40話 豹変です
王宮の庭園には、気まずい空気が流れていた。
王子が振られた現場になんて誰も居合わせたくは無い上に、その相手の侯爵令嬢もまた前国王にふられたなど、玉突き事故を目の前で起こされては誰も何も言えず沈黙を守っているのは当然のことと思えた。
大公が去ると近くにいた侍女や近衛達は、ささっとまた一定の距離をとって明後日の方向を見ている。
まるで自分たちは空気です、何も見ていないし聞いてないです、どうにも出来ませんと言っているかのように。
そう、この状況を作ってしまったのは私なのだから、私がどうにかしないといけないのだ。
呆然とする王子を手近なベンチを見つけて、そちらへ手を引いて誘導する。
勝手に手を取るなど不敬なことかもしれないが、今は緊急事態なのだ。
ここで王子を味方につけることができれば、私が大公に嫁ぐのも夢ではなくなるだろう。
今は振られたかもしれない。
しかし、20年後はわからないではないか。
王子と婚約してしまっては修正は効かないのだ。
協力者を得るのだ。
大体、王子に心から恋している令嬢は、茶会の様子を見ても山ほどいた。
何も気持ちがない私を選ぶことは無い。
王子の申し出を断るのは酷いかもしれないが、それがお互いの幸せではないだろうか?
ちらと20年後の王子を想像してみた。
さぞかしカッコいい若者となっているだろう。
今ほど抵抗はないかもしれないが、頭を振ってその考えは打ち消した。
「王太子殿下、先程ははしたない真似をしてしまい申し訳ありませんでした。でも私の話を聞いて下さいませんか?」
王子は私の声に反応して、呆然としたまま顔をこちらに向けた。
生まれた時から高貴な身分で、王となる為に綺麗に整えられた道だけを歩んできた王子。
母親が早逝したせいでその道は一度は悲しみに染まったが、それでも何でも手に入る身分であるのだ。
その道を、こんな訳の分からないおばさんで躓いてはだめだ。
自分が無碍にされ拒否される事など天地がひっくり返っても有り得ない事だったのだろうが、申し訳ないがお互いが幸せになる為なのだ。
万人に受け入れられるはずの自分が拒絶される。
それはかなりの衝撃だったかもしれない。
でもあれよ、多少の挫折は人生に彩りを添えるはず。
子供の淡い思いは、きっとかわいいお嬢さんたちによってすぐ癒えるのではないだろうか。
「私、殿下に今必要な物は婚約者でなく家族だと思いますの」
王子がぴくりと動いた。
よし、ちゃんと聞いている。
「婚約者はダメですわ。結婚するまでは別々に過ごすわけですもの。かといって国王陛下と私が結婚するのは政治的に無理です。でも大公陛下の妻になれば私は殿下の祖母になりますので、いくらでも傍で支える事が出来るのです」
瞳に光がともった。
ちょっと乱暴な話だったかもしれないが、私の正直な気持ちである。
「では、あなたは私の為に?」
自分が選ばれなかった訳では無いと知ってか、細い声で返事をしてくれた。
王子の為かと言われると、その側面はある圧倒的に自分の欲である。
さすがにそこは、「はい」とは言えない。
「そう言われれば間違いではないのですが、まず私は王太子妃になれる器とも思えません。その点、大公妃ならば責任も気持ちも幾ばくか軽い気がするのです。あ! 勿論殿下を全力で支える事に、相違はありませんわ!」
うーん、どういってみても、婚約を嫌がってるようにしか聞こえないかも。
自分の語彙力の無さに、情けなさを覚える。
「それにハイデマリー様も呪われていたのが判明しましたし、賢者の再来と言われる令嬢も候補に挙がっていると伺ってます。なにも婚約者を、昨日の今日で決めるのは早計というものですわ」
しどろもどろな私の弁を聞くと、王子は寂しそうな表情で目を伏せた。
罪悪感が襲ってくる。
「君からみたら僕は張りぼての王子かもしれないが、阿呆ではないのだよ」
それは静かで、悲し気な響きだった。
こんな少年にこんなことを言わせてしまうなんて、私の人生経験とはなんだったのか。
私は大人だからと心の中で優位に立ったつもりでいたのではないか?
いろいろと申し訳なくなってくる。
心が痛むが、こればかりは仕方がない。
仕方がないから、こんなバカげた理由で納得してくれるとバカな私はそう思ったのだ。
そう私はバカで浅はかな人間であったのを思い出した。
「君はお爺様を一目見て、好きになってしまったのだよね。それすらわからない愚鈍な王子だと思っていたのかい?」
ゆっくりと、ゆっくりと彼は顔を上げた。
美しい青い目の色が深く暗い淵の様だ。
穏やかな湖なのに、その奥には無数の棘を持つ怪物でも潜んでいそうなそんな不穏を感じる。
怖い怖いコワイ。
美少年が淡々と語るのがこれほど怖いとは思わなかった。
私はこの少年のなにかを目覚めさせてしまったのか?
重いこの場の空気を制する存在感、さすが王族と言わざると得ない。
「シャルロッテ・エーベルハルト。世間知らずのお姫様が好きになった男と結ばれる為に孫を利用するなど、涙ぐましい話じゃないか」
心の内を読まれたかのような指摘に、私は何も言えなくなってしまう。
ただの少年ではなかったのだ。
「私はこの国の王太子。欲しいものは手にいれなければ、今後なんと言われるやら」
自嘲するかのような笑みだ。
「で、ですから王太子殿下の欲しいものは、家族ですよね? 殿下をお慕いしている令嬢は、それこそ国中にいるのです。私は殿下の家族として仕え、婚約者には殿下を愛するものを置けばそれはもう殿下のひとり勝ちみたいなものではないですか?」
「シャルロッテ、それは本当にそう思っていってるのかい? ひとり勝ちなのは君じゃないか」
いつのまにか、呼び捨てにされていた。
真綿で首を絞めるような息苦しさが、この場を満たしている。
「国中の令嬢が私を慕っているというなら、そんなありふれたもの私にはいらない。価値がないのと同じじゃないか」
あどけない少年だったはずだ。
頭を撫でられて、顔を赤くするどこにでもいる普通の少年。
それは完全に私の思い込みだったのだ。
領地を治める為に努力する兄を間近に見てきたはずなのに、前世の経験が私の目を曇らせていたのだ。
ここにいるのは特別な少年。
国を背負う義務をおった王太子殿下。
侮っていた。
今になって、自分がどうしようもない悪手を打ったことがわかった。
何故、私の様な平凡な人間が王族などという特権階級にいる人間を、言いくるめることが出来ると思いあがったのか。
そっとしておけば、優しいただの少年でいたのだ。
だが浅はかな私の言動のせいで、彼の中にいる何かが目を覚ましたのだ。
きっと学んできたであろう謀略や陰謀を、知識ではなく身に着けるものとして実感したのではないか。
侮る臣下は蹂躙せよとでも教育を受けているかもしれない。
人は些細なことで成長する。
純粋な思いの求婚をバカな少女に踏みにじられ、あまつさえ他の男に奪われそうになるなど王族として屈辱以外ではないのだ。
子供同士の戯言だと思っていた。
本当に私はバカです。
申し訳ありません。
ごめんなさいと、何度も心の中で謝った。
いや、もしかしたらこの謝罪は自覚がないだけで、言葉として口から洩れ出ていたかもしれない。
花々が咲き誇る庭で、王子の笑っている顔は先ほどと変わらず、にこやかであるのに体温が下がる気がした。
「さあシャルロッテ、よく考えてごらん? 私の婚約者になればお爺様とはいつでも会えるようになると思わないかい?」
暗く昏い魅力的なささやきが、王子の口元から美しく流れ出た。




