが何度も私に確認していたのは「チェルノフ卿の後ろに落ち子がいた」という位置関係。

 落ち子の先頭に立って屋敷に押し入ったのではなく、落ち子に追われて転がり混んだとも取れなくはないか?

 ギルベルトは、チェルノフ卿が敵でない可能性を考えていたのではないか。


「チェルノフ卿は、噛みつき男ではなかった?」


 人ではないけれど、噛みつき男でも無かったというの?



「チェルノフ卿? チェルノフ卿? そこにいらっしゃるの?」

 天井に向けて、私は話し掛けた。

 おかしな話だが、何故だかアレがチェルノフ卿なのだと私は確信していた。

 もうあの不思議な声は聞こえないし、誰も返事はしてくれない。

「兄様を、私達を助けてくれてありがとう!」

 それでも、私はそう天井に声をかけた。

 感謝せずにはいられなかったのだ。

「噛みつき男」だと決めつけて、勝手に裏切られたと傷付いた私を助けてくれたのだ。

 何も言わないチェルノフ卿の優しさが身に染みてどうしようもなかった。

 目から涙が溢れそうだ。




 では、「噛みつき男」は、誰だったの?



 そうして私が噛みつき男の体に目を向けると、それはもう悪徳の神の(かたち)をしていなかった。

 ラーラは、邪神の力を断ち切ったのだ。

 神の憑き物が落ちた男がそこにいた。

 そこに横たわっていたのは片腕を無くしてナハディガルの剣に貫かれ背中を斬られた男、ルフィノ・ガルシアであった。


「ガルシア殿……」

 ラーラはそう呟いて黙ってしまった。

 私も声が出ない。

 まさか自分達を助けてくれたと思っていた人間が、「噛みつき男」だとは考えもしなかったのだもの。

 あまつさえ、敵に感謝し館へ招き入れたなど迂闊にも程がある。

 詩人は冷たい眼差しで噛みつき男を見下ろして、私達は言葉を失っていた。


「ああ、失敗してしまった」

 腹を刺され背中を斬られて血を流しているのに、ガルシアは倒れたまま呑気そうに言った。

 皮肉そうに笑う顔が、死の間際というのに美しい。

「私の負けだね。君、そばに来てくれるかい?」

 視線だけを、私へ向けてそう言った。

 言葉のままに近寄ろうとする私を、ナハディガルもラーラも兄も止める。

 驚き過ぎて、うっかりしていた。

 不用意過ぎる自分を反省しながら、私はそろりと後ろへ下がる。

「皆、心配性だね、私を見てくれ。もう死にゆくばかりだというのに、何が出来るというのだい? 最期に君と話をしたいだけだよ」

 そんな罪人の言葉を信じる者はなく、皆は私を離さなかった。



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― 新着の感想 ―
[気になる点] ガルシアが「噛みつき男」に関わって誘導しているとは思っていたけど、まさか本体だとは……。国外には人に扮している存在が結構いるのかな?
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